新しい本づくりを前に自分が出版した本をあれこれ目を通している
2000年の初めのころに集中して出版していた本はテーマもいいし、文章もうまい
迷いがない、すっきりとしていて、とても楽しそうな文章で読んでいる方も元気になる
このリズム感が今はないなあーー
なぜだろう?迷いの道に入っていたのが原因であろう
迷いの道は人の手は借りられない、自分でしっかり歩き、光に向かって歩むことだ、その光も人に頼っていてはよくない、自分で探さなければならない。探すのではなく、任せるのがいい。それを私は小さきときに体験しているではないか?そうご臨終のときだ。苦しくて暗いすり鉢のような場所を超特急で落ちていき着いたところがこれまた美しいお花畑。そこでの優雅な時間は誰にもらったものではなく、与えていただいた。この感触を思い出すといいのだ
自分の楽しみのためにだけ歩むのではなく、人の心にどう寄り添えるかもこれからの課題かもしれない。とおもったとき
「そうだ!底の抜けたごみ箱を目指そう!!」と思った
なんじゃあコレ
つまりは人の言葉に一喜一憂するのではなく、いったん底のないゴミ箱にその言葉を入れてしまう。そして自分に向けられた相手の言葉ではなく、その相手の心に寄り添う、そうするとなぜその言葉を吐かなければならなかったか、相手の立場が分かる。その間に底のないゴミ箱に入っているいるごみはどこかに消えているわけだ。たまっていかないもの
よくね
相手の言動は自分の鏡だから反省すべきは反省して、自分が何をしでかしたかをよく見極めるように
というアドバイスをいただくがこれって違う。こういう解決法は自分自身を叩きのめしてしまう。だから幸せにはなれない
相手の気持ちを量り「ああそうなんだ」で終わってしまうといい、「なるほどね」と全部受け入れる視点を持つ。それは大きくて広い「愛」だから、もう決して苦しんだり悲しんだり自分を卑下したり、という感情に支配されることはなく、常に生き生きと楽しい。
迷いの道は愛の視点を与えられる道でもあるのだなあ
さあ今日は原稿書きに専念しよう