「広島に恐ろしい大きな爆弾が落とされて多くの人が亡くなり、広島市が全滅したらしい」
「これで戦争も終わりだ」
大人たちがひそひそと話しているのを聞いたのは、疎開先の久住高原でのこと
その前の7月初め大分市に住む我が家の玄関先に爆弾が落とされ、家が吹っ飛んだ
住む場所がなく親戚の柿山の山小屋で家族六人と暮らしていたが、7月のある夜大分市に焼夷弾が落とされ、町が全滅する火の手を家族全員が棒立ちになって、山から見下ろした。空が茜色に染まり金色の火花が時折上がり、変に美しいと思っていた
その日から敵機は農地の多い田舎にもやってくるようになり、先ずは女子供はもっと山奥に疎開ということになった
14歳の兄と父は男手として市内に残った
家族がバラバラになった緊張感の中「広島に怖い爆弾が落ちた」というニュースが口込みで伝えられたのだ
その時ラジオは何も言わなかったのだろうか、不確かな情報で明日は我が身かという恐怖感に包まれていて、子供たちはぴっやりと親にくっついて離れない。子供同士で戦争など忘れたように遊んでいたが、誰も遊ばない。今度は「長崎」に同じ爆弾が落とされたという
敵は海から上陸して来るといううわさで、みんな山の方に疎開をしているわけだが、そういう辺鄙なところでも情報は早い
山に逃げていても、上から怖い爆弾を落とされるのであればもうどこにいても同じだ、家族一緒にいたほうがいい。という人もいて、だんだん自分たちの家に帰っていく。家のない私たちは父と兄を待つしかない
そうして帰ってきた父の情報によると、もう日本は戦争に負けて降参するだろう、それもここ一週間ぐらいの間だ
敵が上陸してきて女子供に危害を与えるといううわさもあるので、もうしばらくここで暮らした方がいい。という結論
私はずーーと病床にいたので大人たちの会話は直接聞いてはいないが、姉たちがかいつまんで解説してくれていた
最近の情報では空からの爆弾ではなく、地上での爆発で「生体実験」であったという人もいる
戦争の犠牲者はいつも一般の人、いまだに原爆の病で苦しむ方もいらっしゃる、こういうむごいことが、もう地球上で行われることのないように祈りたい
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