あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

植物の祭典

2023-11-05 11:14:09 | 旅する

三連休の初日、小石川植物園で開催の小石川植物祭を訪ねた。

動画はこちら

このイベントのことを知ったのは、6月に初めて小石川植物園を訪ねた時だった。さて、どんな祭なのだろう…と思うとともに、植物に対する興味が湧いたこともあって、さっそく予定を入れた。

植物園に向かう途中、紫色の美しい花を見かけた。

しばし眺めていると、蜜を吸う鳥?が。

これまでも何度か出会ったことがあるけど、いったいこの生き物は何なんだろうと調べてみると、蜂雀(ホウジャク)という蛾の仲間のようで、なるほど胴体のフサフサした感じがモスラ系というか、何となく納得した。

普段は開いていない入口から植物園に入ると、既に多くの人が集まっていた。皆さん、日頃から植物に関心を持った方々なんだろうなと思うとともに、俄かな自分に若干恥ずかしさを覚えながら。

園内各所にイベント出展ブースが設置され、それぞれ興味深い企画を提供されていた。

すべてを体験するには時間も…も足りないこともあり、いくつか絞り込んで体験した。中でも「旅する木々の物語」という園内ツアー企画は、ガイドを務めていただいた崎尾均さんのお話がとても興味深く、生命を繋いでいこうとする植物の意志のようなものを感じながら愉しんだ。

スズカケノキやプラタナスの、ラクウショウとメタセコイアの、など、植物の生い立ちや似て非なるものなどのお話を伺いながら園内を散策するのは、とても贅沢な時間の過ごし方だなって。

そして、ふだんは石彫をされている作家さんによる、園内で出た木材を用いた木彫も、その表情が魅力的で、作家さんに伺うお話も興味深かった。

そう、動画で紹介したけど、園内を散策中にカマキリを持った子に声を掛けられた。ほんの短い時間だったけど、なぜ僕に声を掛けてくれたのかとか、その様子ってどんな風に見えるのかな…とか、考えてみるとおもしろいけど、とても愉しいひとときだった。

それと、こちらは動画に残すことはなかったけど、植物園を出たところでベンチに腰掛け、近くにいた方に会釈をすると、そこから会話が始まり、なぜかその方のお知り合いが東大でシダの研究をされていたといったお話を伺った。研究では飯は食べていけないと最近民間企業に就職されたというところまで伺いながら、その方がプライベートなどで情報発信されたら面白いのではとお伝えした。SNSならすぐにでもできるだろうし、いずれ出版とか… せっかく得た知識をアウトプットしてより一層自分のものにする機会があればいいなって思う。シダってデザインのモチーフになることもあるから、そういうところに繋がっていくこともあるかもしれないし、広がりを愉しめたらいいな。

そんなこんなで、園内で5時間近く過ごしたけど、足には疲れがきたものの、充実した時間を過ごすことができた。

また来年も来てみたいし、植物園には季節ごとに訪ね、季節ごとの魅力を感じたい。

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雲海を観に行こう

2023-10-29 09:58:00 | 見つめる

先週くらいまで仕事が忙しくて…というか、これからも忙しさは変わらないけれど、休日出勤の振替で金曜日に休みを取り、長野まで出掛けた。

動画はこちら

仕事を終え、家で夕食を食べてから、22時少し前に車で出掛けた。20代から30代の頃はそんなの苦にならなかった。母や妹を連れて遠くに出掛けたりしていたけど、40代後半になるとだんだんと車の運転も億劫になり、あまり無理をしないようになっていた。ただ、この日は「雲海を観る」という目的を掲げていたのと、近くに前泊というのも難しいだろうと、深夜に車を走らせることにした。

仕事の疲れもあり、なるべく多めに休憩を挟むようにしたけど、それでも寄る年波には勝てず、100%回復には遠く及ばない程度でまた車を走らせた。

一般道も高速道路も、年度末でもないのにあちこちで工事をしていた。本来であればこれが通常の光景なのかもしれない。予算が余っているから年度末に消費するという考え方は今も残っていると思うけど、この国はもうそんなことを続けられるほどの余裕は持っていないし、人のやりくりも海外に頼らざるを得ないくらいだし。頼みの綱の海外からの労働者も今後が見通せないだろう。

さて、そこまで深くは考えなくとも、眠気覚ましもかねてあれこれ考えながら、3時少し前に現地の駐車場に到着した。すでに先客らしい車が何台も止まっていて、おおむね内側からガラスに目隠しをするなど万全の夜明かし対策が講じられていた。

そんな中、夜空を見上げると普段は見ることができない、たくさんの星が輝く光景が広がっていた。持参したコンパクトカメラに小さな三脚を繋ぎタイマーを使って撮ったものの、三脚とミラーレス一眼を持ってこなかったことは後悔した。車で来るんだから、それくらいの荷物が増えても大したことなかったのに…って。

さて、静まり返った駐車場に少しだけだけどシャッター音を響かせた後、僕は運転席の椅子を深めに倒し、持参したネックピローを普通の枕のように頭に敷いて横になった。疲れもあったのか案外眠ることができて、5時少し前に目覚ましが鳴るタイミングで目を覚ました。

ゴンドラのチケットを購入して乗り場まで歩く。思いのほか距離があったけど、体の芯から目覚めるにはちょうど良かったのかも。本格稼働する冬のスキーシーズンとは違うし、また週末とはいえ平日だったので、相乗りではなく一人で乗せてもらえた。上を眺めても暗くてよく見えなかったけど、麓側の目の前には今まさに太陽が昇って来ようかと言う景色が広がっていて、ここまで来た甲斐があったというのか。

先客の方々と、後から来る方々と共に日の出の瞬間を待つ。まあ、この時点で雲海は諦めていた。前日にここ富士見パノラマリゾートのホームページで「雲海が現れる確率40%」を確認していたので、そこまでショックではなかったけど、残念なことには変わりない。

日の出を見るのは昨年の年末に九十九里海岸を訪ねた時以来。あの時は日の出を見るためだけに出掛けたけど、今回はもう一か所目的地を考えていた。

美しい光景を眺めてから、さてこれからどうしようかといつものようにノープランの悩みが浮かんだものの、すぐ脇に「入笠山頂まで60分」という看板を見つけ、なぜかあまり迷わずに看板が指し示すその道へと入っていった。というのも、何年も使っていなかったトレッキングシューズを履き、同じくのトレッキングポールを持っていたからという単純な理由からだ。そして何より「60分」という所要時間が「可能なもの」という意識を強く擽った。

はじめのうちは山道の散策程度に感じられたけど、湿原を抜け、山小屋のある辺りから登山路に入っていく辺りから若干の後悔の念が浮かんだ。まあ、ここまで来ると引き返すのはどうかなと思うのと、それを「勇気」と称賛されるほどの難易度ではないと…そう「60分」だし。

ただただじっと日の出が作る光景を見るために厚着をしてきたのが、山歩きにはむしろ暑さに繋がった。実際に汗だくになったので、中に着た上着を脱ぎリュックに入れ山頂を目指した。

ようやく山頂に着くと、360度見渡せるパノラマにここまでの苦労(の足元にも及ばない…)が報われたと思うとともに、汗をかいた体が冷たい風を受け冷えていく感覚があった。膝の辺りに衰えを感じるものの、まだまだ歩けるうちに少し負荷をかけた歩きを愉しもう(か)と思った。(か)は留保の意味で。

ゴンドラ駅に戻り併設されたレストランに向かうと、営業は8時までとなっていた。入笠山の山頂へ行かなければという気持ちが過ったものの、それもまた愉しいと思えた。

その後、富士見の街で買い物をしたりして、次の目的地へと向かったものの、その途中で睡魔に襲われ、事故を起こさぬうちにと思い仮眠を取ったら思いのほか眠ってしまい、その目的地へ行くのを諦め家路に着いた。

行き当たりばったりは僕の人生そのものだなって思うけど、今さらそれを変えようとも思わないし、ならば最後までそんな人生を愉しんでみようとも思う。

ということで、中年真っ盛りにもかかわらず頭の中のかなりの領域を占める「行きたい場所候補」に「山野草のきれいな場所」と「夜空の星を眺める場所」を改めて加えた。

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私たちの世代は

2023-07-31 20:39:59 | 本を読む

瀬尾まいこさんの『私たちの世代は』を読んだ。

瀬尾さんの作品には毎回心を温めてもらい、そして、また少しずつ歩いていける気持ちを持たせてくれる。ここ数ヶ月、ずっともやもやしていた僕の心の雲をやんわりと吹き飛ばし、暖かな陽を差し込んでくれたように思う。

物語の主人公は、冴と心晴という二人の女の子。共に同じ町で育った同じ年の二人は、小学三年の末に新型コロナウイルスの影響に見舞われた。

その時を境に、二人の学校生活はそれぞれ大きく変わっていく。その点で、二人にとって「コロナ禍」は災いそのものだった。多くの命が奪われ、感染した人たちの中には今も後遺症に苦しんでいる人もいて、大半の人たちにとって災いであったと言えるけど、二人のように心に傷を負った人たちも大勢いることは、自分を振り返れば想像に難くない。
 
でも、瀬尾さんが描く物語はそれで終わらない。それを期待して彼女の作品を読んでいるというのもある。
 
別々の環境で育った二人があるきっかけで出会い、互いに距離を縮めていく過程がおもしろい。そして、毎度ながら主人公を取り巻く登場人物が魅力的だ。瀬尾さんの作品には必ずと言っていいくらいに、誰かを強く引っ張ったり後押ししたりする人が登場して、僕はそんな人の活躍に魅了されている。この作品でのその人は、冴の母親だというところまでは言ってもいいだろうか。娘に対する彼女の惜しみない愛情は、まわりまわって冴を支えてくれる。「それでも…」という思いは読者みんなが抱くだろう…と、それくらいにしておこう。そう、母親の惜しみない愛情は、心晴にも注がれていたことは書いておきたい。

あの災禍は自ら望んだわけではないし、それを呼び寄せた原因を作ったわけでもなく、またその影響をコントロールできるほどの知識も経験もなく(それはあのときを迎えた大人にも言えることだけど)、ただただ誰かが打ち出す方針に従うしかなかった。そして、その状況を甘んじて受け入れていた面もある。考えなくていいから…ということもあった。でも、それってあの災禍の下だからだったのだろうか。と、「いつだって人生は厳しいし、学校生活は楽しいことばかりじゃない。」という台詞が心の奥深くに刺さった。

冴や心晴と同世代の人たちの感想をぜひ聴いてみたいと、姪や大切な人の姪っ子さんのことを思い浮かべた。でも、彼女たちは自らの力で今を生きている。

さて、読み進めていく中でここしばらく頭の中の一定部分を覆っている出来事について考えていた。物語に引き込まれていくとともにそれは小さくなっていったけど、一方でコロナ禍によって可視化されたことも多々あるなって思った。その一つとして、在宅勤務に対するスタンスが挙げられる。仕事の効率化に活用していると思われる人もいれば、そんな風に見せかけているだろう人も。後者に対しては苛立ちを禁じ得ないけど、もう少しすれば「可哀そうな人だな」って思えるようになるかな… そして、そんな人たちのことを考える時間があったら、立ち上がろうとする人や前へと踏み出そうとする人たちに寄り添おう。

結びが本の話から逸れてしまったけど、コロナに勝つとか負けるとかではなく、僕は僕の道を歩いていけたらいい。

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山道の先に

2023-04-20 22:58:35 | 前に進む

なかなか会うことができない遠くに住む友だちがこちらに来られるというので、空港からの送り迎えを買って出た。車の中ならずっと話していられるんじゃないかって思いながら、その日を楽しみにしていた。

迎えた当日、まずは到着に間に合うようにと羽田まで車を走らせた。ほぼほぼ予定通りに空港の駐車場に車を停め到着場所に向かおうと思ったところ、駐車券を持たずにいたことに気付いた。しばらく車内やカバンの中を探してもなかなか見つからなかったけど、何とか見つけてターミナルビルへと向かった。

この日の動画はこちらから

空の旅はもっぱらANAを利用するので第1ターミナルを訪ねるのは10年以上振りだった。チェックイン端末が並ぶ様子も第2ターミナルとは全く違い、それがまた興味深かった。

空港からの行き帰りの車中はほぼほぼ聞き役に徹した。友だちは普段誰かの話を聞く側なので、こういう時ぐらいはいいんじゃないかって思う。まあ、聞いてほしいことが無くもないんだけど、それはまた次の機会でもいいかなって。

友だちを目的地に送り届けたのち、独り車を走らせた。カメラを持ってきたので景色の良さそうな場所を探しながら…って、探しながら車を走らせた訳ではないけど。スマートフォンの地図で「展望台」を検索したら、割と近くにその場所を見つけた。ただ、そういう場所は平地からだとそれなりに上がって行かなければならず、また道もそれなりに狭い。とはいえ、まだまだ運転は楽しいと思えるので、10年以上乗り続けるコンパクトワゴンでもそれなりに走りを堪能した。

ちょうど天気も良く、展望デッキではハイカーの方々が記念写真を撮ろうとしていた。そういう様子を見るとつい「シャッターを押しましょうか?」と声を掛けたくなるけど、この日もやはりそういう感じで、喜んでシャッターを押した。その時の、そして撮った写真を確認してもらう時の表情を見るのも楽しみだったりする。

再び友だちと待ち合わせ、羽田まで向かった。途中関越道で事故渋滞に巻き込まれ互いに言葉も出ない時が流れたものの、渋滞を抜ければあとは順調に空港までたどり着いた。空港に近づけば別れの時ももうすぐだと淋しさを感じるものの、遠方からの日帰りによる疲れをなるべく軽くできたらという気持ちもあった。

次に会えるのはいつになるだろう。会いに行くには思い切りが必要だったりする。いや、そんなふうに自分にブレーキを掛けているのかも…と。それを否定するためにも、次の予定を立てよう。

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緑を求めて

2023-04-15 08:06:45 | ふらり

時々、緑の中に身を置きたくなる時がある。大抵は疲れている時なのかな。

遠出をしたいという気持ちもありつつ、移動の煩わしさや疲労を伴うだろうことを考えると躊躇してしまうのは、きっと「もう若くはない」ということの裏返しなのだろう。

そう、近場にだって、東京都区部にだって、緑を楽しめる場所がある。そのうちの一つが、この日訪ねた石神井公園。池もあり、この時期ならまだ渡り鳥が羽根を休めている姿も見ることができる。

の日の動画はこちらから

遠出にはならないけど、少し早めに家を出て、7時過ぎには辿り着いた。早朝の空気感が緑と相まって、ここが23区内であることをひととき忘れさせてくれる。まあ、忘れなくてもいいんだろうけど。その景色に鳥の囀りが響く。そんな中をゆっくり、意識的にゆっくりと歩く。時の流れを感じながら。

途中、大きなレンズを付けたカメラを持つ人たちの姿を見かけ、そのレンズが向けられた先に注目すると、そこにはカワセミの姿があった。

その輝きに多くの人が魅了されるのもよくわかる。それは、僕もまたその姿に魅了されたから。次の予定を気にしつつも、こういう出会いは大切にしたい。そんな気持ちとともに、その光景を味わった。

さて、ここを訪ねた理由の中に、園内に根を張るメタセコイアの木々を見たいというものだった。紅葉した姿も美しいけど、新緑の頃もまた見応えがある。そこには、思った通り、いや、思った以上に美しく緑を纏った姿が待っていた。少しずつ、そして確実に、疲弊した心にエネルギーが貯まっていくのを感じながら、風に揺れる姿を見上げた。

売店が開いていなかったので朝酒とはいかなかったものの、寧ろアルコールによって千鳥足にならなくて良かったんだろうな。

その後、少し歩いて隣の駅近くにある牧野記念庭園を訪ねた。

植物学者の牧野富太郎博士が晩年を過ごされた邸宅の跡地に建つ記念館と、博士が植えられたものをはじめ数々の植物が彩る庭園を、ゆっくりと愉しんだ。

ちょうどこの日まで、牧野博士の生誕160年を記念し募集された博士への手紙の入選作を展示する企画が行われていた。普段ならながし見くらいで済ませてしまうところ、それぞれの手紙に込められた思いが僕の心の奥に響いたようで、じっくりと読ませていただいた。展示の中には、恵泉女学園の山口美智子氏に充てた牧野博士の手紙も展示されていた。恵泉女学園と言えばつい先日、大学の閉学を前提とした学生募集停止というニュースに触れ、過去に深く関わった仲間がこの大学の卒業生だったことを思い出した。そして、この学校の取り組みを知り、今後より強く求められるものだと思った。昨今、大学教育が企業などからの「即戦力」の要望に応えるものになる中、こうした本質的な学問へのニーズが低下してしまうのは致し方ないと思う一方、それだけこの国に将来を考える余裕すら無くなっているのかと淋しくなる。中学・高校は残るそうだけど、これまで培われた大学教育の場が何らかの形で継続される可能性を模索してほしいと願う。

開園の9時過ぎに着いたときにもすでに先客がいらしたが、1時間ほど後に庭園を後にする頃には多くの人が集まっていた。先日から始まった朝ドラの主人公が牧野博士だということで、今後さらに多くの人が訪れるようになると思うと、また季節ごとに訪ねるとしても、開園すぐか閉園間際がいいのかな。

この日はもう少しあちこち歩けたらと思いつつ、最寄りの大泉学園駅から帰途についた。言うまでもなく、「銀河鉄道999」ではなく、一般的な電車に乗り込んで。

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進もう

2023-04-02 21:00:07 | 前に進む

1月末に今年初めての記事をアップして以降、ここに新しい記事をアップすることをサボっていた。そもそも1月末まで書けなかったことをどうかと思うものの、振り返ってみるとその直後に厄介ごとに巻き込まれ、仕事にも影響が出てしまっていた。

ただ、そんな中でも動画はアップし続けて、今年に入ってから16本の動画をアップした。

Kozy is Walking

初期はBGMを入れていたけど、その後は録画した現場の音をそのまま使っている。著作権のことを気にしてというのが理由だけど、これはこれでいいんじゃないかなって思っている。そして、当初から拘っているのは字幕だ。動画だけで表現すべきなのだろうけど、文字にして伝えたいという思いが強いのかな。だったらここでも書いたらと言われるかも…だけど、動画の字幕に拘っているからこちらが疎かになってしまっていると言ったら言い訳だね。

老後の趣味の予習にと始めたけれど、視聴数はだいたい一桁。それでも視ていただけることがありがたいし、何よりも表現手段の一つとしてとても面白い。

このブログを始めたときにも、文章を書く力を身に着けたいといった理由があった。その成果があったかどうかは別として、言葉を紡いでいくことが楽しいと思えた。動画は続けるとして、このブログもまた書き続けたい。時に動画の紹介でもいいかもしれないし、動画では表現できないことをこちらでというのが理想的なのかな。

さて、次の記事はいつアップすることができるかと、自分自身に問うてみる。

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ようやく

2023-01-30 21:47:01 | 見上げる

2023年ももう1ヵ月が過ぎようとしている。その間、仕事であくせくしていたのもあるけど、一方で動画を何本かアップしたりして、まあ、足りなさを感じつつも何とか息継ぎしながら日々を過ごしている。

改めて、そして今さらながら「新年の抱負」について考えてみる。人生も中盤を過ぎて追い込みをかけなければ…などと思うことはないけど、着陸態勢に向けて健康づくりは考えないといけないかな。最近たまに聞く「フレイル予防」とかも含めて。

そう、人生でやり残したことはいくつもある。だけど、それを全て済ませるにはもう時間が足りないだろう。ここ数年、諦めることの必要性を感じるようになってきた。諦めて浮いた時間をやりたいことに充てるだけの気力が残っているうちは。

さて、新年の抱負としてまず思うのは、動画配信100本目を達成したい。ほんの数人でも視てくれる人がいるのはありがたい。人数に関係なく、続けることが大事なんだと思いながら続けていきたい。

それ以外は、血圧だったり体重だったりの目標達成だろうな。

まあ、のんびりと過ごしていけたらって思うけど、それが一番難しそうだな。

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2022年って

2022-12-31 21:34:23 | 立ち止まる

2022年も今日で終わりということで、この一年をざっくりと振り返ってみる。

現役の労働者ということで、働く環境について触れないのも不自然だけど、正直あまり触れたくはないので、ここはざっくりし過ぎなくらいで。年を追うごとに忙しくなるのは変わらない。でも、これって働く人すべてに共通して言えることなのだろうかと思う時もある。誰かに物事をお願いする時などは枝葉末節まで気を配っておかないと、受け取られ方によっては思うような結果が得られないこともある。でも、そんな仕事ばかりでは神経が疲れてしまう。まあ、現に疲れているんだけど。「器用貧乏」という言葉を思い浮かべながら、来年は何でもかんでも引き受けないことが大事かな…って。

仕事の話を書くと愚痴ばかりになってしまうのでこれくらいにしたいけど、仕事が忙しい分プライベートの時間が十分に取れないとは思う。その上、年老いた母との暮らしは制約もあり、暮らしの面と仕事の面の双方でのストレスが溜まっていく。出掛けることでその発散をと思っても、母親から文句を言われたり、またそれが自分の行動にブレーキを掛けてしまう。まあ、何もかも制約なく自由に生きている人などほとんどいないというのはわかっているつもりだし、制約があることで自分の行動をコントロールしているとも思う。

好意を寄せる人との空間的な距離があることが、だんだんと心の距離にも感じられるようになっている。人を好きになることに不器用だったのが50を過ぎて器用になるなんて訳はないし、無理をせず、無理強いをせず、あるがままにというところかな。

さて、50を過ぎてというと、2年前から始めた動画編集は細々と続いていて、このブログに記事を書くよりも頻繁にサイトにアップした。僕自身はもっとブログに文章を書きたいと思っているけど、割ける時間は限られているので、今年は諦めよう。

と、つらつらと書いてみたけど、自分のことに立ち返ると、キラリと光る思い出はないものの、日々を噛み締めながら歩き続けられたのかな。ということで、来年のことはまた明日考えよう。

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マイ・ブロークン・マリコ

2022-10-23 19:02:10 | 映画を観る

映画『マイ・ブロークン・マリコ』を観た。

永野芽郁ちゃんが骨壺を抱えて飛び出していく予告編を映画館で観てからずっと気になっていた。封切りからしばらくたってしまっていたからか上映時間や上映回数は限られてしまっていたけど、かえって朝早い時間の方が時間を有意義に使えると思い、洗濯を済ませてから出掛けた。

映画館に着いてすぐ売店に行くと既にパンフが売り切れているという。見逃してしまうときはもちろんだけど、こういうときに「もっと早く観に来れば…」と後悔する。で、気持ちを切り替え劇場に入った。

始まってすぐ、「マリコの死」という衝撃的な報せからかなりのスピードで物語が進んでいく。それはきっと、芽郁ちゃん演じるシイノの気持ちが動いていくスピードだったんだと、いま改めて思う。マリコの遺骨を奪い抱え疾走し、最初で最後の二人旅に立つ。旅の途中で二人の時間を振り返る。子ども時代から大人になってから、そして、つい最近まで。消灯後の夜行バス、ローカル電車、路線バスと、その時間の流れは微妙に変化し、そして、その中で行ったり来たりするシイノの記憶の中の二人に、観ている僕も痛みを感じていた。

でも、その中からふと感じた。二人の分かちがたい関係を。それはまるで「一心同体」のようだと。マリコのことをウザったいと思いつつも、突然彼女が命を絶ったことはシイナ自身の痛みだった。

最後の二人旅は、二人を明日へと向かわせるものとなった。そこにいた、窪田正孝くん演じるマキオの、自らの経験を経ての穏やかさは、シイノだけでなく、観ている僕の心も温めてくれたようだ。

マリコの存在が彼女のすべてだったというシイノの孤独、そして、自らを追い込むことでしか生きていけないマリコの諦めのような感覚。それらは僕も持っているということを、映画を観終えてから強く感じた。程度の差はあるけど、程度の問題ではないというのと共に。公式サイトで監督のタナダユキさんが書いている「理不尽が押し寄せ、ついに自分を壊すことでしか生きられなくなっていったマリコ」という言葉を読み、改めて実感した。

観逃さなくてよかった。そして、もう一度二人に触れてみたい。その時には、パンフレットが増刷されていてほしい。

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ジャーナリズムについて

2022-09-23 20:25:35 | 立ち止まる

昨年購入した、TBS『報道特集』のキャスターを務める金平茂紀さんの「筑紫哲也『NEWS23』とその時代」を、この6月に読み終えていた。購入してから読み終えるまでに半年以上かかった上に、最近は動画配信の方に関心が移っていたというのもその理由にある。早く書こうと思っているうちに、金平さんが今月末をもって『報道特集』を降板されると聞き、余計にその気持ちが高まっていた。そして、その最後の最後までジャーナリストとして旧統一教会問題はじめ様々な対象に正面から向き合う姿に頼もしさを感じるとともに、氏が去った後のことを考えると不安を覚える。

筑紫哲也さんが亡くなられてからもう10年以上経つ。この間の日本社会の「劣化(と言っても過言ではないだろう)」を促した理由として、ジャーナリズムの衰退が挙げられる。筑紫さんが活躍されていた頃にも報道バラエティのような番組はあったけど、今はもう「本物(と言うべきだろう)」の報道番組は絶滅危惧種となってしまっている。話せば嘘しか出てこないような権力者の好き勝手を許し、さらにそれを支えるメディアもあった。結果として長期政権を担わせてしまった責任は一義的には有権者にある。ただ、その権力者の虚像を増幅して広め人々の投票行動に繋げたと思うと、その作為は罪深い。

と、6月はじめにこの辺まで書き終えてからしばらく手が動かなくなっている間に、その権力者が凶弾により命を奪われた。この国の知や富、そして何よりも、公正さが求められる様々な組織に修復しがたい毀損・亀裂を生じさせた罪を問われ、それについて彼が自ら語る機会が永遠に奪われたということに、強い憤りと大きな虚しさを感じた。その後、その殺人事件の動機が明らかになっていく過程でまた、報道の役割について疑念を持った。団体の名称変更についてTwitterで流れてくる情報に触れたのを思い出したけど、あの時に報道したメディアはどれくらいあったのだろうか。いや、そもそもあったのだろうか。ただ、次から次に様々な問題が起きている中である特定の問題について定点観測的に伝えること、それも、表向きには以前とは変わったとされる組織を追うことの難しさはわからなくもない。

この問題について、そして「国葬」についての報じ方の濃淡はメディアによって様々だ。生前から彼を奉っていたメディアはジャーナリズムの埒外として、この間のメディアはどのような方針を持ち、どのような立場で取り組んでいるのだろうか。力を入れる理由は、彼の死によりジャーナリズムが息を吹き返したのか、今も続く教団が関係する被害に対する贖罪の意識からなのか。一方で力が入らない理由は、取り戻すべきジャーナリズムが根絶やしにされているのか、団体関係者が意思決定に侵食しているのか…などと。一握りのメディアだけであったとしても、筑紫哲也さんが遺したジャーナリズムの魂のようなものが、か弱くも灯され続けたのだとしたら、その火を共に守りたい。

さて、金平さんの著書には『NEWS23』チームの志と、それを挫く様々な出来事、そして、危機に直面してもなお強い志を持って報道し続けた姿が描かれている。それは、ジャーナリズムのみならず、様々な組織に求められる普遍的なものなのだと、心の中で自分が所属する組織と比較した。スタッフ同士が意見を交わし、高い次元で合意点を見出そうとする。互いの強弱によって物事が決まっていくのは組織の道理と言えるかもしれないけど、組織を構成する一人ひとりが理念とそれを実現するための意志を持っていれば、意見の対立は組織にとってプラスになるのではないか。そんな、いい大人からしたら「青臭い」と言われるような気持ちを持った。

ジャーナリズムはもちろん、僕も含め一人ひとりがインプットした情報を消化し、アウトプットするということを互いに繰り返すことは、一見遠回りに見えるかもしれないけど、きっとそれこそが常道というか、そうありたいという気持ちを、筑紫哲也さんが遺し、金平茂紀さんはじめ筑紫さんとともにジャーナリズムを担った人々、そしてその意思を接いでいった人たちから受け取り、僕の心の中でも灯し続けていきたい。

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