光秀の書状、旧家で発見 安土城考古博で初公開
戦国武将明智光秀が近江の土豪に送った書状が滋賀県近江八幡市内の旧家から見つかり、同市安土町下豊浦の安土城考古博物館で18日から初公開される。同館は「光秀が出した文書は現存数が少なく貴重」と話している。
書状は、志賀郡(現大津市)を支配していた光秀が湖南地域の土豪奥村源内に送った。四つの村の間で起きた船役をめぐる訴訟について事情を尋ねている。さらに、奥村が戦で手柄を立てたことを「浦山敷候(うらやましい)」と記している。
文末に「六月四日」と日付があり、光秀の花押もある。書状の包紙には「明十兵光秀」と記されており、1571(元亀2)年~75(天正3)年の間に出したとみられる。
書状は安土城考古博物館と近江八幡市市史編纂(へんさん)室が市内の旧家で発見した。戦国時代―安土桃山時代の他の文書9点と一緒に帖(折り本)に貼られていた。
光秀は1582年に織田信長を討った「本能寺の変」で知られる。逆賊とされたため、光秀が出した文書は残りにくく、全国でも書状や禁制(きんぜい)など117点しか確認されていない。
展示は6月16日まで。月曜休館。午前9時~午後5時。400円。
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