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城郭探訪

yamaziro

「尼御前」は源義経の従女として義経一行の奥州行きに同行していたが、安宅関超えに

2013年05月22日 | 遺蹟

「尼御前」は源義経の従女として義経一行の奥州行きに同行していたが、難所として知られていた安宅関超えに際して「女の私がいては足手まといになる」と身を案じてこの岬から身を投げたという伝説が残っている。

尼御前岬 石川県加賀市美岬町 map:http://yahoo.jp/-F7AhJ

尼御前岬

 

 尼子御前SA(下り線)芭蕉碑

芭蕉の句碑周囲の花壇に守られて、静かにずっしりと座り込む

 
むざんやな
  兜の下の
     きりぎりす
 
思わず脳裏に浮かぶ月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり

名称の由来 ファイル:Amagozen Misaki.jpg

尼御前の名称は、SAに隣接する「尼御前岬」から。「尼御前」は源義経の従女として義経一行の奥州行きに同行していたが、難所として知られていた安宅関超えに際して「女の私がいては足手まといになる」と身を案じてこの岬から身を投げたという伝説が残っている。新潟方面SAには岬への歩行者用の出入口があり、徒歩ですぐに行くことができる。

光秀伝説

2013年05月22日 | 平城

光秀伝説、滋賀・多賀にあり 歴史愛好家ら探る

 
写真:並べられた古い石仏や墓石を見る参加者=多賀町佐目並べられた古い石仏や墓石を見る参加者=多賀町佐目

戦国武将の明智光秀(1528?~82)がかつて住んでいたと言い伝えのある多賀町佐目で18日、歴史愛好家らが地区内に残る古い墓石や中世の山城跡と見られる遺跡を調べ、伝説の手がかりを探した。

 本能寺の変で織田信長を討った光秀は美濃(現在の岐阜県)の土岐氏の支族とされるが、詳細は不明。

http://www.asahi.com/area/shiga/articles/OSK201305210100.html

 朝日新聞2013.5.22