あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

印象の深さ

2021-08-26 21:19:45 | 別れる

俳優の辻萬長さんの訃報に、20年前に観た舞台を思い出した。

坂手洋二さん作・栗山民也さん演出の『ピカドン・キジムナー』は、戦後日本復帰を迎える沖縄で暮らす人々に、広島で被爆した人、そして、朝鮮半島にルーツを持つ人の思いが紡がれた物語…と言ったらいいだろうか。感染症の影響が広がる前から、舞台を観に行く機会はすっかり減っていたけど、また、それほどたくさんの舞台を観てきた訳ではないけど、特に印象に残る作品だ。

僕はこの作品で初めて辻さんのことを知った。そして、その後テレビで拝見することは無くはなかったけど、覚えているのは朝ドラ『なつぞら』くらいだ。それでも、拝見する度にあの舞台の上の、沖縄の家の居間に座る辻さん演じる父親の姿を思い出す。

坂手さんもブログで辻さんの訃報について触れられていた。坂手さんにとっても印象深い作品だと思う。

舞台はその瞬間を愉しむものだけど、その印象は作品によって観る者の心が震えた分だけ印象深くなり、そして、その印象は観終えた後も残っている。その記憶は、僕が命の灯を消すその日までずっと僕を支えてくれるだろう。

ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。

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さよなら、名将

2011-11-26 22:53:09 | 別れる
元近鉄バファローズ監督の西本幸雄さんが亡くなられた。91歳で逝かれたのは「大往生」と言えるのかもしれないが、悲しい。今朝の新聞を読んで初めて知ったのだが、あれこれ思い出して涙がとめどなく溢れた。

阪急時代の西本さんについては記憶にないが、近鉄時代は微かに覚えている。あの頃、長年「お荷物球団」と呼ばれた広島カープが古葉監督の下「赤ヘル軍団」として日本一に輝いたりして、僕も赤いヘルメットを買ってもらった。だが、広島カープが好きだったわけではなく、弱いものが這い上がって頂点にたどり着くその姿に憧れたのだと思う。だから、79年、80年の日本シリーズでは広島カープではなく近鉄バファローズを応援していた。

記憶を「微かに」と書いたのは、選手で覚えているのがマニエルくらいだからだ。その後近鉄球団が消滅するまでずっとファンでい続けた間に、V2選手の名を覚えていった。

西本監督の下で戦った日本シリーズの相手はいずれも広島カープだった。79年は「江夏の21球」という言葉と共に今も語り継がれる名勝負だが、その年に続き第7戦まで持ち込んだ80年の最終戦で、日本一にあと一歩及ばなかったその日、風呂場に籠って泣いた記憶は、少しずつ薄れてはいるものの、しっかり覚えている。

その頃、僕は父を亡くしてまだ間もなかった。今思うと、静かに選手を見つめる西本さんの姿に父親を重ねていたのかもしれない。西本さんは父よりも年上だったが、きっとそんな気持ちがあったのだろう。そして、判官贔屓なところも含め、僕の性格はその頃に形成されたのだろうと思う。

西本さんは日本一に手が届くところまで行きながらついに辿り着けなかったために「悲運の闘将」と呼ばれるが、今朝のスポーツ新聞によればご本人は「私は悲運ではない。いい選手に出会えて、8度日本シリーズに出場できた。大変な幸せ者だった」と仰られていたそうだ。確かに一度くらいは日本一になれたのかもしれないが、それが叶わなかったことに強く人間を感じた。結果だけで語れば「悲運」なのだろうが、人生はプロセスが大事だということだろう。

今年、日本ハムがクライマックスシリーズを早々に敗退した頃、こんなことを書く日が遠くないのかもしれないと思った。愛弟子の一人である梨田昌孝さんが、近鉄ではないにせよ日本一の監督として胴上げされる姿を見せてあげられたらと。梨田さんが今季で監督を辞め、また阪神タイガースの監督にという話も立ち消えた時、そのことだけでなく、西本さんのことを思い、悲しかった。

これからも西本さんは「悲運の闘将」と語り継がれるのだろうが、僕はこれからその言葉は使わない。亡くなられた後でもう遅いかもしれないが、「日本一の名監督」と呼ばせてもらう。

改めまして、長い間お疲れさまでした。どうぞ安らかにお眠り下さい。

そして、僕の思い出が更に遠くに行ってしまう…
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あおぞら

2009-03-22 23:06:19 | 別れる
15年にわたり乗り続けた車の最後のドライブは、ほんの15分程度のものだった。
もう少し乗っていたいと思ったが、それほど信号に引っかかることもなく、スムースに目的地に着いた。

昨日は、おとといのドライブでの汚れを拭うとともに、車内の整理をした。思えば、買ってから5年ほどは機械洗車をしなかったが、一度してしまったらその後はワックスをかけることも少なくなり、ボディは急速に輝きを失っていった。

それでも、この車はよく走った。パワーもそこそこあり、カーブの続く山道も機敏に走り抜けることができた。だから、楽しかった。

そんな思い出の断片が、最後15分によみがえった。次の車ではどんな思い出ができるだろうか。

おととい、稲取の駐車場でボンネットに青空が映り込んでいた。その空に、この「青い鳥」を返してあげよう。それが、誰かのしあわせにつながるように…
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