![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/04/09a10707b3132e266c813997df4f7455.jpg)
昔の隣近所は
「お裾分け」といって
戴きすぎたもらい物を向こう三軒両隣に配る習慣があった
幼少の頃
お迎えに「お裾分けです」と言ってこれをもって行きなさい
とお遣いにだされることがあったが
チャコちゃん先生この言葉の意味が分からず
とても腑に落ちないお使いではあった
父の職業が弁護士で
しかも弁護料を戴かない人もいたらしく
そう言う方からの野菜や果物海産物の届け物が多く
確かに自分の所だけでは消化できなかった
相手は弁護料の代わりに物納をしているわけで
生ものが多いと確かに「お裾分け」だ
「このお裾分けってどういう意味?」
「皆さんで分け合いましょうということ」
解ったような解らないようなますます腑に落ちない言葉だ
母はいつもなにかきちんと解説のできない女だった
着物を着るようになり
「着物の裾のようにささやかなもの」
と言う意味だと解釈できたとき
日本人の言葉の感性は凄いなと思った
この裾と言う語感がややさもしいなどと思って
一時チャコちゃん先生「お福分け」という言葉を使っていたが
此方の方がはなから
「福を与えてやるぞ」
と言う上から目線のように思え最近は使っていない
「お裾分け」といって
戴きすぎたもらい物を向こう三軒両隣に配る習慣があった
幼少の頃
お迎えに「お裾分けです」と言ってこれをもって行きなさい
とお遣いにだされることがあったが
チャコちゃん先生この言葉の意味が分からず
とても腑に落ちないお使いではあった
父の職業が弁護士で
しかも弁護料を戴かない人もいたらしく
そう言う方からの野菜や果物海産物の届け物が多く
確かに自分の所だけでは消化できなかった
相手は弁護料の代わりに物納をしているわけで
生ものが多いと確かに「お裾分け」だ
「このお裾分けってどういう意味?」
「皆さんで分け合いましょうということ」
解ったような解らないようなますます腑に落ちない言葉だ
母はいつもなにかきちんと解説のできない女だった
着物を着るようになり
「着物の裾のようにささやかなもの」
と言う意味だと解釈できたとき
日本人の言葉の感性は凄いなと思った
この裾と言う語感がややさもしいなどと思って
一時チャコちゃん先生「お福分け」という言葉を使っていたが
此方の方がはなから
「福を与えてやるぞ」
と言う上から目線のように思え最近は使っていない
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