あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

体育会系

2007-09-30 23:29:31 | つれづれ
天邪鬼だからか、それとも運動音痴だからか、昔から体育会系を毛嫌いする傾向がある。
考える前に手が出るとか、上位下達が徹底しすぎているとか… まあ、僕の思い込みもあるのかも知れないが、最近ではそんな世界も少なくなっていると思っていた。

朝青龍問題では、親方のインタビューを笑って聞いていられたが、その裏でとんでもない事件が起きていた。

時津風部屋での新人力士リンチ殺人(と言ってもいいだろう)の報を知り、以前思っていたイメージが再び蘇った。
殺された若者の父親は、逃げようとしていた息子に対し、「もう少しがんばってみろ」という言葉をかけたそうで、そのことを今も悔やんでいる。多分、親としてはそこまでひどい世界だとは思わなかったのだろう。または、多くの力士がそうした世界をくぐり抜けてきたのだと思ったのかもしれない。
だが、次に逃げたときに、先輩力士に見つかり連れ戻されたそうだ。
その時、近くにいた人が見ていただろうが、力士の世界には当然のことと見えたのだろうか。

死んだ人は帰ってこない。だから、残された人は「あの時こうすれば良かった」とか「あんなことを言わなければ…」と思ったりする。でも、それが原因だったかどうかは、たとえ遺書があってそのように書かれていても、永遠に分からない。

父親に非がなかったと言う事は、却って彼を追い込んでしまうように思える。だからという訳ではないが、彼にも非はあるだろう。ただ、「国技」という光が当たる部分の裏側にある、体育会系の持つ陰湿な世界こそが、若者を死に至らしめた原因なのだと思う。

ただ、それは相撲界やスポーツ界に限ったことではない。いつか復活するかもしれない「軍隊」では、それは当たり前の世界だろうから。
だから、殺してしまったことだけではなく、殺してしまう可能性を持つ体質に対して声をあげていかなければならない。
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他人事…?

2007-09-30 10:18:55 | つれづれ
「他人の悩みは、僕には関係ない」というのが、今の風潮と言えばそうなのかもしれない。だが、拉致された家族を思う人たちを応援しようという優しい気持ちを多くの人が持っている。たとえ、核ミサイルが飛んでくる危険性が高まっても、そして、その危機が逆に拉致された家族を危険に晒すかもしれないとしても…

今朝の朝刊に、昨日沖縄で開催された県民大会を紹介する記事が大きく掲載されていた。沖縄戦の中で起こった集団自決に、「日本軍の強制があった」という記述を修正させた検定に対する抗議のため、県内外から10万人以上が集まったそうだ。
だが、その言葉を僕らは真摯に受け止めているだろうか?彼らの悲痛な声も「なかったこと」になってしまうのだろうか?

「お国のために勇敢に戦った」、「名誉ある死」などと、醜い戦争を美談にすることで、人々を駆り立てるというのは、昔から世界中で行われている。戦後、この国はそうした手段を放棄したはずなのに、いつの間にか忘れ去られ、気がつくと自分がその状況に置かれているのかも知れない。

さまざまなことを「他人事にせず、自分のこととしてどう捉えるか」こそ、教えなければならないと思う。
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ありのままに…

2007-09-26 23:27:55 | つれづれ
今日は用事があって会社を休んだ。
だが、用事を済ませるための準備ができていなかったため、結局ただの休みになってしまった。

そう言えば、結婚した海保知里アナは今月末、つまり明後日で「はなまるマーケット」を卒業する。ということは、彼女の深々としたお辞儀も、僕には今日で見納めとなってしまった。胸にハートがあしらわれた服を着た彼女の幸せそうな表情を見ていたら、寂しいけど、微笑ましかった。

そんなこんなで、昼まで特に何もせず過ごしていたのだが、もう一つの予定があることを思い出した。それは「-○^○-」、そう、映画「めがね」を観ることだった。

たまたま水曜日はテアトルタイムズスクエアの料金が千円になるというので、ここを逃す手はないと思い、昼過ぎに家を出た。
全席指定であるので、急いで窓口に向かう。何とか席を確保し、昼ごはんを食べようと館内を歩き回った…が、いつもの昼食と値段が大違い! たまにはいいとも思ったが、来月の出費を考え躊躇してしまった。

椅子が僕の体に合わなかったのもあり、鑑賞中痛みや眠気を感じつつ、この作品の世界を堪能した。
どこかの映画評に、「中身がない…」と書かれていたが、確かにそう言われればそうかもしれないが、監督はあえてそこを狙ったのだと思う。

普段僕らはせかせかとし過ぎている。そのことは多くの人たちが認めるだろう。
そう、常に何かの存在を意識しながら、「負けまい」とか、「損したくない」などと思いながら… でも結局は、自分は自分でしかない。ありのままの自分でしかない。
そんなことを思いながら、ついほろりとして、涙が少し出てきた。

池袋西武に寄ったら、イルムス館の入口に映画で使われた小道具が飾られていた。そして、そのうちの一つが売られていた。欲しいと思ったものの、使い道が思い浮かばなかったので諦めた。
もう一つ、ドラマ「セクシーボイスアンドロボ」のDVDが出ていたのだが、何度も手に取りながら悩み、結局買わずに帰ってきた。もう少し時間を置いて、それでも気持ちが変わらなかったら買おうと思う。

思うようにいかなかったけど、何だか休みらしい休みを過ごした気がした

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出会いと別れ

2007-09-25 05:57:47 | つれづれ
生きていると、出会いと別れはつきものだ。出会った人とはいずれ別れ、分かれたあとにはまた新たな出会いがある。

昨日、先日BSで放送されていた「瑠璃の島」の最終回を観ていた。
放送されていたときも全ての回を観たのだが、きれいな映像で観ると魅力が増す。
主人公の瑠璃は、子供には辛過ぎる別れを幾つも経験するが、それとともにたくさんの出会いもあり、その度に少しずつ成長していく。

僕は別れが怖い。父親を早くに亡くしたからだろうか。いや、それは言い訳に過ぎない。ただ臆病なだけだ。だからと言って別れがない訳ではなく、むしろ人と深く付き合わないだけ、すぐに別れてしまう。ただ、その度に心に刻まれる傷は浅い。
だが、それは人としての成長には全く結びついていない気がする。

成長することを目指すという訳ではないが、ただここに留まっているだけというのはどうも…

一つひとつの出会いを大切にしないといけないなあ~と、改めて思う。
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2007-09-22 23:33:29 | つれづれ
松尾芭蕉、種田山頭火、山下清…
漂泊する人々は、一体何を追い求めていたのだろうか。

ここ数年、旅らしい旅をしてこなかったが、いつも心のどこかで放浪の虫が騒いでいる…
突然、自由になる期間が与えられたら、どこへ行こう。
あちこちと行きたい場所はあるが、一ヶ所を選ぶのは難しい。
ただ、何か時間を忘れることができるところがいい。
そんなところで、数日だけでも日常を忘れることができたら…

航空会社のWEBサイトで空席を検索してみたが、土曜日の便の割引チケットの残りはほとんどなかった。
いっそのこと、海外にでも行ってみるのがいいのか。いや、やはり国内をウロウロしているほうが心地よい。

こうやって、迷っているときが最も楽しいというのも何なのだが…
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アートと、ワークと…

2007-09-22 07:35:13 | つれづれ
やらなければならないことが日々積もっていく。
その上、ハプニングへの対応も重なり、頭の中の回路が焼け付くかのように、熱を感じながらあれこれ対応していた。
端ではのんびりと仕事をしている人もいて、「なぜ…」と文句を言ったりもするが、答えはない。
仕事を持って帰ろうかとも思ったが、気持ちを切り替えたほうが良いと思い、そのまま残して帰ることにした。今日こそは…

ちょっと出遅れたが、今日を逃すと行きそびれると思い、六本木の森美術館に向かった。そう、「ル・コルビュジェ 建築とアート、その創造の軌跡」の会期があと数日となっていたからだ。
何とか20時過ぎに会場に入る。会場には、彼の手による絵画やオブジェと、彼が作り上げた建物の模型や写真、図面の現物などが展示されている。そして、彼が考える都市生活を具現化した代表作である「ユニテ・ダビタシオン」、そして妻のために南仏に立てた休暇小屋「カップ・マルタン」の実物大のモデルも展示され、これらは実際に中に入ることもできた。

巨匠と呼ばれる彼の、まさしく創造の軌跡を追った展示は、時間を超えて観る者に力強く迫ってくる。午前を絵画などのアートに費やし、そして午後は設計活動にというスタイルは、豊かな創造の源だったのだろう。
僕にも「たとえ一枚の書類であっても、美しいものを作りたい」という気持ちがある。それは、観る人の心に伝わる力となるから… 成果は?だが、その気持ちはいつまでも持っていたい。そのためには、もう少し時間が欲しい。

何とか2時間ほど観ることができたが、もっとじっくり観てみたかったとも思う。入場は閉館30分前までとなっているが、30分で一体何を感じることができるだろうか… 会期は来週24日(月・祝)まで。まだまだたくさんの人が訪れると思うので、行きたいと思っている方はお早めに。

エントランスと展示フロアを結ぶエスカレーターの脇には彼の描いた絵が飾られていて、写真をと思ったが、ガードマン氏の厳しい眼に諦め、心に留めよう…と思ったが、図録を買った。金額も張ったが、それよりもその重さが疲れた体に響いた。
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ラーメン

2007-09-21 05:14:32 | つれづれ
昨日は遅い帰宅となり、途中で牛丼でも食べようと店に入った。が、「ご飯が炊けるまで15分…」の言葉に、店を出た。
すぐ近くのラーメン店に入る。たまに行列もできる、まあまあの店だ。

ところで、最近はラーメンを目当てにすることがなくなった…
以前は、喜多方まで車でラーメンを食べに行くなんていうこともあったけど、その道の達人にまでは至らなかったし、望んでもいなかった。

もう20年近く前になるだろうか。1人で向かった庄内地方は酒田の街中で、何となく入ったラーメン店。正直、味に期待はしていなかった。だからかもしれないが、スープを口に含んだときに感じた魚の味に、ちょっとした違和感とともに感動を覚えたことを思い出す。

「おいしい」と聞いて行ってみるのも楽しいが、ひょいと入った店で思わぬ発見をするほうが嬉しい。ただし、外れも多いのが難点だが…
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悪役

2007-09-18 23:48:55 | つれづれ
帰り道、乗換駅で見た親子連れ。女の子の手にはバイキンマンのぬいぐるみが…
果たして彼女は、バイキンマンを好んでいるのか、それともお父さんかお母さんのUFOキャッチャーでの戦利品がたまたま彼だったのか…

アンパンマンの存在を知ったのは大学生の頃だった。仲間は子供の頃から知っていたようだが、果たしてその頃の僕の関心はどこにあったのだろう。
でも、小さいときに祖母に買ってもらった機関車トーマスの本を何度も何度も読んでいた。当時はこんなに人気が出るとは思っていなかった…

話が脱線してしまったが、バイキンマンは悪役でも何となく愛すべきキャラクターだ。タイムボカンシリーズのワルサーやグロッキーがマージョ様に頭が上がらないのと同様、彼もドキンちゃんという一枚上の悪役?に、想いを寄せていることもあり、いつも操られている(と言っても、たまたま時間があったときに見たものを思い出すと…の話だが)。

愛すべき悪役が登場する物語は、それだけで面白い。さすがに子供の頃は「正義」を振りかざす主人公が滑稽に見えるということはなかったが、今見るとそんな感じがするのだろうか。バイキンマンを抱いた女の子は、もしかしたらそんな目を持っているのかもしれない…
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理想の総理・・・

2007-09-17 23:50:46 | つれづれ
安倍氏の突然のリタイアで、自民党総裁選、つまり次の総理大臣選びが始まった。
と思った途端、あっという間に趨勢が決まってしまったようだ。
まあ、結果は最後まで分からないが…

この福田氏だが、官房長官時代の記者会見での皮肉っぽい受け答えが印象に残っている。「まだまし」程度の人でしかないのだろう。

さて、この期に及んで前首相のカムバックを望む声が多いという。子供たちはあの笛吹き男に付いて行きたいのだろう。所詮子供だから…

グローバル経済に付いていけないという脅し言葉は、商店街で買い物をするおばちゃんたちにまで浸透しているかは分からないけど、あの訳の分からない選挙の結果、10月の民営化を控えて郵便局の看板にはカバーが掛けられている。

ぬるま湯につかっていていいとは思わない…という時点で、彼らの洗脳にかかっているのかもしれないが、僕らの幸せを考えてくれる人がトップに立てないものだろうか…
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生きている意味

2007-09-16 22:19:33 | つれづれ
時々思う。自分がこの世にいる意味はあるのか…と。
そして、このまま消えてしまおうかとも。

幸いなことに独り身なので、悲しむ人は少ないだろう。
それに、友だちもほとんどいないに等しい。
家族は一時的に悲しむかもしれないが、家族が理由でないことを残しておけば、生命保険もおりるので生活は何とかなるだろう。だから…

そう考えてみるものの、その先へ進むことはできない。いや、進みたくない。
きっと、僕がここにいる意味はあるのだと思う。今は見えなくても、それはきっとあるはずだ。
生きたいと思いながらも生きられない人がいるから。それも理由にはなるけれど、そんなきれい事(と割り切れないけど…)ではなく、何かここでこの世から去っていくのは悔しい気がする。

ここでこんなことを書いているのも、生きている証を残しているのかもしれない。それと、ここで書いたいろいろなことが誰かの目に留まり、その誰かをほんの少しいい方向に動かす力になっていたら…なんて、それもきれいごとかな?

生きることに執着心を持って、それと、いつまでも何かを表現しようとする心を持ち続けていたい。
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