二十四節気の啓蟄に入ったことでチャ子ちゃん先生櫻柄の着物に手を通している
櫻柄の着物は桜が咲く前にはもう休んでもらう
最近の風潮を見ると「桜とともに桜の着物を着る」ということが主流になっている
それもありでしょう、作家の宇野千代さんは一年中桜の着物だった
チャ子ちゃん先生の楽しみ方は桜が咲くまでは、櫻柄が全体ー桜の花びらだけー蚊がすりに櫻柄の帯ー無地のちりめんか江戸小紋に桜の刺繍の帯ー無地に桜のおしゃれ紋ー紬の無地に八掛を櫻ー桜色の江戸小紋にまっさおの空を表した帯という具合で北上する櫻をなにげなく追っかけていく(こうやって書きあげると何かいやらしいね、野暮ったい)
着物サロンの編集長だった故佐々木和子は年が明けると桜の着物を着ていた。終わりは弘前の桜が終わるまで。この時期しか着物は着なかった。着物を着るために私の家のそばに引っ越してきて早朝長じゅばんにコートをひっかけて「着せて着せて」とやってくる
「あなた着物の雑誌を作っているんだからきっもの自分で着なさいよ、おかしいよ」
「ヒサコさんの着付け気持ちがいいんだもの」
とおだてられるとついふにゃふにゃ許してしまう
深い茶色、深い緑、深い鼠色の地色に薄紅色の桜が咲く、刺繍だったり、糸目だったり非常にセンスがいい。帯は龍村だ
「いでたちだけは編集長だね」
彼女は料理が専門なので料理専門のブックを作りたかったのにそれがかなわず着物に回され、企画はほとんどチャ子ちゃん先生に丸投げ。そのおかげで私は着物に多くのことを学ぶことが出来感謝している(この間中谷比佐子はほんとうにいい仕事をしている)
その後本誌の料理の担当で腕を振るい、さらに新しくできた料理雑誌に移りそれはもう楽しそうだった。それでも桜のころには「着せて着せて」とやってくる
佐々木和子が残した七尾市一本杉町は5月に入ると「花嫁のれん」の街になる。昆布と味噌、醤油の取材で七尾に行って、花嫁のれんのことを聞き一本杉の若い女将たちを束ねて花嫁のれんを観光事業にまで導いた
「ヒサコさんが金沢で花嫁のれんの取材をやったじゃないの、それが頭にあったからこれは残さなくてはと思ったの」
「さすが!着物サロンの編集長だった感覚が役立ったね」
名だたるレストランの紹介記事、全国各地のその地でしかない料理や素材彼女の功績は大きい
櫻の着物をとりだすと「着せて着せて」とやってくる彼女を偲ぶ。最後まで化粧をしなかった、なぜだろう?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます