城郭探訪

yamaziro

知内浜城(知内城) 近江国(高島・マキノ)

2014年06月30日 | 平城

 境内の説明板に・・・抜粋

古墳・城跡
神社の北側の小丘は古墳時代(7世紀)の円墳(遺跡名唐崎神社古墳)と言われている。
村の人からは庚申塚と呼ばれてきたところである。又、この附近は、北と南に御禊川、殿田川の小川があり、

 東は湖水に接し、西は沼田に接する要害の地で、安土桃山時代に「知内城」(知内浜城)が築城され、
中世、戦国時代の城(砦)の特色である竹藪・堀・土塁のなごりが現存している。
川裾宮 唐崎神社

お城のデータ

別 名:知内城

所在地:高島市(旧高島郡)マキノ町知内  map:http://yahoo.jp/7jC1Jv

現 状:唐崎神社

遺 構:土塁・堀、説明板

区 分:平城

目標地:唐崎神社

訪城日:2014.6.28

 

お城の概要

  知内浜城は、知内川と百瀬川に挟まれた三角州の地形に位置する、現在の唐崎神社付近にあったと推定されている。
県の調査によると、境内裏手に「海津城跡」の碑が建っていたとあるが、見つけることが出来ず。

遺構も目ぼしきものはなく、神社のぐるりを巡る馬具足川が不自然にL字型をなし、堀跡に思える。

 

歴 史

境内の説明板に

・・・抜粋

 

古墳・城跡

神社の北側の小丘は古墳時代(7世紀)の円墳(遺跡名唐崎神社古墳)と言われている。
村の人からは庚申塚と呼ばれてきたところである。又、この附近は、北と南に御禊川、殿田川の小川があり、
東は湖水に接し、西は沼田に接する要害の地で、安土桃山時代に「知内城」(知内浜城)が築城され、
中世、戦国時代の城(砦)の特色である竹藪・堀・土塁のなごりが現存している。
川裾宮 唐崎神社

 

 本能寺の変後の天正10年(1582)6月、近江高島郡は丹羽長秀に与えられた。翌年3月に賤ヶ岳の合戦が起こり、羽柴秀吉方の長秀は、柴田軍の南下を阻止するために知内浜城をはじめ、森西城・沢村城等を修築したと伝わる

その時、知内浜城にいたのは丹羽長秀の家臣、村上義明であったという。

また、往時はマキノ町一帯がすべて海津村域であったようで、知内浜城と海津城が同一とも、現在の海津・西浜に所在したと伝わる諸城もすべて同一であったとも受け取る事ができ、詳細が判らない。

堀跡

現在は、唐崎神社となっていますが、境内を堀が巡っていますし、土塁も残っています。
城跡の名残として竹薮が存在していました。 受付のまえに約10台の無料駐車場あり

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城

         本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!


探訪【高島市海津・西浜・知内の水辺景観をゆく】2014.6.26

2014年06月30日 | 探訪「近江水の宝」

重要文化的景観 探訪 高島市 海津・西浜・知内も水辺景観をゆく・・・滋賀県教育員会主催

2014.6.28 マキノ駅集合

主催:滋賀県教育委員会
協力:海津・西浜・知内地域文化的景観まちづくり協議会
   マキノまちづくりネットワークセンター
   高島市教育委員会
高木浜サニービーチ〜知内浜〜白鷺橋〜唐崎神社〜知内川のヤナ漁〜湖のテラス〜湖の辺­の道〜西浜の石積み〜魚治〜吉田酒造〜中ノ川河口〜辻子(ヅシ)〜海津の石積み〜湧水­(イケ)〜西内沼〜マキノ東小学校〜海津大崎

https://www.youtube.com/watch?v=cAFJeIGoBlY

湖のテラス

水辺の道

西浜の石垣

海津漁港

魚治

旧海津港

吉田酒造

中ノ川河口

湧水池

マキノ東小学校

西内沼

 

西与一左衛門・蓮光寺 海津の石垣が築造されたのは、江戸期の元禄16年(1703年)です。
 築造前の状況を『大崎寺文書 』(天和2年(1682年))では、次のように語っています。

 「・・最前より御訴訟申し上げ候とおり、浜がわに私どもの住み居り屋敷13 軒は、波除け石垣崩れ少しの風波にも家へ水が入り、難儀に仕り儀にご座候ゆえ、ご慈悲に願いの通り、入用銀6貫19匁5分をお貸し下され成され候ハバ、有難く存じます・・ ・・」(読下し文)とあります。
 村人達は、度重なる大波によって石垣が崩れ、被害に苦しみ借財を重ねていました。このような中、元禄14年、西浜村に甲府藩領代官・西与一左衛門が就任しました。 村人達の苦しみに同情した彼は、就任早々に石垣築造の偉業を成し遂げ、しかも、費用を村民の負担による「自普請」でなく、お上が負担する「御普請」であったといいます。 西与一左衛門は、思いやりと実行力のある人物で、西浜・蓮光寺入口の案内板には、次のように書かれて
います。

高木浜サニービーチ琵琶湖で最も美しいと言われている奥びわ湖の湖畔にある知内浜オートキャンプ場はファミリーに大人気のキャンプ場です。
毎年、遠方からたくさんの方々が訪れてくださいます。すぐ近くには知内川や知内漁港があり、釣りを楽しむこともできます。
また、大事な家族の一員、ワンちゃんたちも一緒に楽しく過ごしていただけます。大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」のロケ地ともなった。

荘境川河口で、鮎の投網・・・1投目で20~30匹 

知内川

唐崎神社当地は、知内川(旧大川)、生来川、百瀬川の三本の川が、琵琶湖に流れ入り、東に伊吹山、雲仙岳、竹生島をのぞみ、白砂青松の浜に面する風光の清明なる神域で、祓戸の神々の鎮座地として、禊祓の祭祀を行う、古代の川社(かわやしろ)であった。古い神社は、必ずといっていいほど、清流のわきにあり、当社地も先の三本の川の中に、なお、二つの小川(殿田川、ミソギ川)にはさまれて、川につからないと行けない斎庭になっていた。こうした例は、熊野信仰で知られる、熊野本宮大社のかつての社地「大斎原」(おおゆのはら)もそうであり、伊勢の神宮の五十鈴川も、橋がなかった時代は、徒歩で川を渡り、自然に禊をし、身を清めることができるようになっていたのである。

当社の創始は、周囲に集落のできるはるか以前、久遠にして不詳であるが、天智の朝には既に鎮座し、延喜式内社大川神社は当神社のことであると伝えられている。社号は大川明神、三光明神、川裾大明神、唐崎大明神と尊称され、変遷してきているが、「川裾さん」という通称が最も広く親しまれている。川裾信仰の霊地であり、中昔、神仏習合し、明治にはいって分離された。

天文年間(1532~1555)に当地は兵火にかかり、社傍の大川堂に安置されていた大川神社本地仏は水玄堂に移され無事であったが、古器物は殆どが烏有に帰したと伝えられている。その本地仏は水玄堂の火災(明治26年)により、現在は上知内の安養寺内の観音堂に、唐崎神社奥の院として祀られている。

現在の社殿は明治18年、拝殿は文政10年の再建で、以降、御屋根など数回にわたり大修復されている。正面の鳥居は、正徳元年(1711)木造を石材に換え建立された。また、参道口には、湖東、西湖各千人講奉納(安政年間)による石灯篭があり、湖上交通による参拝も盛んであった。安産、下の病、などの御利益でも知られている。

知内川のヤナ 滋賀県高島市マキノ町を流れる知内川の下流にある小鮎のヤナ漁の様子です。管理されて­いる漁協組合員さんのお話によると、ヤナに入る今年の小鮎は大き­く成長した魚ばかりで、獲れた魚は食用ではなく主に友釣り河川への放流用に出荷してい­るそうです。

本日の歩数   20,984歩

歩行距離    15.7km

歩行時間    3.25時間

消費カロリー  603.3kcal

脂肪燃焼量    86.1g

本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!