明日香の石舞台古墳に行ってきた
55年前になる
京都での取材の後友人たちと「石舞台にいこう」と話がまとまり勇躍奈良へ
砂埃のたつ中大きな石が重なっていた
誰が一番早くその石の上に上ることが出来るかを競争し、これがなかなか登れない。古代人はどうしてこんな石を積み立てたのかとそれぞれ想像でわいワイがやがや
みんなで助け合って全員が石の上に上がり、古代の妄想を繰り広げる
あたりは田んぼでひとっこ一人通らぬど田舎
何故石舞台に行こうと言い出したのか、言い出しっぺに質問
其の彼は岡村喬さんと言って当時バチカンの中のミケランジェロの壁画やラフエロの天井画を独自の方法で撮影をしていた。今も画集が残っているが、夫の親友だったので私もローマに行ってはその仕事場にくっついていったり、ホームステイして夫人にイタリアン料理を教わったりしていた
年に一回は日本に里帰りし、その都度一緒に遊び狂っていた
岡村さんは世界の歴史に明るく、ローマと日本の歴史の比較も教えてくれていた、その中に「明日香」が彼の次なるテーマであったようだ
この石舞台は墳丘の中で作られていたもので、長い年月の間に盛り土が消えて石だけが突出してきたのだという。
「この石の下はお墓だよ」
「ゲッ」
「蘇我馬子の墓と言われているけどね」
「やだー早く降りなきゃあ」
「中は空洞だと思う、今は入れないけど」
入り口と思しきところはしっかりと石で封印されていた
「石舞台というからここで誰かが踊ったり祈ったりしていたのだと思っていたわ」
推古天皇の時代626年に大臣が罷り桃源墓にほおむったとおいう文章が日本書紀に書かれているのだとその時教わった
「このお墓の中にはお宝がいっぱいあるんでしょうねえ」
「いやもうとっくに盗掘されているよ」
そんな会話を思い出しながら今は中にも入れて感無量
それぞれの石の温度が違うことを発見、同じ太陽にあたりながら、ひんやりとする石、暖かい石、宇宙から降りてきた石もあるのだろうなあ、日本は本当に面白い
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