チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

大難が小難

2011年09月03日 11時05分18秒 | 日記
ここのところわがスタッフの1人が小さなミスを頻繁にする
そのミスは住所変更が届いたのに
変更を忘れもとの住所に手紙を送る
「これはこう代えて」
「ハイ」
といっていながら変わっていない

使っていたものを置きっぱなし
「伝えてほしい」
といわれたことを伝えていない

チャコちゃん先生はそういうミスを暫く観察している
1回くらいのミスは知らん振り
しかし続くと緊張する

それは大難を起こす前のお知らせだと思うから
自分ではミスの連続は気が付かないことが多い
1回のミス素通り
2回目のミス まいいか
3回のミスアアまたやっちゃった
4回目 わたしはだめだなあと自分を痛めつける
5回はもう無いいきなり大きなミスになる

ミスは誰でもやる
しかしミスに気がつかないとその先に大難が待つ
大難は小さなミスで兆しを教えていると思う
だからミスをする自分を責めてはいけない
知らせてくれた「天」チャコちゃん先生はその「気」を
「うーちゃん」と呼んでいる

「アミスしちゃったうーちゃんありがとう」
といっていれば絶対大難はこない

1回目のミスは気がつかない
そのとき気がつくと2回目はない
気がつかないと2回目がくる1回目より重いミス
またそれに気がつかないと更に重いミス
4回目は人に迷惑をかけたりする本格ミス
そして5回目は「ポカ」

ミスの連鎖はこうやって現れる
それは私達人間の成長をウーチャンが望んでいるから

よく
「ピンチはチャンス」とか「失敗は成功の元」
という
ピンチになる前に天はきちんと教えてくれているのだ
其れをキャッチするセンサーは
正しいものを食べ正しい生活をし自然素材の衣服を着る
これに尽きる

そして自分がどう生きたいのか
しっかりと肚に落ち着かせていることだと思う

どうせ人間は必ず死ぬ
死ぬために生きているんだモノ
自分の人生を生きなくてどうする

ミスは自分で気が付かないことが多い
指摘されてはじめて分かる場合が多い
だから人間は1人では生きていられない
1人では成長しない
成長が無いと幸せになれない

年とともにミスを指摘してくれる人がいなくなる
だからこそ人のミスにわが身を振り返るということになるのだろうか
人のミスも自分のもの
コメント
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