華麗なるオーストラリアンライフ

渡豪17年。職業・看護師。
白熊のようなオージーの旦那1人とワンコ2匹で
ニューサウスウェルス州の田舎町で生息中。

幸か不幸か

2009年04月18日 01時21分33秒 | Weblog
私は、なぜだか知らないけど、自分は運がいいと信じている。といっても宝くじに当たるとか、クイズで旅行が当たるとかそういう類のものではないけど。たとえば、「このままだとヤバい!」って思った時に、なぜかしら誰かからの助言やアドバイスで活路を見出すとか、事情が変わって事態が好転するなど。それもこれも、普段から最悪のことを考えて、それを避けるための努力をしているからこその結果やと思いたいけど、今夜、そんなことを考えていて、ふと思った。

私は“運がいい”のではなく、事態を都合よく考えるのが得意なのでは?

と。

さらに

運の悪さを無視するのが得意なのでは?

とも。

若いころはもっととんがってて、何につけてもあーだこーだと文句を言ったもんだけど、年を重ねたせいか、最近では何か悟っちゃって多少のことには目もくれなくなっている。
例えば、今就職がない。私が大学を卒業した時も“氷河期”と言われた時代で、付け加えるならば、大学進学当時はバブル期であったため「大学に進めば一流企業間違いなし」と言われた頃だった。誰もがまさか卒業時に仕事がないなんて想像もしなかったと思う。そんなわけで、当時は昭和48~49年生まれ(要は同級生)がいかに不遇であるというを声高らかに語ったものだった。

今。私はいうなればフリーターで、しかも年は三十路も半ば。もちろん将来を憂いて不安になることは多々あるけど、最終的には「どうにかなるさ!」と思っている。これは、年を重ねることにより、生き抜くたくましさを身につけたからかもしれないが、どこかで「いいことが待ってるって」という意味不明の楽観的思考からきているものであるような気がする。

小さいことでも「私ってこんなにラッキー」と考えられる能力。

愛少女ポリアンナだってビックリのはず。

もちろん、いつもいつもってわけにはいかないけどさ。

この性格が吉と出るか凶と出るかはわからんけど、何事も表裏一体なので、良い様に考えて、今の環境を乗り越えていこうと思う。
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