第343話.懐かしい未来を連想させる曲・気になった音楽(101)&(102) YMO『Nice Age』 & Flipper's Guitar『Going Zero』

2019-12-31 13:59:38 | 気になった音楽
湖畔人です。

懐かしい未来を連想させる曲9曲目は、Yellow Magic Orchestraの『Nice Age』です。この曲は、彼らのアルバム『増殖 - X∞Multiplies』に収録された曲ですね。元々アメリカのA&Mレコードからの依頼でアメリカマーケット向けのシングルとして出す為に作った曲のようなのですが、アメリカではウケないだろうと言う判断でペンディングになった曲のようなのです。この曲の途中の謎のアナウンスは、このアルバム録音当時、YMOと元ビートルズのサー・ポール・マッカートニーとのセッションが予定されていたのにポールが来日時大麻で捕まってしまったため、セッションが流れてしまい、その際の当時のポールの妻であったリンダマッカートニーのメッセージが曲中のニュース速報になっているようです。速報中で読み上げられる「22番」とはポールの拘置所での番号だったそうで、この速報で使われたフレーズ「Coming Up Like A Flower」は同じ年の4月に発売されたポールの『カミング・アップ』でも歌われていたフレーズだったようですね。麻薬、ビートルズの数少ない負の遺産です。それにしても、矢野さんの歌うサビの所は小型の宇宙船に乗って飛び去って行くかのような浮揚感、未来感があってとってもカッコイイですよね。でも曲は若い男子達を弄ぶ悪い熟女の話のようなので何かダークなテーマの曲ですね。NICE AGEとはイイ時代ではなくこの女性はイイ歳の女の人と言う意味のようなのです。ブラックですね。
当時のYMOは人気の面では世界一では無いですが、その先端性と高いスキルとその抜群のセンスで世界のプロのミュージシャン達に超リスペクトされていた存在であり、クラプトンがカバーしたりマイケルもカバーしたりポールが共演しようとしたりと実力的には世界の頂点に一時期君臨していた方々であったかと思いますね。ポールもYMOもお歳だし、幻のセッションを是非実現して頂きたい所ですよね。歌詞も変えてNICEAGEもイイ時代に変えて頂きポールと作り直して頂きたい位です。

このシリーズの最後、懐かしい未来を連想させる曲10曲目は、Flipper's Guitar『Going Zero』です。91年の曲ですね。言わずと知れた小沢健二さんと、コーネリアスの小山田圭吾さんのユニットですね。僕はリアルタイムと言うよりは、妹が彼等に注目していて自分が良く聴いていたアズテックやスタカン風のカッコイイバンドが日本にいるから兄貴も聴いてみろよ、と勧められて聴き始めたのがキッカケでしたが、当時の自分は珍しく勉強に忙しくて、海外にも行ったりして色々とドタバタしており世事にも疎くて、気付けば彼らは最後のアルバムを出して既に解散していましたね。最後のアルバム『DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-』は、妹が言っていたようなネオオアコ風な感じはもう無くて、見た目も何かベルベットアンダーグラウンド風になっており、どこか病的で、曲調もマッドチェスター・ムーヴメント風のグルーブが効いた曲が多くて、サンプリングも多用していたかと思いますね。その中で特に印象に残っていたのが、この『Going Zero』と言う曲でして、人類の共有する潜在意識の中にあるアカシックレコードと呼ばれる記憶装置に記録された世界の近代史の映像を高速回転で再生した映像を、高速で動く小型の宇宙船に乗りながら眺めているかのような気分になる曲だなーと当時思いましたね。一旦終わりになる現代文明のお浚いをさせられているかのような気分になる曲だなーと良く思ったものです。”Going zeroと呼んで少し判った気にもなるだろう?”と言う歌詞の通りでして、何か少し判ったような気になったものです。センスが良すぎて頭が良すぎた彼らはあっという間に当時の“世界”の日本だけでなく当時の”世界”の音楽シーンの頂点に一時期立っていたかと思いますが、”こんな簡単に頂点を手に入れてはいけない、もっと学ぶべき事、経過すべき経験が足りていない”と思ったのかどうか定かではありませんが、自ら世界の頂点のポジションを放棄して山を降りる事を決意したのか、直ぐに解散を決めてしまいましたね。まるで当時の日本のようです。当時の日本は実質世界一の経済大国でニューヨークの高級物件や各種映画会社、様々なものを買い漁っていて、アメリカは日本に乗っ取られるのではないかとマジで怯えていましたね。今の中国みたいな感じです。でも世界に示す思想も無く、世界の紛争を解決する武力も発言力もリーダーシップも無く、あるのは金だけ、自虐史観で自己肯定が出来ず、自ら自らの力を弱めてはトップ争いのレースから自ら退場する事を決め、脱落し、停滞を選んだのが当時の日本でした。その態度が中国の台頭を招いたのですが、それはアメリカも日本も望んでいた事でしたね。別にフリッパーズが去って何か悪しきものの台頭を呼び込んだとは思いませんが、何か似たものを感じましたね。才能が有り過ぎて、周りとの差が大きすぎて何か怖くなったのかもしれません。真相は判りませんがね。その後、彼らは、それぞれ独自路線を進み、小沢さんは90年代ソロシンガーとして活躍し、その後、突然姿を消しましたね。最近また復活したみたいですけどね・・。小山田さんは独特なマニアックな音の求道者的なアプローチを続けて、時々YMOのサポートメンバーもされていたようですね。まぁ面白い存在、一時、スゴイ閃光を放って消えて行った特別な二人であったかと思います。

これで、このシリーズも一旦終了です。本当はもっと候補曲は沢山あったのですが、毒の少なさそうな曲を敢えて選曲してみました。でも、改めて、全体を見てみると大分毒がありそうな感じがしますね。退廃もあれば破壊的な感じもあり、でもまぁ若い頃は多少こうした色んな物を見聞きするのもありかと思います。今聴いても中々良い曲達ばかりです。

今晩時間があれば今年最後のブログをまた書くかもしれません。ではまた。

湖畔人


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