チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

お里が知れる

2022年05月19日 11時41分41秒 | 日記
昨夜の「チャコちゅうぶ」のタイトルは「お里が知れる」
社会に出始めのとき、上司がよく言っていた
つまり
日常的な挨拶ができないといわれる
「おはとうございます」
「お疲れ様です」
「お世話になります」
「ありがとうございます」
「お先に失礼します」

学校を卒業してすぐ大手の出版社の子供の教育雑誌の編集部に配属された
大体出版社に勤めること事態が大反対の親、結婚話を避けるために就職をしたので、確固たる意思もない

始めて原稿を書かされた時、書いた原稿を何回持って行っても突き返される、どこがおかしいのか指摘もしてくれない
出版された本をひっくり返して読み、自分の文章の欠けているところを自分で見つけなければ、時間ばかりかかる

そのとき
書き損じた原稿用紙をぐちゃぐちゃ丸めてゴミ箱にポンと捨てていたら
「何やってんだ!まったくお里が知れるよ」

うん?「お里が知れる」親が軽蔑されているんだと気が付き
天敵とまで思っていた母親を恥ずかしめる娘になってはいけない!とにわに姿勢を正し、朝は元気よく大きな声張り上げて「おはようございます」
「あっ其れ私がやります」
おじさんたちの目を見て会釈、そのうち
「今度の新人気が利くね」
とまで言われるように成長

その後着物の展示会やフアッションショーの企画をするようになり、モデルをオーデイションで選ぶときは、やはり会釈が出来、キチンお挨拶ができる人を中心に選んでいた

ある時西陣の帯メーカーのフアッションショーで参加したモデルの一人が、社長の隣で食事をとっていた時、社長が私のところに来て
「アノコすぐ帰して」
「何かありましたか?」
「あの飯の食い方見てよ」
みると箸を握りしめ、背を丸めお皿に顔をくっつけ、苦手なピーマンや肉をお皿の脇に寄せていた
「里が知れるよな」
そういえば最近聞かない言葉だ



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山下公園(横浜)

2022年05月18日 08時50分08秒 | 日記
この季節になると「中野裕弓」さんとのおしゃべりに横浜に出向くことが多い
おしゃべりも楽しみだが、山下公園のバラの美しさをそぞろ歩いて鑑賞するのも一つの楽しみ、それに中華街、時にニューグランドホテルのナポリタンスパゲッテイ―。花と団子付き
バラを堪能しながら語り始めると話題が尽きない。しかし裕弓さんはまだ病後の体余り長居は禁物と自分を戒めている
昨日はもう一人のお仲間嶋田恵子さんも同行

お二人は猫好きで、愛猫をあちらに送ったばかりの恵子さんを裕弓さんが慰める。ネコちゃんはお二人にとって家族そのもの、猫の微妙な宇宙感覚についても二人の意見は一致している

昔わが公園に60匹の捨て猫のお世話をしていた、本物渡世人のお兄さんがいた。その人をチャ子ちゃん先生はネコニーさんと呼んで、猫の世話話を聞いていた。その時
「猫は半分あの世に行ってるいるよ。人間よりはるかに精神的に優れている」
「例えば?」
「あのボスのポッポみてよ、えさを与えるとみんなが平均して食べたのを見計らってらって自分が最後に食べる、弱ったネコはみんなが周囲を囲んでカラスから守ってる、外から来た猫はテレパシーで教育して仲間に入れているよ、自分の体が弱ったら、身をを隠して養生をしている。人間よりはるかに優れた生きものだね」

心の病を持った少女を猫たちがかわるがわる寄り添って慰めている風景も見せてくれた
猫たちに
「帰るね」
というと公園の出口まで送ってくれる
暗くなって公園を抜けて帰ろうと急ぎ足に歩いていると、どこからともなく、ポッポ親分の幕下が一緒についてきて、私が信号を渡り切るまで見守っていることもあった

ネコがぼんやり空を眺めている時などは、「あのよ」にいるときだそうだ

「ネコは神様の指示通りに生きているので、真実が分かっているんだよね」
ネコニーさんから神様の話を聞くとは驚きだったが、猫は神の使いだと信じていたようだ

そういうことを思い出しながら、お二人の猫宇宙観に相槌を打ちながらバラの香りの中を散策してきた


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落とし物

2022年05月17日 07時56分03秒 | 日記
ボーとしているから落とし物をする
チャ子ちゃん先生は忘れ物落とし物をよくする
昨日は「シルバーパス」を落とした
これは石原都政の時に出来た制度で70歳以上の老人には都内のバス、都が経営する地下鉄はすべて無料なのだ

美濃部都政の時の公園つくり、とこのシルバーパスはありがたい
事業税や所得税、住民税を払っているので当たり前と言えば当たり前の制度だが、毎日利用する交通機関だけにありがたさが身にシム。何年か前どれくらいありがたいかを一か月計算したら15000円だった。大江戸線が出来てありがたさが飛躍したのだ

そのパスは無料でいただくのではなく、高い人で年間27000円。仕事を持っていない人は年間1000円

このありがたいシルバーパスを5年間使わずにいた
それはなんだか「みっともない、恥ずかしい、悪いわよ」という複雑な感情
所が、とてもとても尊敬するセレブの先輩が
「毛皮なんか着てこのパスだすのなんだか違和感あるのよね」
と言いながら
「比佐子さんこれ本当に便利、使わなきゃあ勿体ない」
何が勿体ないのかよくわからないが、彼女が言うんだもの私も使おうと付和雷同して使用始めたらこんな便利なものはない

すぐタクシーという癖もなくなり、お金の価値が身に染みて、無駄遣いもあまりしなくなった
何より家の周りに個人店が無くなり、デパ地下顧客になった今、このシルバーパスの使用頻度は増えてきた

それを落としたのだ
痛恨の極み
降りる駅で「あーらない」と駅員さんの目の前でバックをひっくり返して店開き。気の毒がってすぐに落とした駅に電話をしてくれたが「まだ届いていないようですね」

親切に
「一回は再発行してくれますが、お客さんのすることはまず、地下鉄の総合落とし物センターに明日電話をして届いてなかったら、再発行申告してください」

やれやれ
落とすという行為の反省もさることながら、駅員さんたちの親切な応対に心和んだ



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沖縄返還50周年

2022年05月16日 09時09分04秒 | 日記
返還前の沖縄染織の状態を知りたいと、返還話が煮詰まり始めた1968年(昭和43年)の夏沖縄に取材に出かけた、
その頃はもう家庭画報の着物のページを受け持っていた
編集長の本多光夫さんが、奄美大島も返還前と後では大島紬の様子がずいぶん変わったので、沖縄の染織状態も見てきた方がいい。という意見もあり、またチャ子ちゃん先生も着物のことを追求していると、どうしても沖縄の染織は外せない。またアメリカが統治している沖縄が見たいという気持ちも強かった

馬鹿みたいに驚いたのは「肉の大きさ」まるで草鞋のような肉を米軍の兵隊たちがほおばっている。美しい海には囲いがあって日本人が入れない場所がいっぱい。ここもダメあそこもー-と海岸に出られない。さらに米軍の将校たちが集まるところのなんとゴージャスなこと

そんなことよりまず離島に行くことにした。宮古島。そこは「薩摩上布」の産地。宮古島で生産しているのに「宮古上布」ではいけないの?という疑問
薩摩が沖縄を統治していた名残が、こういう産物に残っているのだ

久米島で生産されている紬は「久米島紬」石垣島で織られている麻と木綿の布は「石垣交布」なのに宮古島で作られる麻の反物だけが「薩摩上布」と名付けられていた
何故何故としつこく食い下がる私に、島の郷土研究家が宮古島と薩摩の関係を一日がかりで解説してくれた

岬に立って青い海を見た
地球は丸い海原の遠くは楕円形になっている
「ある日あそこに豆粒のような黒い陰が出来それが動き始めたとき、日本は終わりと思った、そして昔の薩摩の圧政と同じになるのかとー--」
と次に案内されたのが「人頭税」の石、薩摩の政策で個の石より背丈が伸びたら、税を取るということで、税を払いたくない人は足を切断する人もいたという

そういう中で織り続けられた薩摩上布は島の最高の収入源でもあった
当時はまだ残っていた女たちが集まって機織りをする小屋に案内されたが、小さな窓の明かりの中で、女たちが上布を織り続けていたのだ

私が出来ることは自分が書く原稿に「薩摩上布」ではなく、「宮古上布」と書き続けることだった
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金は天下のまわりもの

2022年05月14日 10時08分57秒 | 日記
一度だけ株をやったことがある
市谷に事務所を構えていて10人くらいを抱えていた
雑誌や企業のPR誌、また出来たばかりの着付け学校の教科書作りをしていたので、初めにまとまったお金が届き、それを株に回していたのだ

それにはとても信頼できる証券会社の営業ウーマンがいて、彼女に任せっぱなし。もちろん報告は受けていたし一応こちらから希望も出していた

消費税が3%になったとき、当社で発行していた雑誌の値上げをしなくてはならず、それと同時に寿退社の人が二人、出産退社が一人出て、この際会社を小さく私一人の会社にしようと決心、それぞれの仕事先をあっせんし、退職金はくだんの株を全部売って当てた

その為株には悪い思いは一切ない。それ以降株に手を出していなかった
一人会社にまたスタッフが増え、事務所の空間も広くしたいと引っ越しをしたり、じぶんたちで、企画を考えると今度は先に自分のお金を出さねばならない。という仕組みになり、銀行からお金を借りたりしているうち、その日暮らしのお金の回り方で、株とはますます縁が遠のいた

またまた今一人会社になったので、お金の勉強を始めた。銀行預金は利子が0・001%、しかし銀行の株を購入すると4%から5%、例えば100万円銀行に預けると、1年の利息は10円。銀行の株を購入すると4万円から5万円の利息が入るという。
こういうことも知らずに偉そうに日本の文化を語るなんてやっていたのかと思と恥ずかしい

この三次元に暮らしている限りお金は生活になくてはならない、消費税は3%、5%、8%、10%と上がってきているけど、働いていただくお金は10倍どころか当時の5分の一に減っている。ここにきて物価も高騰

働いたお金で生活できる世の中になっていない以上、資金作りはきちんと考えなければならないのだとつくづく思う
「金は天下の回りもの」というようにどこかで貯めないで循環していることがみんなの生活を楽にすることなのだが

何年か先はお金のいらない世界になるらしいが、もう少し三次元にいなければならないもどかしさ

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戦争の歴史

2022年05月13日 10時06分55秒 | 日記
戦争のことが気になり、世界の戦争の歴史を調べていたらすべてロンドンシテイの「武器商人」たちの画策だったのね
驚き!
知ってる方たちはたくさんいると思うけど、チャ子ちゃん先生のような一般人は報道されることしか理解できていなかった

先ずアメリカの南北戦争
南は綿花の生産が活発で、北は工業が盛んな地域、戦争の原因は奴隷解放だと教科書で教わった
「風と主に去りぬ」の映画をうっとりと眺めていたノー天気の娘だった

武器の資金をイギリス(正確にはロンドンシテイ)が南と北に渡したのだが、南はそれを受け取り、北は拒否して独自の貨幣を作った。グリーン券と言われるもので、時の大統領はあのリンカーン。そして戦争は北が勝利をおさめ、リンカーンがあの有名な「人民による人民のための人民の政治」を目標に国政を始めたが、暗殺された

このころから武器商人は世界統一政府をもくろんでいたのだ!

大東亜戦争はもっと複雑
イギリスやフランス、オランダの西側諸国のアジアにおける植民地政策に異を唱え奴隷制度の開放を訴えたのだが、気に入られなくて、じわじわ責められ、いろんなことに足を引っ張られ、堪忍袋の緒が切れた日本は「真珠湾攻撃をした」というのがどうやら真実

追い込まれて戦争に踏み切らせるやり方は、あの南北戦争のころから全く変わっていない武器商人たちのやり方のようだ

誰も戦争はやりたくない

どちらの国が勝ってもその国の人びとの死はまぬかれない

しかしあたかも国を守るためみたいな正義を打ち立てて人と人を戦わせる。そしてその国のリーダーをさせて、また失脚させて、または暗殺して国を亡ぼす。その後ろに武器商人。こういいう戦争はもう終わりにしたい

元を絶つためには一人一人が自分の軸をブラさないで、灯台のように自ら明かりをもって周囲を照らすことかも


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勇み足

2022年05月12日 17時57分58秒 | 日記
相撲言葉からきた「勇み足」
若い時によくやる失敗
若い友人に「話を聞いてほしい」と言われ出かけた

ある人からいい話を聞き自分もその話に乗って一緒に学ぼうとしたという
確かにチャ子ちゃん先生も入れて4人でzoomを使って話し合ったとき、若い三人は未来に向けて盛り上がっていた

学んでビジネスをしたいという、ちょっと堅い話であったにもかからず、主になった男性がワインを飲んでいたのだそうな(チャ子ちゃん先生は気が付かなかった)その時若い友人は「ちょっとな」という思いがあったのだっという

そして翌日会話の進行をしていた男性から夜22時に電話がかかり、今後の方向を話し合った
始めは会話がかみ合っていたが、件の男性が友人の私的な生き方にまで口をはさむようになり
「今あなたがしている仕事はいづれなくなる市場なので、早くこの新しいビジネスを始めたほうがいいそれに対して、僕は労を惜しまずあなたを援護する」

彼女の仕事に未来はないと言い切る男の言葉に、プチっと切れた彼女は
「私はこの仕事自分の天職と思って続けてきました、それに社会に役立つ仕事だと誇りを持っています」
「えっ僕何か変なこと言いましたか?」
かなり酔っているのだなということが分かったそうだ
だからと言って、「明日はない」といういい方はないだろうと、彼女も夜はかなりお酒を飲む方だが、この日は素面
「縁を切りました、一緒に学びません、未来を語る相手ではありません。第一不謹慎です」
「彼の勇み足ね、あなたの仕事ぶりに突き動かされて、一緒に未来を語れる相手に出会った喜びが、自分の高揚した気持ちだけをおし付けたというわけだわね、若い男の通る道だわ」と私
「そういわれればそうっだお思います。でも今の仕事をもっと充実させたいのです」
「そうよ、それでいい、いい選択だったわね、お互いに成長してまたどこかでご縁が出来るかもしれない、でも今はあなたは自分の仕事にきちんと向き合うことが肝心ね、えらいわよ、自分の行くべき道をしっかり見続けている姿勢、えらい偉い」

軸がしっかりしている彼女の顔がパッと明るくなった


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着物が繋ぐもの 486

2022年05月11日 08時37分18秒 | 日記
「きものという農業」三五館
という本をチャコちゃん先生が出版したのは2007年、今から15年前
その当時すでに養蚕農家が2000軒を切っていたが、今ではその10分の一しか残っていない
しかもそのほとんどの農家は蚕の食事は初めのうちは人工食である
桑の葉の粉末、トーモロコシの粉末その他蛋白質を含んだ植物の粉末で三令までそだてる。形は羊羹風(栄養学的には満点だそうな)

蚕は食べて寝て脱皮して大きくなる
孵化して一回脱皮して一令、つまり五回脱皮して五令となって糸を吐き繭を作る
この「きものという農業」を書いていたころの取材では、多くの養蚕農家は種(蚕の場合卵とは言わない)を「種や」から購入し、種が来る日までに蚕室を消毒して(ホルマリンとか石灰を使う)種を迎え入れていた
蚕は「菌」に弱く三令までは気が抜けない
それで生の桑の葉を食べさせるより人口の物の方が衛生的だという考えもわからぬではない

種を受け取ったの農家は、桑の葉をみじん切りにして蚕に与える
そうすると孵化した蚕は続々と桑の葉に群がる
大体20万とか30万という種の数、大きな養蚕農家はそれ以上の数になる
ウニがはいているあの箱に2万粒の種が入る

蚕が三令になると蚕室からもっと大きい養蚕室に移され、桑の葉も小枝ごと与えられる
人工食から桑の葉に戻った蚕は喜びを全身にみなぎらせてワシワシと食む姿が愛しい。嬉しいのだろうなあと思う

人間の都合で養育方法が時代とっともに変わったけど、蚕の一生は自ら変化させてはいない。桑の葉を食し、大きくなって糸を吐く
日本の絹がもてはやされたのはその育て方にあった

それは「和棉」にも言える
日本の土はミネラルが多く土のエネルギーが強い、その為日本で育てる棉には虫がつかなかない
一時和綿の生産は絶えていたが、今は亡き田畑健さんが和棉を千葉の鴨川で育て日本の和綿の復活の狼煙を上げた
明治時代は和棉の種をも輸出するほどの生産量だった日本、昭和・平成で何もかも失ってしまった先人たちの知恵を令和で一気に取り戻し進化させたい

本日の「チャコちゅうぶ」はそのような話をいたします 20時から


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バベルの散乱

2022年05月10日 09時30分23秒 | 日記
世界の大富豪、WHOへの個人寄付ナンバーワンの「ビル・ゲイツ」が新刊を出した
言葉のわかる友人の解説によると、タイトルは「次のパンデミックを阻止する方法」で、遺伝子治療のワクチンが貧しい国にいきわたらなかったので、パンデミック協会を作り、其れぞれの国の権限はWHOに任せるようにし、WHOが世界の中心となって、10億ドルを集め、3000人の医者と世界の有数な製薬会社を結集しWHOの指揮のもと、国家権力を超えた権力を作って、超富裕層が世界を動かす法律を作る
という内容だとか

ビル・ゲイツが10年前に大学生の前で演説をしていた「世界統一政府」の誕生が2024年に設立されるらしい、グローバル、グローバルとお題目のように唱えている人が多いけど、水際まで来た危機に私達は立ち向かわなければならない

日本は本来「生活共同体」を中心に村落を作り国を造ってきた
東京や大阪などの大都市には「隣の人のことはわからない」という生活様式になっていてとても無機質

電車に乗ると全員マスクしてスマホとにらめっこ、会話をしてはいけないとエレベーターに掲示もしている

まだ自然が残り、隣近所との親しい関係が保たれている地方に取材で行くことが在る。そこに座ると「生きている」という実感がわく。その地で作られているものに生命力がみなぎっているのを感じて、免疫が上がる

多くの都会人が田舎暮らしにあこがれるが、人との接し方が分からず、その地方になじめずまた都会に帰ってくるケースもあると聞く。大都市は日ごとビルが高くなっていく

金持ちが社会を動かしている現在は、生活や考え方に、お金を主役においてしまう。投資資産作りに躍起になるが、みんなビル・ゲイツのようになりたいのだろうか?
お金を持った人はバベルの塔に上がっていく
しかしもう間もなくバベルの塔は倒れ、本当の愛ある平和がやってくると思うのだが、人はいきつくところまでいかないと目覚められない動物かもしれない



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ネコちゃんを看取る

2022年05月09日 08時26分08秒 | 日記
その日、楽しみにしていた音楽会へ向かっていた

前夜親しい友人Kさんから、ご自分が育てているネコの様子がおかしい
「半分虹の橋を渡りかけているように思うの」
とご本人が猫を抱きかかえ意気消沈した写真が送られてきた
少し前からかなり弱っているということは知らされていたが、昨日今日という感じではなく、Kさんも家を留守にして仕事で飛び回っていた

ロシアンブルーの猫がKさんのもとに来て18年になる
美しいけど、気の強い子で人に甘えるというそぶりは見せず、撫ぜる場所が気に入らないと「しゃー」とかみつくようなことをしていた
飼い主と子供の時にショップから購入の時連れ出して抱っこしていたOさん以外の膝には乗らなかった
潔癖症というか、気位の高い猫だった

チャ子ちゃん先生には抱かれたいという素振りは見せなかったけど、机に就くとノートやアイホンの上にわざと坐り、「どいて」というとシャーと手をかむ
食事の時は食卓に上ってきて、皿の中の物に口をつけたり、わざわざ前を何回も徘徊する
飼い主は
「なんで比佐子さんの時だけそうやって邪魔するの?」
と𠮟って下におろすが、そんなことに肩えずまた上がってくる

ある時から
机の上に何もない時は美しい目を見開いてじっと私と視線を合わす
何か問いたいことが在るらしいのだが、あいにく凡人のチャ子ちゃん先生にはわからない、そうするとじれてシャーと手をかむ

そういう繰り返しのお付き合いだったけど、送られてきた写真を見たとき
「もう行くよ」
というメッセージを受け取ったように思ったのだ

コンサートホールを目の前にして、踵を返しKさんの家に向かった
そのことを告げると車で駅まで迎えに来るという
「いや万が一ということが在るかもしれないから、タクシーで行く」
それが正解だった
家に入って名前を呼んだら力を振り絞り体を起こしてにゃーにゃ―と声を出す
暫く二人で話していたら、大きな声で一声「にゃーん」と澄んだ声を張り上げて目をつぶった

その後痙攣が始まり、失禁、口からも水が出るそれも長くは続かず、静かに息絶えた

命が途絶えるときに立ち会うのは生まれて初めてで、命の終わりの厳粛さを感じた

何より一人になってしまうKさんを案じて駆け付けたのだが、猫ちゃんも私を待っていてくれたのかとありがたさに胸が詰まった

ふと窓の外を見たら近所の野良猫が二匹きちんと坐って一緒に見送っていた

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