チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 103

2019年02月27日 12時23分22秒 | 日記
戦争未亡人が着物業界を救ったと思う
今日は100歳で亡くなられた小泉清子さんの葬儀
小泉さんは鈴乃屋という会社を作り着物業界のみならずNHKの大河ドラマの衣装を長く担当され着物普及に貢献なさった
(若いチャコちゃん先生はドラマの衣装調達もちまちまやっていたけどお役目御免になったよこのときーー)
まそれはさておき

繊研新聞から出ていた「きもの」という雑誌のインタビューで小泉さんにお会いしたのは1972年いまから47も前になる
御年54歳だ 発展途上で元気ハツラツとしていらした
生まれてから今日に至る諸々のことを細かくお聞きし文章にまとめた
その文章を気に入ってくださってその後の取材に現れた他の会社の記者たちには「これ参考にして」と渡されていたらしい

ある時大手の新聞記者に出会ったら名刺の名前を見て「ああーお世話になったんですよあなたのルポ」「はーー?」
それがきっかけで夕刊のコラムをその新聞で一年続けたという副産物のある

その時の印象に「戦争未亡人」という言葉が胸に響いた
専業主婦が当たり前だった既婚女性は戦争未亡人になった時どう生活をしていくか途方に暮れたのだ
そして自分ができることを考えた時
着物を着せること
着物を販売すること
着物のいろはを若い人たちに教える
こういう道が残されていたのだ

戦争未亡人は小泉さんだけではなく着物着付け学院の創始者やまた地方の小売やメーカーなども戦争未亡人の必死の思いによって着物産業が伸びていった

未亡人だけではない
戦争から戻ってきた男たちも闇市で古着商売をはじめてのちに高級呉服店として大繁盛をした人達もいる

話をもとに戻すと
敗戦後日本は階級制度が廃止されすべての国民は平等となった
小作人制度もなくなり、今自分が耕している畑や田圃は自分の物となった
大地主はその土地に住んでいない限り土地は没収された

食べるもののない時代
食べものを生産する農家は強い
着物はそういう農家に米や野菜と交換できる最も価値のあるものだった
闇市では米と野菜の交換で手に入れた着物を農家で買って闇市で高く売るという商法もあった
農家で10円で買ったものがその日の夜闇市で100円で売れたという時代だ

この商法で大儲けして後に呉服屋を開業した社長にもインタビューそしてこの手の内を告白してくれた
聞いたまんま文章にしたところその社長は
「まいったな手の内書かれちゃって」
「だって社長がお話になったんですよとても興味深かったので」
「もう出ちゃったからね」とそれ以来とても可愛がってくださった

戦争未亡人という言葉も死語になっている昨今
その廃墟の中で美しい花を咲かせてくださった一人が今天に戻られた
感無量 合掌

#戦争未亡人 #闇市 #古着 #着付け学校 #小泉清子 #鈴乃屋 #中谷比佐子
コメント
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