チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

桜が咲いた

2020年03月21日 09時37分33秒 | 日記
新宿西口中央公園は大改造をしていて、このお花見に間に合わせようと庭師たちが張り切っている
ここは農薬を散布していないので木々はのびやか、花も美しい勿論空気もいい
歩きながら自然に浮かぶ思考に身をゆだねる

この公園の傍に住んで53年になる。高度成長期を迎えたとき、淀橋浄水場の後に京王ホテルが建ち、高速道が出来、広場で野球やサッカーをしていた少年たちも行き場を失いそのあとに都庁舎の建築が始まった

しかし十二社通りを隔てた西側(元温泉街)は色街と下町が溶け合って都会というより人情味あふれた片田舎だった。畳や、おでん屋、八百屋、魚や、豆腐や、酒屋、果物や、たばこや、悉皆屋、蕎麦屋、お茶屋、団子や、肉や、クスリャ、カメラ屋(ヨドバシカメラの前身)が方南町通りの両脇にひしめき合っていて、まだ御用聞き制度があったから、注文は電話でという時代。魚屋では切り身など売っていないので、一匹をどう調理するかを大将が教えてくれていた

鎮守様の熊野神社の祭りでは総出で町内の人がみこしを担ぎ、花街からも女神輿が出て華やかに町内を練り歩いていた。身近に鳶たちの活躍を見たり、まだ新内流しもいたり

新宿駅までは歩くのが交通手段、バスはあったが十二社通りから青梅街道に迂回していくので歩く方が早かった。のちに淀橋浄水場の土手が切り崩され新宿駅までの一本道が通ったとき、住民大はしゃぎだった。そこにバス停もできて、用もないのにバスに乗り新宿に出かける。顔見知りばかりなのでバスの中は宴会気分 ものの5分の旅。小田急や京王デパートもこのころできた

そのバス停は家から7分くらいのとこころ、バス停に行くまで知った顔ばかりでずーーと頭を下げて歩く

その後バブル時代にこの町は一変。地上げ屋にやられて古い店はほとんど立ち退き道幅も広がり、地下鉄も通り、今も残っているのは薬屋、蕎麦屋、中華屋。住人も土地の人はほとんどいない。今はこの西新宿はマンションが乱立。部屋代ばかりが高騰している

公園を歩きながらこのコロナ騒動を機に自分の生活も変えたほうがいいなあと考える、消費で成り立っていた社会経済もこれからは自分自身の内側を見て何をしたいか、どう生きたたいか、自分が何ができるか、そういうことにお金を使う経済になっていくのだなあーーと。

着物を通して学んだ日本人の深くて優しい愛に満ちた知恵をもっと生かした生き方をしようーーなんちゃってね!




コメント
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