城郭探訪

yamaziro

比留田城 近江国(中主)

2014年06月15日 | 平山城

読みにくい字で「葭地城址」と刻まれた碑 

お城のデータ

所在地:野洲市比留田

別 名:葭地城

区 分平城

現 状:神社・宅地

遺 構:土塁・石碑

訪城日:2014.6.15

 神社周辺(堀・土塁痕跡)

お城の概要

留田城は、旧中主町で城址碑の建つ唯一の城。

比留田の集落の南端のグランゴドの東側に田地のを挟んで小さな藪地が目につく場所がある。

現在は城之神社となっているこの地に、読みにくい字で「葭地城址」と刻まれた碑が建っている。堀跡と思われる水路と土塁が残る。

神社の周囲に水路が堀跡と土塁跡が残る・。神社に「葭地城址」と刻まれた石碑がある。

歴 史

不明

          

城神社の北50mの所の竹林に土塁痕を残している、城域の境か

   

グランドの北側空き地は1mの微高地

比留田城(城神社)遠景・・・南西から

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城

 

本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!


立花城 近江国(守山)

2014年06月15日 | 居城

  

お城の概要

所在地:守山市立田町(旧立花) map:http://yahoo.jp/SKT4l7

現 状:宅地

区 分:平城

遺 構:堀痕、北東部誓願寺境内に土塁

築城期:

築城者:

目標地:西寶寺(田中宅)、誓願寺http://yahoo.jp/28IbRn

訪城日:2014.6.13

 立花城は立田町の東方、旧立花村一帯にあったとされる。現在の立田町は立花村と戸田村が合併して生まれた町名である。

現在は宅地整備されすっきりした町並みになっているが、水路は城郭の堀痕で複雑に流れている

整備前には土塁が残っていたという。

北東端に立つ西寶寺・誓願寺付近に薄い土塁跡のような竹薮が残っている。

 

歴 史

詳細は不明。

江戸期は服部陣屋にあった旗本上田氏の所領地であった。

 上田氏の出自は、甲斐武田氏の支流盛義が信濃上田郷に住み、上田氏を名乗ったのが始まりとされる。

戦国期には丹羽長秀の家臣となり、長秀が没した重安(宗箇)の時に豊臣秀吉に仕え、越前国にて1万石を給わった。関ヶ原合戦は西軍に与したため領地を没収されるが、紀伊和歌山城主浅野幸長に招かれ、浅野氏が安芸広島移封後は亀居城17000石を与えられた。

上田重安の嫡男重秀は、将軍家光に召し出され、寛永12年(1635)近江野洲郡森川原・服部・立花・小浜・木部・比江・小比江・吉川の8ヶ村にて5000石の旗本に取り立てられた。次男の重政は浅野家に残り、その子孫は安芸浅野氏の家老職を世襲して明治維新を迎えた。

旗本上田氏は、のちに上地令により吉川村の替わりに武蔵国高麗郡に分地を拝領した。
以後旗本上田家は、江戸幕府の西丸御留守居・大目付・御留守居・御小性組番頭などを歴任し、高級旗本として10代続いて明治維新を迎えた。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城

 

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