昨日は柿生にある「山崎草木染工房」に行って取材をした
「ああこの家に足を運んだときから着物に魅せられてしまったのだ」
と迎えられた草木を眺めながら感慨深いものを感じた
工房では三代目の山崎和樹さん、その息子の四代目の広樹さんが手を上げて出迎えてくれた。工房には染の途中である広樹さんの作品が真摯に張られて揺れていた
「綺麗な色ね」
「爆発してるでしょう?」と父親の和樹さん
「そうかな、あなたのお父さんだって(青樹さん)結構思いがけない色を出してらしたわよ、いいと思うわ、若々しいし元気もらえる」
側で嬉しそうに笑う広樹さん
さて
四代目ともお付き合いが出来るということは、うれしいけどそれだけ長生きしているということにもなるなあ、と改めて自分の年齢に気づくチャ子ちゃん先生
途端に年上目線になってくる自分にダメ出ししながら、お二人の話を逐一引っ張り出していく作業に専念
「草木染」という名称はこの地から生まれた
一代目の山崎斌さんが明治時代からこちら化学染料万能になり、草木から色を出すという古代からの染の歴史が消えていくことに危惧を覚え、平安時代にかかれた「延喜式」染織の項をしっかり読み解いて、身近な草木から色を出す技術を習得していった
そして植物染料で染めた色を「草木染」と命名、商標も獲得した。正真正銘の草木染の誕生ッだった。今から100年前になる
そしてその草木染をずっと守ってきたのがやまざきけのひとたちであり、その手法を学んだ多くの草木染作家の人達だ
山崎斌さんはもともと小説家で草木染に走る前には小説を6冊近く出版している。また「月明」という月刊誌も出していて、その表紙の絵は二代目の山崎青樹さん、青樹さんは日本画家志望だったというより最後まで画家だった、画家の目で草木染と取り組んでいたのだ。その月明の中に必ず季節の花が和紙で書かれていて、その和紙をすいていたのが青樹さんの弟桃麿さん(のちに草木染作家に)
父の志を子供たちが自分の立場で注いでいき、孫へ、そして曾孫へと続いていく、手仕事だから続くのだと思う、それぞれが自分の塩梅というものを知っていてそれを生かしていく。感慨深い取材で在った
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