都内はアングラ劇場が多い。劇場を探すのに骨が折れる
それだけ役者もたくさんいる。昨夜知人に誘われ芝居を観に行った。出演者の中に知人の知人がいたからだ(笑)
敗戦まじかの「回転魚雷」に乗り込む10代の少年たちの心の葛藤の話だった
誘った知人は途中で「つまらないから帰ります」とメモをよこして席を立った
「どうしてつまらないと思うのだろうか」
とチャ子ちゃん先生はその去った人のことを思った
・戦争物が嫌い?
・回転魚雷に何か深い思いがある?
・役者たちの演技が我慢ならない?
そういえばいつも正統派の演劇や大きな劇場で演ずるお芝居によくいらしている方だ
たまたま今回はよくご存じの方が舞台に出ているからという理由で私を誘ったのか?
訳も分からず誘われてひょひょいと来てしまうチャ子ちゃん先生も暇人だなあ。と思いながら進む舞台を見ていく
特攻隊というのはみんな坊主頭のはずだがとか、どうして長髪?そんなことが気にかかっていたりする
この当時は下駄をはくことが多いのに、普段着の着物を着た女性が草履?時代考証が気になったりする
内容は故郷に残した恋人へのラブレターが主役
そのラブレターを一冊の本の中の文字に印をつけて一つの文章になっていたという話だ
それが最後のオチなのだが、きっとそういう方も実際にいたに違いない。その思いが届く保証はないが、当時は誠実な日本人が多く、託された人は中身も読まずして、宛先の女性を探す。戦友というのはそれだけ深い絆で結ばれているということもわかる。目の前の生死を共にしているのだから、生き残った人は、散っていった友の思いを届けたいと思う。それがその残された人の「義」でもあるのだ。
哲学の本にたされた恋文は無事届きお互いの思いが通じていたことに涙する観客
途中で席を立った知人はこの結末にも不快感を持つのだろうか?
「終戦末期の狂気」が我慢ならないという思いがその知人にあったようだ。お互いにあらすじを読まずして出かけていくお粗末さに笑える顛末
しかしいままさに、日本も世界も「狂気」の真っただ中にいる
無垢な魂を持ち、本当の「正義」を全うして生きることが狂気を消すことにもなると思う。それは自然を見ることで感じることで培うことが出来る
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