避難所へ
どうだったか 気になるでしょ
ばあちゃんたち3人を避難所へ連れて行って
その時は レベル3
父さん帰ってきて
さ~ 私たちどうするか?
1・本宅へ行くか
2・ここにいるか
3・父さんは会社に避難して 母さん一人は心細いから避難所に行くか
選択肢は3つ
その前に ばあちゃんたちに 敷物を届けないとね
電話をし 敷物と 毛布みたいなものを届けに
おばちゃんが1階に下りてきていて
父さんの話では 避難している部屋は満員だった って
見に行ったら ばあちゃんたちの入った部屋は 空いていたのよ
いくつも部屋があって なぜか ばあちゃんたちの部屋はすいていた
これは 後で分かったの
お布団わたし 状況が分かったので 家に戻り
急いでご飯3合炊いて
どうしようか・・・ 私たち
ご飯が炊けて おにぎり握って
い た ら
レベル5
真っ黒な画面に レベル5 の 文字
早く決断しなくちゃ~
そうこうしてたら 道が通行止め って お知らせ
父さんは 明日の仕事が 3時半起きの日 車出勤の時間だったから
会社に泊る! と 答えを
会社に電話で確認したら 仮眠室はいっぱいだから 休憩室だったら
けっこう 同じ考えの人 帰らず泊った人が多かったみたい
答えが出たから 母さんは避難所へ行くことに
足りないもの詰めて おにぎりもって
父さんは 母さん送って そのまま会社へ の支度して
避難所の入り口で父さんとは
ばあちゃんたちのいる部屋にいったら 相変わらず空いていて
(ほかの部屋はいっぱいだったのよ)
ばあちゃんたち
のんびりしてて お腹が減ったね~ だって
ご飯食べ
あとは 寝るか お話しするか
20時過ぎたら 部屋もすこし暗くして
そこから始まった
ちびっ子大会
だから この部屋は空いてたんだ~~ って わかった
かなり遅くまで 静かにならなくて 出て行く人も
母さんはラジオを聞きながら
で 思った
携帯あっても 情報はあまりわからない
区のHPもつながらないしね
やっぱり ラジオが一番でしたよ
絶対にあったほうが良いのは ラジオ
ずっと情報を伝えていましたね
そして 1時頃には落ち着く感じ
母さんうとうとしてたら 帰る人が出始めた
でもね この日は大潮 満潮が明け方
満潮になると タマゾン 水かさがかなり増すの
だから父さんと話していたことは 満潮のあと 帰るのが良いよ って
母さんたちは明るくなったら帰るってことに決めていたら
おばちゃんが 急に起きて 帰るから と
意味わかんない
おかしくなったのかもね・・・
あんなに決めていたのに
とにかく明け方帰るから我慢しろ って 注意し
明るくなり目が覚めたら 母さんたち入れて 4組だけ残ってたね
さ~ 帰ろう
荷物まとめて 外に出たら
ばあちゃん 黄色い 避難袋背負ってたの
なんでも 何十年も前に買ったので
1年に1度 中身をチェックしてるんだって
ちゃんと準備していてびっくりしちゃった母さんです
無事に一夜をすごし 家に帰って 爆睡しましたね
そして 大田区の避難所
場所によって 準備が色々
母さんたちが行ったところは 毛布も敷物も 少なくて すでに無かった
お湯だけは 電気ポットで 各階に
それだけ~
ほかの場所は いっぱい過ぎて 入れないところが多かったらしい
あと 到着するなり 敷物と毛布を渡された って ところもあったらしい
でもね~
他の県 川向こうの川崎は
避難した生徒さん話では 到着すると 敷物 毛布 を渡され
晩御飯 朝ごはん も 簡単な物だけど 準備されてたそうですよ
この違い びっくりね!
大田区は少し遅れているって あとから 耳にしましたよ
異常気象 被害が年々ひどくなってきたね