今日で今年も最後
今年1年は とにかく大変なことが多すぎた1年でした
2022年のクリスマスのころ~ ずっと色々ありました
まずは 父さんの野球部の仲間が 若年性痴ほう症で2022年12月25日に亡くなり
ご家族から連絡があり
奥様のお話を聞き 2人して
どんよりしてしまい そのまま2023年を迎え
今度は 母さん 左半身のしびれと強いめまいで
もしかして 脳梗塞
年明けに大きな病院に予約をし 脳の検査
結果 頸椎が悪くその影響
少しほっとしたら
父さん かかりつけで 胃と腸の検査をしたら
ポリープ数個
1個はちょっと大きいから 大きな病院でとることになって
それで 父さん
自分はとても悪い病気になったと思い込み
毎日毎日 同じ話を聞かされ ため息も1日中耳にし
母さんの方が精神的に
嬉しいことに 体重が減り
父さん 大きな病院でポリープ取って 落ち着いて
まもなく ばあちゃんが調子が悪くなって
家で寝たきりに
いつもの病院に行ったら 心不全が進んだと
まもなく 母さんと父さん ベトナム旅行 長野旅行
行けるかどうか?? 微妙
なんとか行けて ばあちゃんは良くはならないけど 何となく落ち着いて
それから TAVIをやろう!と ばあちゃんを説得
いつもの西麻布の病院では やってもいいけど リスクが高すぎる
という話
たまたま ばあちゃより8歳年上のおばあちゃん(100歳)が川向うの有名病院でやって
楽になった ぜひ行ってみると良いですよ という話を聞き
川向うのその病院は 以前脳の手術で ばあちゃん入院しているし
心臓と脳外は有名
なので すぐに外来予約をし
うちでは 入れられなかった人は0です
Oさんは 元気だから大丈夫!
8月3日が空いてます
と太鼓判を押され
変わった名前の自分の名刺に 赤ペンで でかでかとフリナガを書いて渡され
この人 相当自信があるんだな こんなドクター初めて会った・・そう思った
ばあちゃんと よかったね と病院で喜んだあの日
良くなって 坂の上のマルエツも行けるようになるな って 想像し喜んだあの日
帰りに 偶然ブルテリアをみかけ
これは絶対に良いことが起きる
ばあちゃんもそう思ったはず
数日後入院し 1週間ほど検査
大福食べたい 肉が食べたい そんなメールのやり取り
退院したら全部できるから 今は我慢して
と返事をし TAVI前日の
嫌だな~ とがきて
それが最後の
コロナの制限で1週間に1度しか面会できない
術後の主治医の先生からの電話がどうもおかしい はっきり話さない
これは何かあったに違いない
次に電話が来たけど 別の若い先生
しばらく別の先生からの報告 2日に1回程度
どうもはっきりした話をしない
初めて面会が許され 会った時のあの衝撃
もうばあちゃん だめだな と
1か月くらい入院し 次に登場したのが N田という ソーシャルワーカー
初めて話したときに どうもうさん臭さを感じた
手慣れてる 話し方が
N田とは数回のやり取り リハビリすれば 車いすを使い家で暮らせる
Oさん 頭はしっかりしているから と 冗舌すぎる話
ばあちゃんとは面会制限であまり会えていないので
今どのような状況かも??
本当にこの人慣れてるな~ と感じた
状況が悪いまま
ほかの病院に転院しなくてはいけなくなり 大田区の陸の孤島病院へ転院
そこでの対応がひどくて
ただ 毎日お見舞いOK
少しでも良くなれば と おかずを作って
全然改善しない 看護師に詳しく話を聞かせてくれと言っても
まったく相手にされず
前の病院からの話ととにかく違うので 母さん 病院に対し??
主治医の先生も ちゃんとした話をしてくれない
これは 何か隠している
あまりにひどくて ソーシャルワーカーに相談したい と話したら
そんなこと必要ですか!と 強い口調で看護師に言われ
あの対応はひどかった!!
とにかく 前の病院からの流れがおかしくて
母さんドンドンストレスに
1か月で体重10キロ近く
父さんも心配になってきて
こんなのが続くようだったら 自分も心療内科に行こうか と
さらにばあちゃんの様子がおかしくなってきて
それでも病院はちゃんとした説明をしてくれない
母さん 大きな声も お腹が震えて でなくなって
もう限界 壊れちゃう
でも 前に進まないと ばあちゃんがかわいそう
あんな病院にいては良くない!
誰に相談すればいいのか・・・
父さんなんか話にならないし
で 大田区の包括センターに相談しに行った あの暑い日
親切に対応してくださり
とにかく 早くお母さんを家に連れて帰りましょう
病院が説明をちゃんとしていないのが悪い これでは家族が戸惑うのは当たり前です!って
やっとわかってくれる人ができ
じゃ~ どんなに大変でも とにかく家に1秒でも早く連れて帰ろう!
そう 決心し
24時間介護覚悟で ようやく前に進んだあの日
ちょうどその覚悟をした翌日に いとこの長女Kちゃんが心配してくれて
本当にうれしかった
自分の行った行動は間違っていない! と 自信を持てた
そして ケアマネージャーを早急に と話がどんどん進み
退院したいと看護師に伝え
退院調整看護師?という人との話し合い
父さんと説明をうけたけど
まったく私たちに伝えられていなかった話が沢山出てきて
頭にきて
今の話 そのほかにも
私たちには全く看護師からも主治医からも話は聞いていません!
こちらから 色々聞きたくて 聞いても
ちゃんと説明してもらえないでずっと来ました
と
そうでしたか 申し訳ございません
看護師に伝えておきます
と 言われたけど
もう後の祭りよ
とにかくひどすぎた 陸の孤島病院
そして 数日後
今日はばあちゃんの好きなものを作って持っていこう と考え
いつものように父さんの出勤をお見送り
父さんは出勤するのにドアノブに手をかけたとき
8時半
こんな時間は もしかしたら ピンときた
電話に出たら 危篤状態の話
さっきまで 朝の薬を飲んで いつもと同じだったのに急変した という話
40分くらいで到着します と伝え
3人で
あと数秒遅かったら 父さんは仕事に出ていた
これは ばあちゃんがそうしてくれたんだ とすぐわかった
病院に間もなく到着
すでにでしたが
それにしても ばあちゃん 冷たすぎる
40分でこんなに冷たくなるはずない・・・
氷みたい
多分 病院の言っていることは 全く嘘だろうと思った
悲しみも何もなかった
すでに死を感じ 受け入れていた母さん
TAVIをして初めて面会した時から
1か月と24日
おむつが嫌なばあちゃんは おむつになり
声も聞こえないほどの声しか出なくなり
寝返りも自分でうてなくなり
8フ月3日 この1日にして別人になったしまった
正直 失敗だったのだろう
でもね 父さんが
きっと お母さん これから先 生きたとしたら
大変な毎日になるから 俺たちの事思って
旅に出たんだと思うよ って
母さんもそう思った
ばあちゃん ありがとう
母さんは こんなに嫌な思いをさせてごめんなさい
それしかなかった
やらなければ あんなつらい思いをしなくて済んだはず
リスクが高いから 僕の親だったらやりません といった
かかりつけの 西麻布のK先生にお願いしていればよかったと
今回 別の病院2つにお世話になったけど
いつも通っていた西麻布の病院は 看護師もドクターも事務員も
本当に品格がある(行いに)そう思った
川向うの病院は YouTubeでTAVIについて自信満々にしている
外来で うちは100%成功している と話した
確かに 入れることができれば ということだけを考えれば100%かもしれないけど
ばあちゃんみたいな失敗例は 表に出ていない
9月17日㈰ 8時25分となっているけど
おそらく もっと前に
そんなことはどうでもいいけど
今でも ふと お母さんごめんね という気持ちが出てくる
コーナン行っても 海の方を見るのが
ラゾーナ行っても 嫌な気持ちになる
蒲田の東口に出て バスを見ると な気持ちになる
あのバスに乗って通ったな あのひどい対応の8階病棟
すべてを受け入れているけど なかなか消えない
でもね そんなどんよりした毎日を送っていたけど
みんなに助けられ こうして忙しくしてきたおかげで
思い出す時間が減って
今年も年越しそばを沢山打ち 生徒さんの打つのを手伝い
いつもと同じ 12月31日を終えることができました
料理を作ることが好きでよかった
料理を作ることに救われた母さんです
忙しくても ちゃんと家族のご飯を作って
季節の事もちゃんと作って見せてくれたばあちゃん
そういう背中を見せてくれたばあちゃんに感謝しています
いろんなことがあった1年でした
そして今日は 恒例になりました
西川先生がお蕎麦を打ちに
ご近所さんが楽しみにしているそうです
母さんより上手です
美味しい物をみんなのために作ってあげる
これもばあちゃんが見せてくれた事
お母さん
手間をかける事を楽しむ ってことを教えてくれてありがとう
私の周りにいる皆様
今年もお世話になりました
来年もよろしくお願いいたします