ある瞬間の光景が
そこだけ切りぬかれたかのように
ずっと後になってから
人生の特別な一瞬として
ありありとした記憶となってもどってくる。
特別なものは何もない
だからこそ
特別なのだという逆説に
わたしたちの日々のかたちは
ささえられていると思う。
〜 長田弘「人生の特別な一瞬」〜
たいてい
想い切り
愉しんでる
状況
は
日常
の
中
に
在って
たいてい
想い切り
うれしい
出来事
は
日常
の
中
に
在って
たいてい
守りたいモノ
は
やはり
日常の中
に
在って
たいてい
守ってくれているモノ
も
日常の中
に
居てくれる
たいてい
の
美しい眺め
や
美しい感情
は
日常
の
関わり
や
やりとり
の
中から
生まれたり
見い出されたり
する
ともすれば
日常
と
云ふモノ
が
さも
特別
で
在り
さも
美しい
と
云える
さも
自身
の
気付き
の
手柄
と
振る舞いがち
に
なるけれど
其れ
は
違う
やはり
気付かせてくれるモノ
の
おかげ
だ
トクベツスパイス
は
きっと
そのモノ
の
ポケット
か
引き出し
に
さりげなく
仕舞われて
いる