日本を救った皇女和宮のことを書きたいと思う
歴史上の人物で好きな人が二人いる
奈良時代の大津皇子 そして明治維新時代の皇女和宮
徳川家茂に嫁ぎ幕末の嵐に巻き込まれながらも徳川家を守ったことが日本を外国から守ったことになった
明治維新の話は男の活躍ばかりが取り上げられているが
和宮を筆頭に女たちの冷静な判断がなかったら日本という国はなくなっていたと思う
さて
皇女和宮に興味を持ったきっかけは
小説家有吉佐和子さんの「和宮様御留」を読み内容の事実確認をしたいと思った
というのは私が思っている和宮様と内容がかけ離れていたからだ
有吉佐和子さんの担当をしていた縁もあり直接疑問をぶっつけたら「小説よあくまで」と軽くいなされた
では自分で調べよう とっかかりは着物だった
当時私は着物は持ち主を表すことを理解していた
和宮の着物を見ると人柄がわかる品があって優しく大きな愛を感じる
ホンモノを見たいと思って芝の増上寺に出向くと
当時はまだ和宮様の遺品はこの寺に保管されていて早速拝見することが出来た
どうして拝見したいかの趣旨をきちんと前もって手紙を出していたので快く様々なものを見せていただいた
それだけではなく後日撮影も許可していただいた
着物は作る人への思いやりも溢れた心あらわれるような静かな品格があった
夫の家茂将軍と仲睦まじい様子も手紙や書物で見せていただいた
その頃
皇女和宮の御棺の中を開けた時胸に写真を持っていたがそれは幼少の頃の許嫁有栖川宮のものだろうと世間では取り沙汰されていた
皇女和宮は国の政策公武合体のための犠牲者という視方が強かったのでなんとしても和宮様を悲劇の皇女にしたかったのだろう
家茂が庭に降りようとした時
和宮はいち早く縁側から降りて夫の草履を揃えていた
という付き人の記述もあり仲の良いご夫婦だった姿が微笑ましく垣間見える
何よりも大きな二人の愛を感じる布がああった
それはいまでも九条袈裟として増上寺に遺っている
家茂が長州征伐に出陣するおり皇女和宮に
「土産はないがいい?」とお聞きになると
「西陣織りの打ち掛けを出来たらーー」と夫におねだりをした皇女和宮
しかしその夫は出陣先で他界
その後西陣織の打ち掛けが皇女和宮のもとに届く、その打ち掛けを「空蝉」と名付け歌を読んだ
「空蝉の
唐織衣なにかせん
あやもにしきも君ありてここそ」
この時和宮はすでに剃髪をしていた
その後アメリカやイギリスは開国をしつこく迫り日本という国を占領するつもりで厳しい条約を突きつけていた
徳川家は朝廷の敵とされ江戸は焼き尽くされることになっていた
静寛院宮となった皇女和宮は西郷隆盛 山岡鉄舟などに手紙を渡し徳川家存続と江戸を火の海にしない願いを命をかけて奔走した
明治維新が無血の成就した裏に
皇族と将軍家のそして日本を守った女人がいることを忘れたくない
32歳で日本の存続の夢を描いてなくなった和宮を私は忘れない
23日の比佐子徒然では 今回は和宮と日本という話をいたします
1時30分から二時間 会費無料
#皇女和宮 #空蝉 #九条袈裟 #増上寺 #中谷比佐子 #比佐子つれづれ #開国
歴史上の人物で好きな人が二人いる
奈良時代の大津皇子 そして明治維新時代の皇女和宮
徳川家茂に嫁ぎ幕末の嵐に巻き込まれながらも徳川家を守ったことが日本を外国から守ったことになった
明治維新の話は男の活躍ばかりが取り上げられているが
和宮を筆頭に女たちの冷静な判断がなかったら日本という国はなくなっていたと思う
さて
皇女和宮に興味を持ったきっかけは
小説家有吉佐和子さんの「和宮様御留」を読み内容の事実確認をしたいと思った
というのは私が思っている和宮様と内容がかけ離れていたからだ
有吉佐和子さんの担当をしていた縁もあり直接疑問をぶっつけたら「小説よあくまで」と軽くいなされた
では自分で調べよう とっかかりは着物だった
当時私は着物は持ち主を表すことを理解していた
和宮の着物を見ると人柄がわかる品があって優しく大きな愛を感じる
ホンモノを見たいと思って芝の増上寺に出向くと
当時はまだ和宮様の遺品はこの寺に保管されていて早速拝見することが出来た
どうして拝見したいかの趣旨をきちんと前もって手紙を出していたので快く様々なものを見せていただいた
それだけではなく後日撮影も許可していただいた
着物は作る人への思いやりも溢れた心あらわれるような静かな品格があった
夫の家茂将軍と仲睦まじい様子も手紙や書物で見せていただいた
その頃
皇女和宮の御棺の中を開けた時胸に写真を持っていたがそれは幼少の頃の許嫁有栖川宮のものだろうと世間では取り沙汰されていた
皇女和宮は国の政策公武合体のための犠牲者という視方が強かったのでなんとしても和宮様を悲劇の皇女にしたかったのだろう
家茂が庭に降りようとした時
和宮はいち早く縁側から降りて夫の草履を揃えていた
という付き人の記述もあり仲の良いご夫婦だった姿が微笑ましく垣間見える
何よりも大きな二人の愛を感じる布がああった
それはいまでも九条袈裟として増上寺に遺っている
家茂が長州征伐に出陣するおり皇女和宮に
「土産はないがいい?」とお聞きになると
「西陣織りの打ち掛けを出来たらーー」と夫におねだりをした皇女和宮
しかしその夫は出陣先で他界
その後西陣織の打ち掛けが皇女和宮のもとに届く、その打ち掛けを「空蝉」と名付け歌を読んだ
「空蝉の
唐織衣なにかせん
あやもにしきも君ありてここそ」
この時和宮はすでに剃髪をしていた
その後アメリカやイギリスは開国をしつこく迫り日本という国を占領するつもりで厳しい条約を突きつけていた
徳川家は朝廷の敵とされ江戸は焼き尽くされることになっていた
静寛院宮となった皇女和宮は西郷隆盛 山岡鉄舟などに手紙を渡し徳川家存続と江戸を火の海にしない願いを命をかけて奔走した
明治維新が無血の成就した裏に
皇族と将軍家のそして日本を守った女人がいることを忘れたくない
32歳で日本の存続の夢を描いてなくなった和宮を私は忘れない
23日の比佐子徒然では 今回は和宮と日本という話をいたします
1時30分から二時間 会費無料
#皇女和宮 #空蝉 #九条袈裟 #増上寺 #中谷比佐子 #比佐子つれづれ #開国