チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 268

2019年12月15日 19時17分30秒 | 日記

着物に関してはいろんな技術が消えていっている

今日も大島紬につい話を聞いた

信頼しているワンズベストの藤後一矢社長は大島紬を絶やさないようにと自己資金で機屋を守る為に大島紬を作り続けている。そればかりか、大島紬に更紗模様の帯が合うとばかり、インドネシアに赴きもう何十年も現地の人を教育して、今は着物も染めている。

 

出来上がったのを買うのはお金があればできる、しかし技術を教えて作品づくりに成果を上げるまでは、並大抵でない努力が必要。体力、金力、感性、人間力ーいやはや凄い男がいるもんだ。

 

藤後社長がまだ鹿児島の大手の大島紬のメーカーにいた時から懇意にさせていただいているが、そのころから一本気、いかにも九州男児というメリハリの効いた人だった。

 

それは「今市場には何が必要なのか?」常に消費者の「ウオンツ」を考え、その上で自分が最も楽しいことをするというタイプのマーケッターだった。

調子に乗りやすいチャコちゃん先生は、客の「ウオンツ」より自分の楽しみを先に出す企画をいつも彼にぶっつけていた

「大島紬を欲しい人はこういうのがいいと思う」と自分の「ウオンツ」をぶっつける。当たる時もあればそうでない時もあるーそれでもめげずに色々面白そうな企画を出しては楽しませてもらった。

 

獨立して自己資金でここまで商品作りに精を出している人は少ない

 

応援するには購入が一番いいのだが、なかなかそれができずもどかしい

せめて大島紬を好きになってもらおうと思うが、巷の古着屋さんには大島紬が山とあるーしかも安価な値段がついている。更に多くの家にも大島紬が眠っている

 

昔着物コンサルタントという御仁がいて「サブロクセール」という売り方3年間毎月1万円ずつ出して大島紬を買いましょう。というキャンペーンで大量の大島紬が日本中に溢れた。原価は?ここでは言えない

 

その時そんな売り方したら産地も弱る、呉服屋さんも潰れると矢面に立ったのが藤後さん。もちろんチャコちゃん先生もそのコンサルタントと大喧嘩をした

しかし目先のお金の欲しい人達が多く多勢に無勢の時代

その時代にしっかりいいものを作りその大島は「もう非売品、だって今はもう少しできないもの」

唾をつけたかったが、代わりに咳がでた

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官能小説家

2019年12月14日 10時14分05秒 | 日記

大学の後輩に自ら「官能小説家」と名乗っている女性がいる

二十代の頃にいた出版社では官能小説家のほとんどは男であった

新刊が出ると社内で配っているのでパラパラと文字を追うが面白いと思ったことはない

それより

純文学小説家といわれる作家の人たちの性描写やそれに至るまでの心理描写を面白いと思った

その感覚がかのじょの文章にある

名前は「佐伯美也子」電子図書もあるので興味のある方は是非

 

佐伯さんとゆっくり話すことがあるー頭の良さと洞察が優れているのはもちろん、ジャーナリストとしての資質もあってよく調べている。確かに官能というのは生きている人間にとって、重要な側面であり、最も心と密接な働きもする。幼少のトラウマがいちばんあらわれやすい面でもある。官能から芸術が生まれる

 

それにしても「官能小説家」ですと名乗れる誇りを買う

総純文学と紙一重の部分がある。人間の奥深い心をテーマにしようと思えば、官能部分は避けて通れない

そういう話をしたら「最終的にはじゅんぶんがくを目指しています」とおっしゃった

 

着物好きの佐伯嬢、着物そのものは品の良いエロチズムを持っているーそれをどのように表現をするのか楽しみである

 

 

 

 

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着物が繋ぐもの 267

2019年12月13日 10時01分02秒 | 日記

昨日は小千谷縮みの新作発表会に顔を出した

麻は日本の夏には欠かせない それは日本の夏は湿気が多いからで、麻の衣類は肌に付かず離れずの距離感を持っていてそれがきていて心地よい

木綿より涼しいのでチャコちゃん先生は小千谷縮みを直接素肌に浴衣風に着る。これが夏の醍醐味だ

真冬に夏物の展示会をするのは、注文をもらってこれから制作に入るからだ

 

新潟小千谷市は豪雪地帯でもある

その雪を利用して麻の布を雪晒しをする手法があり布が真っ白に漂白される

こういう知恵を誰が何故知ったのかと追及する人もなく、永遠に続いている手法だ

土地の特徴を生かした物づくり、昔の人は自然から学ぶ姿勢を常に貫いている、だからこそ自然が教えてくれるのだと思う。

 

麻は夏に収穫し、皮を剥ぎ糸にする。その作業が雪が降る寸前まで続く

 

豪雪の中男達は都会へ出稼ぎ、女達は機の前に座り布を織り縮みに仕上げる

今はこの地方も都会と変わらない生活様式になっているが、長い伝統技術に育まれ、先祖達が残した財産が今もこの地にある

 

現在はその縮みの技術を駆使しそれを絹にも施して「絹縮み」をつくり単衣の着物として最もきやすいという評価を受けている

また絣の伝統を生かし摺技法を使ってまるで染めのような繊細な織物を作り上げた機屋もある。山に自生する葛布の織物など、見る人たちを飽きさせない

しかしいづれも手仕事ゆえ品数も少なく値段もいい

着物を着る人が「着物はフアッション」と考えず、自分自身の内面表現装束と考えてくれれば、着物選びも慎重で楽しくなる

 

江戸時代は江戸の町では縮が大流行し縮を取り扱う商人は大いに富んだ

豪商の館が今も小千谷に残っている

昔の豪商は地域貢献も半端ではない

地域に稼がせていただいた、だからその地のためになることをする

学校建てて全て寄付などというスケールだ

 

この館でまだ商売をしていた頃、チャコちゃん先生は3度ほどお邪魔をした

金持ちの真の姿を教えていただいた思い出がある

来年はその館は美しくなって公開を始めるようだ、四月にはみんなで行きたいと計画中

 

同じ場所で塩沢の組合の新作発表も開いていたので覗く

越後上布の素晴らしさ、それに塩沢はシンプルな柄に戻っていていいなあと思った

 

これらの着物は大向こう唸らせる派手さはないけど、その人の内面を輝かせる力を秘めている

 

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久しぶりの宝塚

2019年12月12日 19時08分12秒 | 日記

やはり一生懸命の人達が演じる舞台は見る方も気合が入る

星組の大スター「紅ゆずる」さんが退団し、その後のトップ礼 真琴さんが池袋の東京建物Brillia HALLの柿落としで出演。宝塚のトップの作り方は用意周到

地方の劇場で場数を踏ませ本番の宝塚劇場での公演までには約一年の修行時間を見ているようだ

組替えは また組み風という風が吹くのだろうが、80人という編成が本番で地方版は半分の40人。もちろんおけボックスも設けていないので、フアンとしては舞台と客席が異常に近く興奮する

昨夜はチャコちゃん先生の席は前から二列目の真ん中、「星組」という名前に敬意を表し「星柄の着物に宇宙の帯」を組み合わせて席についた

当然着物姿はたった一人。昔はこういう時気後れしたけど、いまは自分が着物を着ていることさえ忘れている。同行の友人が褒めてくれて初めて洋服集団の中の着物姿を認識する

さて

出しものはフランスで大成功を収めた「ロックオペラ モーツァルト」

スピード感あふれる演出でウキウキワクワクしながらこちらの体が躍動する楽しさ

宝塚って絶対にハマる。今から50年も前になるが宝塚に叔母が連れて行ってくれて夢中になり、さらにベルバラで麻美れいを見てからはもう病気になってしまった

チケットを上手に取る方法も覚え、遂には宝塚ジェンヌだけの着物ブックを作ってしまった。撮影の時賑やかだけど礼儀正しく品がよく、日本舞踊で鍛えられているのでポーズの付け方も美しい、60カットを三日間で撮り、それからはさらにチケットが取りやすくなった

娘役の一人は東京公演の時休演日には我が家に泊まって骨休めしていた

その時も必ず確認電話が劇団から入り、本人を電話口に出して注意を与えていたー門限も厳しく、門限破りの時は私がついていって理由を報告するという厳しさ

今でもそうらしい

よくしつけが行き届いていて逆に教わることも多かった

 

宝塚の魅力は昨日の自分より今日の自分をもっと磨こう

という姿勢にあると思う

それぞれの役をどれだけきちんと丁寧に演じるかしかもそれは全てトップスターをより良く見せるためのものと割り切って自分の仕事を懸命に推進している

その中でまた見出され大きなお役をいただくのだろう

明日の活力になる宝塚観劇だった

 

 

 

 

 

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着物が繋ぐもの 266

2019年12月07日 11時12分01秒 | 日記

この十日は恒例のクリスマスパーテイー

テーマは「着物はロマン」

数えてみたら20回は超しているー市ヶ谷時代、中目黒時代を数えると30回になる

当初は着物を着て行くところが乏しいという人たちのために行なった

500人も集まったことがある。大がかりだから大ダンスパーテイをやりきものでの社交ダンスは華やかだった

秋桜塾生による着物ショーも壮観だったなあ

若手の歌舞伎俳優さんがきて色々と仕草のレクチャーもあった

着物コスモスの表紙を飾った先生方の着物の展示も美しかった、しかも展示されたもの全て完売という快挙

ピアニストとフルートの演奏者に振り袖を着て弾いていただいた会もあった

その都度集まった方々は思い切りおしゃれしてとてもとても楽しそうだった

会の終わりは「東京音頭」をみんなで踊る輪になって。オーケストラの東京音頭はそれはそれは別格。今でも時々録音したのを聴いているが元気になる

 

こんなバカ騒ぎをするのは秋櫻舎だけと言われていたが、それぞれあちこちで着物パーティーが始まり、秋櫻舎は静かになり、時代も変わって消費税導入をきっかけに会社の規模も小さくしスタッフも少なくなって暫しパーティは休憩

 

でも一年に一回くらい着物で思い切り楽しみたいという声に押されて、またパーテイー復活。そして毎年テーマを決めることにした。着物を着るとこんなにも愉快になる。ということを知ってほしいという願いもあった

 

平安時代の着物を見ると「着物は色遊び」

鎌倉時代の着物を見ると「着物は裏に凝る」

桃山時代の着物姿を見ると「着物はロック」

江戸時代は振り袖華やか

明治は和洋折衷

などなどテーマを決めるとみなさんそれぞれ持っている着物で工夫を凝らし色んな着装姿を見せてくれるので、お一人お一人の着物に対する愛の言葉を聞くことができる

本当に楽しい

今回は着物に対してどんなロマンを語ってくださるのか今からワクワクしているチャコちゃん先生

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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着物が繋ぐもの 265

2019年12月06日 11時53分58秒 | 日記

今年は秋が短かった

今後は冬と夏が中心になっていくのだろうかと考えてしまう

季節を先取りする着物の着装作法が変わってきた

現代は「季節を共に遊ぶ」という感じだ。あの清少納言が聞いたらひっくり返るかもしれない。彼女は季節を尊ぶということは先取りしてきたる季節に敬意を払うと言う作法を大事にしていた

 

桜の季節に桜と共に咲いて見ようとばかり、今年の桜のシーズンは🌸桜の着物で溢れかえった観桜パーテイが多かった。

これも時節なのだなあと思う

紅葉の着物や帯はともかく、秋の七草、秋桜の着物や帯を身につけないまま秋が終わった。

日本人が季節を着るようになったのは奈良時代の「色」の階級制ができてからのように思う。それぞれの色をその季節の植物で染めて楽しんだという形跡が古い遺跡からも窺える。先人たちは、何事も天から与えられるものに感謝して過ごすとことで日々を暮らしていた

 

それが私たちの着物の始まりだ

身近な自然の美しい四季の情景、植物から貰える四季の色、そういう絵画を身に纏うという着物の存在、こんな衣装は世界に稀だと思う。だからこそ楽しみたい

 

先日大嘗宮の後を見学したが、神事に参画する方の装束は全て白。古代から白は「光」と解釈されていたので、松明の明かりに煌く白は神々しかった。

一方位を持つ人たちが見守るテントの中では当時何をきたのだろうといろんな資料を探したがまちまちで、青摺の袍が正解のようだ

当時の青摺は「山藍」なので、気品のある青だったに違いない。平成からはモーニングコートになったよう。

古代から延々とつながっている大嘗祭にモーニングコートという異国の衣装では日本の神様も戸惑うだろう。

歴史がちぐはぐに伝えられてきていて形だけ残っていくのは間違い

 

大嘗宮を見ることができた現代人は質素で簡素な美を持ち続けている日本を誇りに思って欲しい。

税金で22億も使ってという声もある

しかし使い古しの飛行機を一兆円で購入するより遥かに平和な出費と思う

 

 

 

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着物が繋ぐ物だと 264

2019年12月05日 09時23分59秒 | 日記

大嘗宮拝殿の後 竹橋にある近代美術館に行き「鏑木清方」を鑑賞

今回は「築地明石町」「新富町」の実物を見ることができ大満足

今回初めての実物、矢張り圧巻

 

ゆっくり拝見して気がついたことがある。着物の真の美しさは、「隠れた色」にあると言うことだった。

チャコちゃん先生現役着物スタイリストの頃、女優さんたちやモデルさんたちへのポーズ提案にはよく美人画を示して参考にしていただいていた

画家は女性の内面の美しさを引き出すためには味のある仕草を求めてその瞬間を描いている。女も知らない女体の美しさが着物を通して現れる。それが色香というものであろうと思う

 

今回も

袖口、身ハッ、羽裏、襟の返り、足元に溢れる長襦袢。こういった一瞬の動きの中でちらりと見える色の効用。この配色の妙を実にうまく捉えていて飽きさせない。

築地や、浜町、柳橋といった江戸のきれいどころの女たちと、生粋の江戸女の粋な女、日頃の装いの中の自分自身の効かせ色をたっぷり見せてもらった

化粧のうまさ、立ち姿がしゃんとしてるのはきっと健康であったのだろうーそんなこと思いながら明治のおしゃれな女たちから学ぶことのなんと多さ

 

これを見ると着物って底知れぬ深さの美を持っている

どれだけ着物から吸収できるのかわからないけれど、しっかり本物を見続けたいと思った

またドレープの美しさは絹の味。糸の良さが如実に現れていた。あのドレープが一層着物姿を引き立てる

 

全ての現状に言えることだけど、私たちは「形」に満足し、その中に入れるものの価値をないがしろにしているのではないかと強く反省

 

今回の大嘗宮の美しさも全て本物の素材でできているからこその美しさだったとこの目が思う

 

いよいよ量より質の時代に戻ってきた
 

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大嘗殿

2019年12月04日 13時09分37秒 | 日記

行ってきましたーー

甘く考えていたらとんでもないー二重橋の駅から2時間かかって目的地に着いた。人人人の群れ、ほとんどがシルバー世代。また地方からの観光客の団体。驚いた。

皇居の中に入るのは5回目ー矢張り美しいー昔の江戸城の面影を感じるところが随所にあって興味深い。秋晴れのいい天気ーどこまでも青い空が広がるー東京でも最も空が広い場所だ、ビルが見えないもの。

冬桜が青空に向かって毅然に咲いている。紅葉はもう終わり、松の緑が引き立ってきた

そんな中歩いては立ち止まりまた歩くという動作を繰り返す

その時感じたこと

ほとんどの人が顎を出して歩き、腰が引けているーだからつい前の人のかかとを蹴ってしまう。真っ直ぐ体を立てて歩いている人が少ない。

子供の頃歩き方訓練というのがあったけど、今はそういう体育時間はないのだろうなあ。みんながまっすぐ姿勢を正して歩けば歩きやすいだろうなあと思いながら前の人のかかとを踏まないように注意する

 

皇居警察の方々手慣れた誘導で大勢を導いている。整然と和やかで我先にと飛び出す人もいないので、こういう列を見ていると日本人てきちんとしているなあと思う。

 

大嘗殿に近づいた。ここで行われた神事をじっくり思い起こして何かを感じるように歩いていたら、乳母車に轢かれそうになった(笑)

写真を撮っている人ばかりの群れを外れて廻廊の後に立つー誰もいない。

ここで天皇陛下は禊をなさったーそう思って立っていると自分自身が綺麗になっていく感じがした。誰もいない、松を渡る風だけが頬をかすめる。

 

人がこんなにいるとは思わなかったので、ゆっくりゆっくり思いを噛みしめながら歩くつもりだったが、人の中で一人になるというのも面白いー一緒に行った友人と私だけが着物姿。紋付で拝したので気分は良い

 

大嘗祭の後5日以内で焼いてしまうという大嘗殿、一生に一回のみものだった。

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