あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

ネオ団地考察

2011-11-30 23:49:59 | 見上げる
今朝の散歩道、途中で団地の中を通った。

「団地萌え」という言葉を聞いたのは何年前だったろう。そうしたブームの理由が何だったのかは知らないし、調べようとも思わないが、僕が団地を見て思うのは「機能美」といったものだ。

僕自身、団地に住んだことはないが、子どもの頃は団地に住んでいた友人宅にはよく遊びに行っていた。僕の家はその頃既に古くなっていたので、新しくできた団地は何となく魅力的だった。「家にエレベーターが付いているなんてかっこいい」とか… そう、団地の下のフロアに店舗があるのも面白いなあなんて。

だが、そんな団地は住民の高齢化などさまざまな問題を抱えている。店舗も軒並み閉まってしまい、せっかくの利便性が失われている。その風景は寂しい。

そんな中、団地の建て替えが進んでいるところがある。今よりも高層化して土地を有効活用しようという狙いでもあるのだろうか。けれども、将来的に人口が減っていく中、今後は戸数の削減などを検討していかなければならないだろう。

ところで、団地のメリットって何だろう。一つの建物にたくさんの家族が暮らしている。それなりのサービスは考えられるのではないかと思う。付属する店舗だって、新陳代謝が容易になればもっと活性化するだろう。給水塔はあるけど、熱源の供給を一元化することはできないだろうか…などと考えると、可能性はいろいろあるのではと思える。

今の時代に合った「団地」とは、ではどのような姿になるのだろう。民間に任せるのも手なのだろうが、住民サービスとして自治体が真剣に考えてもいいのではないだろうか。一定数の住民が増えることは自治体にとっても望ましいことなのだから。
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yotsubako

2011-11-26 23:53:58 | 出会う
今いちばん輝いている女性の一人、アートディレクターの森本千絵さんの会社、goen°がコンセプトワークやロゴデザインに関わられたという商業施設「yotsubako」に、昨日行ってみた。



横浜市営地下鉄、センター北駅を降りてすぐの場所にその建物はあった。それほど大きくない箱だが、中はとても明るかった。それは単に新しいからだけではなく、外の明るさを十分に取り込んでいるからだった。そして、働いている人たちもなんとなく明る印象を受けた。



入ってすぐ、上りと下りのエスカレーターが並んでいることが気になった。普通はお客さんの利便性を考えてXの字のようになっているのだが、ここではそうではない。だが、次のフロアに着いてそれが何を意味しているのかに気付いた。







エスカレーターを降りたお客さんは、通路か店舗内を歩かないとその次のエスカレーターに乗れない。だがそれは、お客さんに各フロアの売り場を回ってもらうことを意図しているのだろう。そしてそれは、お客さんの利便性を低めるのではなく、お客さんに楽しんでもらいたいという優しさなのかな…とも思った。

少し遅くなったが、お昼をいただくことにした。で、選んだのが「土鍋ごはん 米三」というお店で、ご飯がメインという感じだった。それは、おかずやみそ汁がご飯を引き立てているということだと思い、ご飯をすこしおかわりした。



食後に付けてもらったホットコーヒーが来た時、思わず「アイスじゃないですよ」と言いそうになり、その言葉を飲み込んだ。



トイレの表示にも、何となく優しさを感じた。



帰り際、せっかくなのでおみやげにお菓子を買った。



こんな素敵な箱が近くにあったらいいなと思う。でも、ここだけのhakoだから魅力的なのかも…

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恋する気持ち

2011-11-26 23:10:08 | ドラマにハマる
今夜の『妖怪人間ベム』は、ベラの恋を中心とした話だった。

この前、「恋」について真剣に悩んだのはいつ頃だっただろう…なんて思いながら見ていた。僕の場合、勝負に挑んでも出っとボールを食らうのがわかっているからあまり打席に立つことはないし、立ったとしても2アウトで打席に立つ調子のいいピッチャーのように、打ち頃のストライクが来ても明後日の空振りをするタイプである。要は、弱虫なのだ。

ベラのセリフは気持ちよかった。ベロの「ベラは男っぽい」というセリフがそれを引き立てた。だが、そのセリフはベラの女心も引き立てていたようだった。

「交際している異性はいない」という男女が共に50%前後いて、その半数近くが「特に異性との交際を望んでいない」そうだ。僕の場合、交際を望んでいない訳ではないが、望んだからといって交際に至るわけではない。いや、そんなことを言っている僕は結局、「特に異性との交際を望んでいない」1人なのかもしれない。

今回のお話は、そんな時代に対するメッセージが込められていたのかも…
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さよなら、名将

2011-11-26 22:53:09 | 別れる
元近鉄バファローズ監督の西本幸雄さんが亡くなられた。91歳で逝かれたのは「大往生」と言えるのかもしれないが、悲しい。今朝の新聞を読んで初めて知ったのだが、あれこれ思い出して涙がとめどなく溢れた。

阪急時代の西本さんについては記憶にないが、近鉄時代は微かに覚えている。あの頃、長年「お荷物球団」と呼ばれた広島カープが古葉監督の下「赤ヘル軍団」として日本一に輝いたりして、僕も赤いヘルメットを買ってもらった。だが、広島カープが好きだったわけではなく、弱いものが這い上がって頂点にたどり着くその姿に憧れたのだと思う。だから、79年、80年の日本シリーズでは広島カープではなく近鉄バファローズを応援していた。

記憶を「微かに」と書いたのは、選手で覚えているのがマニエルくらいだからだ。その後近鉄球団が消滅するまでずっとファンでい続けた間に、V2選手の名を覚えていった。

西本監督の下で戦った日本シリーズの相手はいずれも広島カープだった。79年は「江夏の21球」という言葉と共に今も語り継がれる名勝負だが、その年に続き第7戦まで持ち込んだ80年の最終戦で、日本一にあと一歩及ばなかったその日、風呂場に籠って泣いた記憶は、少しずつ薄れてはいるものの、しっかり覚えている。

その頃、僕は父を亡くしてまだ間もなかった。今思うと、静かに選手を見つめる西本さんの姿に父親を重ねていたのかもしれない。西本さんは父よりも年上だったが、きっとそんな気持ちがあったのだろう。そして、判官贔屓なところも含め、僕の性格はその頃に形成されたのだろうと思う。

西本さんは日本一に手が届くところまで行きながらついに辿り着けなかったために「悲運の闘将」と呼ばれるが、今朝のスポーツ新聞によればご本人は「私は悲運ではない。いい選手に出会えて、8度日本シリーズに出場できた。大変な幸せ者だった」と仰られていたそうだ。確かに一度くらいは日本一になれたのかもしれないが、それが叶わなかったことに強く人間を感じた。結果だけで語れば「悲運」なのだろうが、人生はプロセスが大事だということだろう。

今年、日本ハムがクライマックスシリーズを早々に敗退した頃、こんなことを書く日が遠くないのかもしれないと思った。愛弟子の一人である梨田昌孝さんが、近鉄ではないにせよ日本一の監督として胴上げされる姿を見せてあげられたらと。梨田さんが今季で監督を辞め、また阪神タイガースの監督にという話も立ち消えた時、そのことだけでなく、西本さんのことを思い、悲しかった。

これからも西本さんは「悲運の闘将」と語り継がれるのだろうが、僕はこれからその言葉は使わない。亡くなられた後でもう遅いかもしれないが、「日本一の名監督」と呼ばせてもらう。

改めまして、長い間お疲れさまでした。どうぞ安らかにお眠り下さい。

そして、僕の思い出が更に遠くに行ってしまう…
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強がり

2011-11-22 08:29:24 | 立ち止まる
道の角に日だまりを見つけた。まず、それを見つけた時点で嬉しい。それは寒い時期だけの楽しみで、夏は強い日差しを避けるための日陰を求めている。

今朝は「快晴」というキャプションが付く空が広がっている。乗換駅のホームに立っていると、暖かな日差しが左の頬に当たる。まあ、その分右の肩が冷える。今朝は、少し冷える。

こんなとき、人の温もりが欲しくなるのだろうが、強がって生きてきた僕はそれを求めるすべを知らない。強がりは、強くない分余計に弱い。

そんなときは、日だまりに逃げ込めばいい。俯きがちになってしまうかもしれないが、たまには空を見上げよう。そしてまた前を向いたら、素敵な出会いがある…かもね。
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宝探し

2011-11-21 07:56:48 | 前に進む
今朝は新聞や雑誌の収集日だった。昨日の夜までは「新聞だけ出せばいい」と思っていたが、今朝になりふと自室に溜まっていた雑誌類を束ね、処分した。

ずっと捨てられずにいたが、たいした理由はない。それがなくなったことで、たぶん、何も影響はないだろう。部屋に溜まったあれこれの、恐らく大半はそんなものなのだろう。

「今度」、「いつか」と先伸ばしにしていたあれこれを、ようやく整理する時がきたと思えばいい。まあ、すでに遅すぎる感は否めないが、来ただけいい。そう思えばいい。

捨てて、捨てて、捨てて、その末に残ったものが僕にとって大切なもの。そうだ、宝探しだと思えばいい…って、そう思うとまたハードルが上がるが、楽しみながら、軽やかに、自分を追い込まずにやっていこう。
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お人好し

2011-11-19 23:32:49 | 見上げる
今日の午後は「雨のせい」と開き直り、ずっとテレビばかり見ていた。ここのところ週末はこんな天気ばかりなのでストレスが溜まるが、それは理想を追い求め過ぎているからかもしれない。

そして、土曜夜の楽しみになっている『妖怪人間ベム』だが、今夜も目をウルウルさせながら見ていた。前回の終盤に夏目刑事が彼らの変身する様子を見てしまった所から、この物語は大きく動いていくのだろうと思ったが、そのエピソードでいったん物語をしっかり固めて、そして新しい展開に臨むという意気込みを感じた。

そこで今回のキーワードとなったのが「お人好し」という言葉だった。ベム・ベラ・ベロが「人間になりたい」という願いを阻むのはその姿であり、その姿になるのは「人間を助けたい」という気持ちが昂ることによる。黙って見て見ぬふりもできるのに…とベラも言うが、それができないのが「だとしたらただの妖怪になってしまう」とベムは言う。それは「お人好し」に他ならない。

ところで、この「お人好し」という言葉は、誰かを指して使う時はその相手を多少小馬鹿にして使う場合が多い。「正直者がバカを見る」という言葉にも繋がるが、「お人好しはいいことない」という諦観に支配されているように思える。

僕も公私を問わず、人が困っている時に見て見ぬ振りが出来ない場面によく出くわす。放っておけば無難に過ごせるのに、困っているという声に耳を傾け、手助けをしようとする。それは結局、自分が本来やらなければならないあれこれに支障をきたすばかりか、手助けがうまくいかない場合には強い非難を浴びることもある。それがわかっていても繰り返し同じことをするのは、確かに「バカ」と言われてもおかしくない。それでも無視できないのは、僕も「お人好し」だからだろうか。

ドラマのラスト。夏目刑事が帰宅する姿を見つめる謎の男の姿に不安を感じる。彼もまた「お人好し」だからというのもあるが、これからどのように物語が展開していくのかが楽しみだ。そして、哀しいエンディングを想像してしまい、今それを打ち消そうと格闘している。ただ、この作品を敢えて今世に送り出すという思いの延長線にそうしたエンディングがあるのなら仕方ないが…
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クリエイション

2011-11-18 07:36:36 | 見上げる
昨夜は銀座のクリエイションギャラリーG8で開催されている「野田凪展」を観に行った。

これまで、彼女の名はまったく知らなかったが、先月だったか、森本千絵さんのつぶやきに、この催しに合わせてトークをするとあり気にしていたものの、すぐに満員札止めとなってしまったのでそれきり忘れかけていた。

再び森本さんのつぶやきにその名を見つけたのは一昨日、トークの後のものだった。そして、この展示が今日18日までと知り、外出に合わせて訪れてみた。

新橋の駅を降りて少し歩くと、目的地はすぐに見つかった。さっそく中に入ろうとしたが、会場内には若い人たちがたくさん集まっていた。それも大半が女性で、普段アートとは縁のない僕は、年齢の違いも含め違和感を発していたかもしれないが、それも彼女の作品のなせるものと、あまり意識せずに会場内を見て回った。

彼女の名は知らずとも、アートディレクターとして、CMプランナーとして活躍された彼女が産み出した作品のいくつかを覚えている。特に、目の回りが白いパンダが登場するANAの広告は印象的だった。展示されたそのポスターの脇に添えられたキャプションを読みながら、なさそうでありそうな「枠」を軽々と超えていった彼女の熱を垣間見た。

残念なことに、彼女は3年前に不慮の事故でこの世を去っていた。けれども、こんなにも素敵な作品が残っていて、その作品に触れようとする若い人がたくさんいる。彼女と関わったことでさらに力を得た人は、森本さんだけではないだろう。そうして、彼女は今もこの世界に生き続けている。きっとそうだ。



その後、朝よりは暖かかったので有楽町まで歩いた。マリオンにLUMINEが入っていたんだったと、夜空を見上げるように確認した。
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おもてなす

2011-11-17 00:29:44 | 前に進む
なかなか仕事が片付かないが、定時に切り上げ横浜に向かった。

今夜は観光庁長官の溝畑宏さんの講演を聞きに行った。溝畑さんについては、積極的にメディアに登場されているということをちらりと聞いていたものの、実際どんな方かなど全く知らなかった。ただ、現在国策と言える「観光」については強い関心を抱いている。そんなこともあり、ぜひ聞きたいという思いが高まった。

冒頭、自己紹介的にご自身の生い立ちを話してくれた。ご両親は溝畑さんの短所はさておき長所を思い切り伸ばそうと育てられたそうだ。笑顔で話すその顔を拝見しながら、怒られながら育てられた自分を対比させていた。「減点主義」に支配されている僕は、人を見るときはその人の長所にフォーカスしたいと思いつつ、ついその人の欠点を見つけてしまう。それはとても寂しい。

前向きなお話から一転、「実は…」という下りに涙した。「自分を追い込み過ぎないこと」という言葉には実感がこもっていた。そして、ついそうしてしまう僕の心の奥に響いた。

後半は観光庁の取り組みを紹介された。お話を伺っていて胸が躍った。そう、そこに夢があると感じた。原発事故で放射性物質が拡散されたとはいえ、それでも希望を捨てられない。僕らの住む日本はあまりに美しい、奇跡のような島だから…

だから、世界中の人たちにこの国の美しさを堪能してほしい。その魅力をうまく伝えることができるプロデューサーがいれば、きっといい方向に動いていくと思えるから、今日の溝畑さんのお話を聞いて、彼が待ちに待ったプロデューサーだと確信した。

観光は付加価値のかたまりだ。そして、すそ野も広い。そしてなによりも、観光を通じて人と人が繋がっていけば嬉しい。それはお金には代えられない価値、「プライスレス」だ。

多くの外国の人たちに日本に来てほしい。なら、僕も海外に行ってみないと…
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人を想う気持ち

2011-11-13 00:00:35 | ドラマにハマる
今夜も『妖怪人間ベム』を楽しみに見ていた。

今回は鈴木福くん演じるベロが主役の回だったのかな。紺野まひるさんとの何気ないシーンに心が温まった。終盤にベムとベラに追い詰められた彼女を庇うベロの涙に思わずもらい泣きしてしまった。そして、その後に続くシーンに心が揺すられた。

でも、それはあの謎の男が持つドロドロとしたもののせいだったのだというのが、取調室でのシーンに込められていた。彼女はベロと過ごした時間を心から大切なものだと思っていた…と、そう感じた。

前回があまりにも出来が良くて、今回少し弱かったかなとも思ったが、それでもクオリティが高い作品だと言える。ベロが教授の家で餃子を作るシーンなんて、何だろうと思いつつ見ているとそこに重ねられたセリフが温かい。そして、ベムたちの哀しみを、のこぎりを使った音楽が厚みを持たせる。サキタハジメさんという方が担当されているそうだが、スタッフ日記を読むと、この作品に対する思いを強く感じる。

さて、来週は大きな展開を見せそうだ。目が離せない。
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