チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 385

2020年10月25日 09時31分36秒 | 日記

本日は㈱カラーリアムの主催で「和文化継承家養成講座」の二期クラスの第二回目

蚕に学んだ「無条件の愛」がテーマ

感情がある限り無条件の愛なんてありえないと思っていた

しかし取材で養蚕研究所に2泊の研修をした時、蚕が黙って人間に命を差し出していることを目の当たりに見たとき、昔の人が「おかいこさま」と尊敬語をを使っていたことが理解できた

 

何もかも、本当に何もかもを人間に差し出している

それに対して人は何をしたか、感謝の意を表し一ミリも捨てない仕立て方を考案し、その形のものが1200年続いている

感謝の気持ちは「糸をいただく」という心がけにあった

繭の中の蛹にはゆっくり命を終わってもらうように、お湯の中で糸を繰る、または繭を塩漬けにして静かに眠っていただき、そのあとゆっくり糸を繰る

反物を作るにしても全て木でできた機で織っていく。このように手をかけ、心を込めて着物に仕上げ、古くなっても繰り回ししながら、布をとことん使っていく

 

こういう丁寧さには愛と感謝しかない

しかしこの愛と感謝は明治維新で一気に崩れて、蚕は利殖の標的になった

この時代に洋の文明が取り入れられ、人々はお金に異常に興味を持ち、金持ちが偉くて社会を支配する構図になった

蚕の扱われ方でその時代の人の心根がわかる

 

更に昭和、平成に入ると、蚕の遺伝子組み換えが盛んになる

それでも蚕は黙って人間の思うままに生きている

その恩返しであった着物を着る人も少なくなり、蚕は命を人間に差し出し、黙って消える

しかも絹の着物より石油繊維の着物にみんな飛びつく、何故なら洗えるからだと

絹は自分自身に浄化能力があるので頻繁に洗う必要なんてない

そういう知識も伝わらなくなった

 

人が狂ったように変わったのは明治維新からだ

怒涛のような機械文明の嵐、モノを持つことの優位、金の力、肩書の重さ、ぼつぼつそういう鎧を外すときが来ているよ

本来の日本人は「和,倭、輪、環」を生活習慣に持つ民族。着物の平面仕立てのように、水平の思想、洋服のような立体裁断である垂直思想ではない

 

バレエと日本舞踊が日本人の思考の違いを表している

骨の使い方はほぼ一緒なのだが、表現がまるで違う。両方稽古してそう思う

困ったことにチャ子ちゃん先生はバレエの方が楽しい。いやはや口幅ったいことは言えないよ

 


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