避難所へ

2020-01-11 | 災害

 

 

どうだったか 気になるでしょ 

 

 

ばあちゃんたち3人を避難所へ連れて行って

 

その時は レベル3

 

 

父さん帰ってきて 

 

さ~ 私たちどうするか?

 

1・本宅へ行くか

 

2・ここにいるか

 

3・父さんは会社に避難して  母さん一人は心細いから避難所に行くか

 

選択肢は3つ

 

 

その前に ばあちゃんたちに 敷物を届けないとね

 

 

電話をし 敷物と 毛布みたいなものを届けに 

 

 

おばちゃんが1階に下りてきていて  


父さんの話では 避難している部屋は満員だった って

 

見に行ったら ばあちゃんたちの入った部屋は 空いていたのよ

 

いくつも部屋があって  なぜか ばあちゃんたちの部屋はすいていた

 

これは 後で分かったの

 

 

お布団わたし 状況が分かったので 家に戻り

 

 

急いでご飯3合炊いて

 

どうしようか・・・  私たち

 

 

ご飯が炊けて おにぎり握って

 

い た ら

 

 

 

レベル5

 

真っ黒な画面に レベル5 の 文字

 

 

早く決断しなくちゃ~

 

そうこうしてたら 道が通行止め って お知らせ 

 

 

父さんは 明日の仕事が 3時半起きの日 車出勤の時間だったから

 

会社に泊る! と 答えを

 

会社に電話で確認したら 仮眠室はいっぱいだから 休憩室だったら 

 

けっこう 同じ考えの人  帰らず泊った人が多かったみたい

 

答えが出たから 母さんは避難所へ行くことに

 

足りないもの詰めて おにぎりもって

 

父さんは 母さん送って そのまま会社へ  の支度して

 

 

 

 

避難所の入り口で父さんとは 

 

 

ばあちゃんたちのいる部屋にいったら  相変わらず空いていて

 

(ほかの部屋はいっぱいだったのよ)

 

 

 

ばあちゃんたち

 

 

のんびりしてて    お腹が減ったね~  だって

 

ご飯食べ

 

あとは 寝るか お話しするか

 

20時過ぎたら 部屋もすこし暗くして

 

そこから始まった 

 

ちびっ子大会 

 

 

だから この部屋は空いてたんだ~~ って  わかった

 

かなり遅くまで 静かにならなくて 出て行く人も

 

母さんはラジオを聞きながら

 

 

で 思った

 

携帯あっても 情報はあまりわからない

 

区のHPもつながらないしね

 

やっぱり ラジオが一番でしたよ

 

絶対にあったほうが良いのは ラジオ

 

ずっと情報を伝えていましたね

 

そして 1時頃には落ち着く感じ

 

母さんうとうとしてたら  帰る人が出始めた

 

 

でもね この日は大潮  満潮が明け方

 

満潮になると タマゾン 水かさがかなり増すの

 

だから父さんと話していたことは 満潮のあと 帰るのが良いよ って

 

母さんたちは明るくなったら帰るってことに決めていたら

 

おばちゃんが 急に起きて  帰るから と

 

  意味わかんない

 

おかしくなったのかもね・・・

 

あんなに決めていたのに

 

とにかく明け方帰るから我慢しろ って 注意し

 

 

明るくなり目が覚めたら 母さんたち入れて 4組だけ残ってたね

 

さ~ 帰ろう

 

荷物まとめて 外に出たら




 

 

 

 

 

 

 

ばあちゃん 黄色い 避難袋背負ってたの 

 

 

なんでも 何十年も前に買ったので 

 

1年に1度 中身をチェックしてるんだって

 

ちゃんと準備していてびっくりしちゃった母さんです

 

 

無事に一夜をすごし 家に帰って 爆睡しましたね

 

 

そして 大田区の避難所

 

場所によって 準備が色々

 

母さんたちが行ったところは 毛布も敷物も 少なくて すでに無かった

 

お湯だけは 電気ポットで 各階に

 

それだけ~

 

ほかの場所は いっぱい過ぎて 入れないところが多かったらしい

 

あと 到着するなり 敷物と毛布を渡された って ところもあったらしい

 

でもね~

 

他の県  川向こうの川崎は

 

避難した生徒さん話では  到着すると 敷物 毛布 を渡され

 

晩御飯 朝ごはん も 簡単な物だけど 準備されてたそうですよ

 

この違い  びっくりね!

 

大田区は少し遅れているって あとから 耳にしましたよ

 

 

異常気象 被害が年々ひどくなってきたね

 

 

 

 

 


これも忘れてた 台風19号避難所へ

2020-01-10 | 災害

 

 

これも書かなくちゃ! って 思ってて先延ばしになってたよ

 

 

2019年の台風19号の話

 

その前の15号のときは サチモスのコンサートに行って

 

電車が止まるってお知らせ北から

 

後ろ髪惹かれる思いで  途中で帰ってきた

 

それは正解

 

最後まで居た人は 大変な思いをしたらしいからね

 

そして まもなくやってきたのが19号

 

凄いことになるって 大騒ぎ

 

朝から 区の が 避難所解放したから お年寄り・・・は避難所へ~ って

 

父さんはお昼までのお仕事  午後はお家にいたの

 

心強かったけど

 

どんどん携帯に来るお知らせが 頻繁になって レベルも

 

 

父さん出勤後から準備開始はしてたのよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

避難所に行くときの荷物と

 

 

排水溝用に 水の袋を作って すぐに置ける様片付けて  水の袋を近くに置いて

 

 

父さんお昼過ぎに帰宅

 

まだ電車は止まっていなかった

 

 

 

どうも風より 雨で川が大変なことになるだろうってお知らせが

 

でもね そんなに気になるほどは雨は気にならなかったの

 

みんなそれは言ってたね

 

15号のときの方はすごかったって

 

ただし  この辺は大丈夫でも タマゾンの奥の方が 物凄い雨降るって

 

そうなると 

 

 

生徒さんから大丈夫ですか~ と 電話があったり

 

とりあえず 避難することになったとき  停電になったときの準備

 

そして もし 浸水したら・・

 

どうしようかね~ って話になって

 

本宅の2階に逃げるか マンションの上に逃げるか  避難所に逃げるか

 

ばあちゃたちは2階があるから大丈夫 と言ってるけど

 

もし大変なことになったら 2階に逃げて平気でも 数日そんな状態が続いたとしたら・・・

 

色々考えて ばあちゃんたちは 避難する準備をして頂戴 と 

 

 

だんだん 危険レベルも上がってきて

 

 

これは~ 決断しないといけない

 

 

ばあちゃんたちには 避難してもらうからと決定!

 

15時まえだったかな

 

母さんたちは まだ悩んでた

 

本宅に2階に避難するか  ここに留まるか

 

 

何かあったら 上に逃げればいいし

 

 

レベル4になり 老人2名を避難所に連れて行くことに

 

 

電話をしたら 奥の●●さんも一緒にいくから ちょっと待って といわれ

 

 

父さん 

 

 

そう言う時って 個々で って さんざん言われているのに 

 

仕方がないから 少しまって  老人3名を避難所へ 


その避難所


わが村では 何かあったら 中学へ


と 老人会では言われてた


でも 通り道に学校がいくつかあるから


小学校 中学校  最後に 出張所


と回ってみて といったら



父さん 激怒!!


なんで~ 避難所 ちゃんと調べていないんだ! って

 

確実なのは 出張所

 

行く途中 回れるから 念のため見て行って と言ったのに

 

それは頭に入らない父さんでした



 

父さんがいない間に

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

排水溝全てに 水を入れたゴミ袋を置いて

 

 

 

間もなく到着避難所から帰宅

 

 

避難所 何にもないよ 

 

あれじゃー お母さんたち 床が冷たくて硬くて 眠れないと思うよ って

 

 

さ~て 困ったね~

 

 

この続きは明日


台風19号 人生初の避難所

2019-10-12 | 災害

 

    台風19号

 

 

 

夜は 我が家は避難所生活

 

 

タマゾン レベル5 まで行きました

 

 

21~22時ごろ台風が通過しそう

 

17時頃 どうするか? 父さんと相談

 

もしもの時のために 本宅の2階に避難するか?

 

避難所に行くか

 

ここに居て 何かあったら 上の階に逃げるか

 

 

どれも

 

 

ただ・・・

 

老人たちがどうなるかわからないのは ストレスになるので

 

 

避難所に行く! を選択しました

 

 

急いでご飯炊いて おにぎり沢山握って  もっていくもの準備して

 

 

18時頃本宅へお迎え 


ばあちゃんたちは 行かなくて大丈夫!


と 行きたくないと

 


ま~ 2階があるから あと 何かあったら お隣の若夫婦さんが


うちに来てくださいね と 常日頃言われているそうで



お隣さん 相当お金をかけて基礎工事した


凄い家 


何かあったときは 心強い


他人だけどね



でも 避難所選択でお迎えにいったら

 

なぜか 奥のおばあさんも行くことになっていて 

 

母さんは一緒に行くのはやめ 4人しか乗れない

 

 

父さんたちに老人を

 

 

そうそう 川向こうにも 父さん 

 

 

「俺が見る」 と啖呵を切った すぐ近くに住む  のに行くと安心なんだけど(2階です)

 

父さん ばあちゃん2号に電話をしたけど 



とは連絡を取っていないらしく 

 

 

さ~ どうしよう

 

 は仕事柄 おそらく夜通し仕事になるだろう

 

 は 運転できるらしいので ばあちゃん歩くの大変なのでで来てもらえればいいのにね


 

な~んて 父さんと話したんだけど 

 

ばあちゃん2号の後に  に電話をしたら 車で仕事に行っているって

 

 車なしか~

 

じゃ~ ばあちゃん1号を送った後 ばあちゃん2号を の家に送って

 

そのあと 父さんと 母さんどうするか にしよう と

 

 

もう一度 ばあちゃん2号に電話をしたら マンションに 工事の人が常駐しているから大丈夫 って

 

 

何かあったら  に電話をするから と言う話

 

 

母さんが思うのは もっと前に  に連れて行けばいいのにね  と

 

近くに住んで2階だったら とっくに家に連れてきてたと思う 母さんだったね

 

そんなので どうするか? 悩んでいるうちに 時間がどんどんすぎちゃって

 

 

さ~て 自分たちどうするか?

 

本宅の2階に行くか

 

このまま過ごして 何かあったら上の階に行くか

 

避難所に行くか

 

父さんは会社に行っちゃうか

  

 

ところがね 父さん 明日の仕事が6時ちょい~で 

 

ちゃんと寝ないと嫌だから 避難所には行きたくないって

 

ちびっ子運動会 

 

確かに ちゃんと睡眠時間を取らないといけない仕事


 

こんな時に 明日の仕事がどうのこうのと言うこと自体が

 

おかしな人じゃないか?? って

 

父さんに注意しましたよ

 

 

で どうする??

 

 

悩んでいたら また 大田区からのお知らせ

 

 

一般道が通行止め 

 

 

会社行く! を選択するなら 早く家を出ないとダメで

 

 

と言うことで 母さんは 避難所へ

 

 

父さんは会社のタコ部屋へ

 

そう言う選択にしました

 

 

母さん送ってもらい 父さんは 会社へ

 

 

この続きは明日

 

 

 


半年たちましたね  

2011-09-11 | 災害

 ?   ?   蒸し蒸しは続いております

 

今日で3月11日から半年たちました

まだまだ先は見えない被災地


でも 今日のテレビで 震災後1か月ほど~ 仕事をスタートした方が

その方の目つきは違いました


ずっと先を見ている目でした  


目の前のどうにもならない景色を毎日目にしながら


今の現実よりも ずっとずっと先を

色々浮かんでくる事を できる事から



人間 やりたいと思う事   得意な事   好きな事   思い描くこと   

それが できる ある って 強みだな! と思いました


元気な身体さえあれば 今より前進できるんだな  って 


そして 弱い人たちの力にもなれる


きっとあの方は 事業を軌道に乗せ 地元の力になるのでしょうね

 

もう一人の方は女性 年配の方

仮設に入ったのは良いけど 月3万の年金での生活

ご飯は ご飯とみそ汁だけ

そんな日が続いているようですが  手に職があり ミシンで何とか生計を立てたい

ミシンは知人より譲り受け

でも糸が無い・・・

すくない糸でぼちぼち仕事はじめる方向に




母さんも  やろうと思える物  できる事  


自分に力をもっとつけたいと思います



そして 昨日生徒さんから


お教室のあった木曜日の夕方から 別荘のある相馬へ

常磐道は途中から使えませんので 東北道経由の遠回りに



生徒さんのお家は 高台にあったので津波から逃れることはできましたが

目の前のお家はすべて 


「お家の近くにある レストランんのお子さんが 今日テレビに出るんですよ 見てください

私と同じ名前の ももこちゃん って言うんですよ」 と


相馬の小学校の子どもたちを追った ドキュメント   21人の輪


その番組の中に登場した 女の子 ももこちゃん

お父さんは地元でレストランを

店は水に浸かったものの

なんとか残り でもこの先は・・・  のお父さん

お嬢さんが お父さんの料理が食べたい  の一言で 再びお店を始める決心をし・・・

そんなお話でした


生徒さんは 今回そのお店に行き 

「心のこもった 美味しいハンバーグを頂きました」 とメールが届きました



半年前の3月11日

あの時は 先の事すら考えられない 


被害の少ない東京でも 皆元気を失い 

日々の不安なニュースに


本当に辛く苦しい もやもやした毎日でした

ご飯も食べたいと思わないし 一口食べただけでお腹いっぱい

あの時 ほんのわずかな時間で 6キロ痩せました


でも 半年たった今 世の中は まだまだですが 

後戻りせず 止まることなく 少しずつ前進しています

母さんも また元に戻りました



3月11日 地震の起きるまえ  13時12分






右に居る方はきっと羽田へ向かうバス待ちだったのでしょう

 

用事を済ませ 先生のお店  まやんち でお茶

 この時14時31分 

 

40分頃お店を出て 区役所へ

そこで地震に


この日は住民票をもらいに 大田区役所へ

係りの人の説明を聞いている時 父さんが 「地震じゃない?」

この時 まだ誰も地震に気が付かず

父さんはこの後も 「地震じゃない? 揺れてない?」 って

でも まだ誰も気が付いていない

皆 普通


区役所の説明をしてくれている おばさんも全然気が付かず


父さんが 「地震だ 地震だ」と言い続けるので おばさんは 人の話も聞かないで! と

ちょっとむきになり 説明を続け

揺れが大きくなり 皆が騒ぎ出したら おばさん その場からどこかに逃げてしまいました


揺れは収まるどころか どんどん大きくなり 

父さんは 「外に出たらだめだ! ここにいたほうがいい!」と冷静に

母さんと父さんは 大田区役所内に居ましたが 上を見ましたら 周りはすべてガラス

隠れるテーブルも無く



上のガラスが落ちてきたら危険なので  外に出て広い場所へ逃げました



地震直後    まだ揺れている最中です

 


落ち着いているように見えますが この時も大きく揺ら揺ら揺れて  左の女性は逃げています

安全な場所で携帯で情報収集をしている方が多かった気がします


今まで耳にした事のない 警報が鳴り続けました



あれから半年たちました



今日より明日 明日より明後日

少しずつ前進しましょう


でも あの日の事は忘れずに




さて 今日は昨日の晩御飯の事を


昨夜の晩御飯は 例の南瓜を頂きました

 

 

 
取りあえず 煮物で


この南瓜 本当に分かれるんです

ホクホクか ネットリか

美味しいか  不味いか


今回のは ホクホクではなく ネットリ水っぽい方

でも そう不味くはなかったので


これを初めて目にした 10年くらい前は 

どこで買っても ホクホクで美味しかった気がします


そしてタコのお料理を

こちらは義歯の入っているばあちゃんには絶対


やわらか~く煮た タコ



このお料理は 家族皆が喜んでくれました

 
また作ってね! って

何よりうれしい言葉です

 

 そして本日


今日はのんびりできる日

午前中 お散歩で本宅へ

そのまま 春ちゃん洗濯

お昼前に帰り    


明日だ~~   


中秋の名月


と言う事で お饅頭を作ることになりました


それを口にしたら


「じゃ~ 私にも」


ばあちゃんから頼まれました


明日 踊りのお教室に持って行くのと 

お世話になった方へ したいみたいです


何個作ればいいのか?

餡子を練る時間は無いので 冷凍している白あんで 黄身餡を作りました

黄身餡と オレンジ風味の餡子を作って

お饅頭つくりの下準備を


明日も朝からお饅頭つくりの1日になりそうです


 

  


相馬の様子を聞きました

2011-04-14 | 災害

  良いお天気

 

今日も早起き父さん

昨夜は本宅にお泊り予定でした春ちゃんは こちらに泊まることになり

結局2度ほど起こされました



春ちゃんは また父さんが起きると起きてきて

禁断の和室のお布団に座ったかと思ったら




父さんも母さんも朝は忙しいので春には構わず

静かだな~ と思いましたら




寝る準備に入っていました

 

でも お布団無いし~


それでも 寝る春ちゃん




可哀そうなので 父さんにお布団を持ってきてもらい





ようやく落ち着きました

この後 父さんがお仕事へ

母さんはお教室の支度

に向かっていましたら

「ヴ~  ヴ~」と二声

何かと思い 後ろを向きましたら

春ちゃんお布団に綺麗にお座りし 母さんの背中に向かって ヴ~ヴ~言っていました

理由は??

お布団かけてください  でした

お布団を手にしたら また横になり  母さんにお布団をかけてもらったら

ずっと熟睡していましたが 8時に無理やり起こし  本宅へ


母さんは直ぐ帰り 掃除  準備




11時~ お教室でした

 

今日は 先日お話しました  福島の相馬に別荘を持っている生徒さんがお見えになります


いつも 木曜日のお教室が終わると 相馬のほうにいらっしゃるので 

3月の地震の時は 

まさか・・・  と  ドキドキ

すぐお伺いのメールをしたかったのですが 混乱している時にメールは・・・

翌日の朝 送れるか?わかりませんでしたが 

この時はご自宅にいることを知り安心しました


今日1か月ぶりにお会いし 先週相馬に行かれた時のお話を伺いました

先月は 本当でしたら地震のあった週にでも 「相馬に行こうと」 お友達と話していたそうですが

お教室があるのと  次の週だと 学校も春休みになるから・・・  という事で

1週間前に相馬へ

運が良かった


その後 相馬のお隣のお家の方が避難で その方のお家へ

1か月ほどは・・  と思っていたそうですが 8日で相馬のほうに帰られたと

相馬のお家は お隣さんも 生徒さんのお家も ちょっと高いところにあり 難を逃れたそうです

その事は後程

なぜ8日でお隣さんが帰ったかと言いますと 相馬の難を逃れたお家の周りには お年寄りが多く

生徒さんのには30軒ほど 隣の高台のには50軒ほど・・・

そんな感じで 少しのお家が無事

ほとんどがお年寄り  電気もガスも水も…なかなか復旧せず

と言うのも お年寄りたちはおとなしく  県や国のほうに 復旧を早く! と言う事は言わずに我慢

今回の地震で 強く意思表示をしないところはどんどん後回しになっているそうで

それを知ったお隣さんは 「早く戻って 若い人たちがたちが働きかけないと!」 と言う思いで 
相馬にすぐ戻られたそうです

それから  空き巣の心配 

多いそうです



黙って国や県の対応を待っていたのでは 先に進まない所が多い・・ と耳にしましたが

本当のようです


残ったお家などで避難生活をしているところは お年寄りも多く 不自由しているのだと

その後 その場所には 電気も水も・・ 無事

それを聞いて 生徒さんは先週相馬に向かったそうです


常磐道経由ではいけないので 東北道から海のほうへ

地震前に見た景色とは全く違う景色に

その方のお家は少し小高い丘の上 

そのすぐ下に 神社?お寺? さんがあり  

昔から 「津波が来るときはこれより上に逃げろ!」と言われていたそうで

生徒さんのお家はそこより少し上に

でも お家より1分ほど歩いたところまで津波が  根こそぎ


お宅からは 海が見え 畑がみえ 近くには美味しいイチゴを育てている農家があったり・・・

長閑でそれはそれは良いところ   だったのが


とにかく戦後の焼け野原のようで何も無く・・ とお話していました


先週 丁度相馬のお家に着いた日

疲れてすぐ

その時 大きな余震があり


その時は縦揺れ

びっくりし 柱にしがみつき 

大きな直下型・・・

どんな感じかとお聞きしましたら ガガガガガガ・・・・・・・・ と上下に

その感覚と 感じる揺れは ちょうど道路工事でアスファルトを砕く ? 何て言いましたっけ??

手でハンドルを持ち 先の部分でアスファルトを砕いていく機械

それと同じくらいだったそうです


生まれて初めての体験だったと


幸いにして 生徒さんのお家は つい最近新築したばかり

家を建てた工務店さんと大工さんは 宮大工

通常より 補強をしっかり

今回の地震・余震 に 外も中もびくともしないそうです

丁度 先週の余震後 工務店の社長さんが家を見に

びくともしていないのに安心して帰られたそうです

おしゃれで こだわりのある

家具もすべて作り付け

食器戸棚には 大好きなアンティークが

それも どれも倒れず


もちろん 周りのお宅は 色々なものが倒れ 壊れたそうです


さすが 技術の高い宮大工さんの建てたお家


お家は無事でも まだまだ安心はできず

第1原発から 50キロだそうです


早く落ち着いてくれることを




そんなお話をお教室前に


とにかく皆さん 元気でよかった


いっぱいお話をしましたが 手際のいい皆さん

時計を見ましたら 3時間かからずに試食






お教室が終わりました



4時過ぎに春ちゃんを迎えに


今夜はこちらで晩御飯

春はこちらにお泊り

もう母さんの後ろで熟睡しています