かつてプロ野球 大毎(現ロッテ)、阪急、近鉄(両チームとも現オリックス)で監督を務め、
8度のリーグ優勝を達成した西本幸雄氏が亡くなった。
しかし、一度も日本一になれずに、“悲運の名将”と呼ばれた。
特に、阪急は毎年Bクラス、近鉄に至っては「お荷物」とさえ言われ、ほとんど最下位だった。
阪急時代の5度の優勝は、V9の川上巨人に敗れ、
近鉄時代の79、80年は広島・古葉監督との激闘で、いずれも第7戦で力尽きた。
特に79年の日本シリーズは1点差を追う9回に無死満塁の場面まで作りながら、
あと一歩で敗れ、後に「江夏の21球」として語り継がれる名勝負になった。
私は、何を隠そう「近鉄ファン」でした。
この頃、悲願の初優勝、連続優勝を遂げ、日本シリーズでも近鉄の試合が見られて
幸せな時でした。
この後、仰木彬監督、梨田昌孝監督でリーグ優勝をするも、
西本監督同様、近鉄球団も12球団で唯一「日本一が無い」球団でした。
「熱パ」の中心にはいつも近鉄があり、
「いてまえ打線」の野球は見ていても迫力があって面白かった。
それもこれも、西本監督就任からチーム力がアップしたことは間違いがない事。
~~~~~~~ ご冥福をお祈りします・・・ ~~~~~~
8度のリーグ優勝を達成した西本幸雄氏が亡くなった。
しかし、一度も日本一になれずに、“悲運の名将”と呼ばれた。
特に、阪急は毎年Bクラス、近鉄に至っては「お荷物」とさえ言われ、ほとんど最下位だった。
阪急時代の5度の優勝は、V9の川上巨人に敗れ、
近鉄時代の79、80年は広島・古葉監督との激闘で、いずれも第7戦で力尽きた。
特に79年の日本シリーズは1点差を追う9回に無死満塁の場面まで作りながら、
あと一歩で敗れ、後に「江夏の21球」として語り継がれる名勝負になった。
私は、何を隠そう「近鉄ファン」でした。
この頃、悲願の初優勝、連続優勝を遂げ、日本シリーズでも近鉄の試合が見られて
幸せな時でした。
この後、仰木彬監督、梨田昌孝監督でリーグ優勝をするも、
西本監督同様、近鉄球団も12球団で唯一「日本一が無い」球団でした。
「熱パ」の中心にはいつも近鉄があり、
「いてまえ打線」の野球は見ていても迫力があって面白かった。
それもこれも、西本監督就任からチーム力がアップしたことは間違いがない事。
~~~~~~~ ご冥福をお祈りします・・・ ~~~~~~