四苦八苦というそのうちの四苦は「生,老、病、死」後の四苦は人を恨むとか、自分の思い通りにならない、愛する人との離別など人との関係の中の苦、それは魂を磨くために必要なのでしょう?と思う
人がだれでも通る道がこの「生老病死」これはお釈迦様の言葉なので「あらそうなの」という感覚で聞いてはいけないようだ、一つ一つを確認することが正しいのだ
生が苦というのがよくゎからない、いろんな体験をしなければいけないので生が苦なのかな、でも日本の神様は「人は遊びにけりと生まれにけり」とおっしゃる
老はどうだ
今まさにチャ子ちゃん先生は老苦に入っている
「終活」という言葉が身近になった、コロナ自粛はまさしく終活ではなかったか。身の回りを整理し、断捨離に明け暮れ、おのが姿の来し方行く末を内観する。こういう日々を送った人も多いと思う。古い時代の終活が自粛だった。そして次なる時代に向けて光の道を歩んでいるだろうか
老はこの宇宙に存在するものすべてに現れる現象、動植物、そして物等しく訪れる。そしてすべては次の世代にバトンタッチをするお役目を全うしなければ老いる意味はない
老いることは苦ではない、自分のこれまでいただいた知恵をただバトンタッチする時が近づいただけだから
現象的には目は弱る、耳は聞きとりにくくなる、歯も弱る長いこと使ったんだもの仕方ない、物忘れをする、余分なこと覚えなくていいよ
病は苦しい、でも病になって自分のこと人のこと、周囲のこと、なぜ病になるのかその原因はほとんどが「食」だとわかる、日本の神様は「自然からいただいたものを食べていれば病など起こさない」とおっしゃる
また自然の中で病を治す草木花がいっぱいある
今を盛りのドクダミなどそれの最たるもの、体の内臓をきれいにしてくれる、道理でお花は白十字だわさ
病になって人の体の精密なすごさが理解できる。誰が作ったの?この体。そうすると自分の体は大いなる力の方からの借りものだと知る。お返しするとき奇麗にしておこう。体内の一つ一つの働きにもっと愛を注ごう。と病になると思う
では死苦は
当たり前人はというより万物は必ず死ぬ、死ぬために生きているんだもの、どんな死に方をするかは自分で決められる。それは生き方が死に方になるから。こんな口幅ったいことを言っていてもどういう死を迎えるかはわからない。でも「いづれは死ぬんだもの」と思えば精いっぱい今を生きるしかない
「今日も満足したな」って眠りにつけば一番幸せ
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