チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

新宿がまた変わる

2023年04月06日 10時26分14秒 | 日記

新宿に住んで63年になる。お数字を上げるとすごいよなあ

国立、杉並、中野、赤坂そして新宿その新宿でも十二社に住んで53年、事務所も市谷、中目黒、十二社と新宿中心。

まだ淀橋浄水場があり、土手の隙間から浄水場を覗いたりしていた。その土手が切り崩されて、道が出来新宿の駅が見えたときは狂喜乱舞。みんな遠回りして都電に乗って新宿駅に行っていたのだから、まっすぐの道が出来たときの喜びはひとしお。

十二社通りからは富士山がくっきり見え、両脇はしもた屋の商店が並んでいた

道を歩けば知った顔ばかり、タバコ屋のかみさんはほ住民の許tん度の人を知っていた。一本交渉街道寄りに道を入ると、病院があり鎌倉街道には八百屋や小料理屋があって、病院の先生方のたまり場になっていた。患者と先生たちが飲み交わしている姿が見られた

その奥の道には置屋があり十二社芸者たちのお稽古場もあって、料亭が軒を並べていた

熊野神社のお祭りには芸者さんたちの「女神輿」が出て大人気。池の周りにも料亭がありにぎわっていた

 

そういうところにいきなり京王プラザホテルが建って色めいたが、普段着では入れないような雰囲気で余所行き着をわざわざ来ていく場所だった

町名は淀橋で小さなDPE屋がありそれが今や「ヨドバシカメラ」として大成長

「街に行く」ということは新宿に行くということで十二社は「村」という感覚だった

 

デパートは京王が出来てその後小田急が建築され、そのあたりから西口はビルが建ち始め、都庁が淀橋浄水場の跡に引っ越してきて一気に副都心という都会になってしまった

闇市の跡に出来た「思い出横丁」は新宿東側にあるゴールデン街と共に昭和を偲ばせている

紀伊国屋や中村屋に行く時は少しおしゃれして緊張して出かけたものだった

西から東に行くのにはちょっと気持ちが違った

そしていま

小田急デパートも取り壊しが始まり、ここ二大ターミナルの姿が現れるらしい

村から町そして都市に変貌する新宿。最近知ったのだが新宿駅には出口が15もあるという。迷うわけだ

元々新宿は甲州街道、青梅街道の宿場町として栄えたところ、江戸城内に入る大木戸に向かう前の一休みという場所だった、江戸図絵を見ると壮大な田舎

 

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