目が覚めた時から、もう少し横になっていようか、いやすぐ起きようか、の選択から始まり、着るモノの選択、習慣なっている行動は別にして、無意識に選ぶ選択もあり、一日にどれだけの選択を私たちはするのだろう
食事の時もどれから先に箸を使うか、外で食事をするときにはどの店を選び、何を食べるか
どんな話で会話を切り出すか、どういう返答するか
昨日は暇だったので、選択の数を調べてみた
起きた時からの選択の数が11、これは朝だけの数
バスに乗りどの席に座るか、電車に乗りどこに座るか、どのつり革を選ぶか、待ち合わせの改札口でどこに立つか、待っている間何をするか、お相手が現れた時、合図に手を挙げるか相手のところに走っていくか
こうやっていちいち数えていたら、面倒になって数えるのをやめてしまった
それくらい私たちは無意識にまた意識的に選択をしている
頭を使っているんだなあ
その選択の基準は全部自分中心に出ていれば、毎日が楽しいだろう、しかし他人を中心に選択していれば、それは苦しいものになる
一緒にお茶を飲んでいても、今この話をした方がいいのだろうか、この話題は適さないのか、この場所にお連れしてよかったか、など相手側に立つ選択は絶対につかれる
自分自身への選択と相手への思いの選択のバランスが、その人の生き方になってきて、ストレスがたまる人とそうでない人の差が生まれる
選択の道を意識して行動しないと時間の無駄はもちろん、金の無駄もある
財布から出ていくお金の顔を見ない生活が続くと、金銭感覚がくるってくる、カードは便利だけど、自分が使えるお金の分量がわからなくなる
これも選択
生まれてから死ぬまで
私たちは自分の選択の良しあしの中で、生き方の良しあしが決まっていくようだ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます