あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

生きるとか死ぬとか父親とか

2021-04-29 09:23:22 | 本を読む

兄も妹も所帯を持ち早々に家を出て、僕は今も母親と二人で暮らしている。望んだ生活ではないし、時々などと控えめにも言えないくらい頻繁にぶつかる。理不尽さに引き下がりたくないと思いつつも、最後は折れざるを得ない。

さて、國村隼さんが出ているからと視始めたドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』。初回冒頭のシーンに心を掴まれた。辛い気持ちを手紙やメールに乗せてラジオ局に送るということはなかったけど、学生時代は深夜ラジオを聴いては時に救われることもあったと思う。そう、明瞭な記憶は残っていないけど。

ドラマで描かれた父娘の関係を自分と母親のそれに重ねて視ながら、ジェーン・スーさんが書かれた原作本を読んでみようと思った。

國村さんが演じられると、それだけで魅力的に見えてしまうけど、実際のお父上も周囲の女性を惹きつける魅力を持った方だということが、スーさんの綴られた文章から浮かび上がってくる。そしてそのことは、父の父親以外の部分を見せつける。僕も、大人になって思うと「あれは、母の母親以外の部分だったのかな…」ということもある。ただ、それを訊ねようと思ったこともないし、これからもないだろう。父と母の順序が逆になっていたら、同性の僕でも戸惑うこともあったかもしれない。長い長い仮定のトンネルの中、もう一つ言えば、そんな状況であったらきっと僕も、家を出ていただろう。

家族だけでなく、人間関係というのは難しい。母との1対1の関係でもそうなので、関係者が更に増えれば余計だろう。しかし一方で、関係者が増えることが更なる混乱を招くと決めつけているのは僕自身であって、もしかしたら母と僕の関係に風を吹き込んでくれるような人がいたのかも…と、そんな人とめぐり逢う確率を考えたら、僕の考えは現実的だろう。そろそろ長いトンネルも出口かな。

文庫版とはいえ、購入額のうちのいくらかがスーさんのお父様の生活費に回っていくんだなと、読後の余韻を感じる。そして、明日以降ドラマの続きを視るときに「ああ、この場面は!」などと思ったり、吉田羊さんと國村隼さんの掛け合いを楽しみたい。

そう、母の口撃も少しは避けられるようになるかな…

 

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夢の記憶

2021-04-20 23:33:18 | 見上げる

寝ている間にみた夢を、最近は思い出せなくなっていた。熟睡してしまうからだろうか。確かに、ここ数日は22時前には眠りに就いてしまう。その代わりなのか、3時頃には目が覚め、ぼんやりとした時間を過ごす。

今朝も同じように、3時前に目覚めた。「眠らなきゃ」という願いが強ければ強いほど頭は冴えてきてしまうんだけど、今朝は1時間ほどで再び寝付けたようだった。
そして1時間後、再び目を覚ます。その時に見夢に起こされたように。
 
数人でハイキングに行った帰り道、ふと気づくとあとから付いてくるはずの仲間が来ない。もと来た道を引き返すと枝分かれした上り坂を上がっていったらしく、その道を辿った。少し先に人だかりが見え、さらに進むと、手にケーキを持った人や、並んでポーズを取る人が見えた。そこには、以前共に場づくりをした仲間の姿があり、ポーズを取るその一番端に立っていたのは、あの頃ずっと気になっていた人だった。
歩み寄り声を掛けるのが自然の流れなのだろうと思いつつ、後退りし、転げるように坂道を下った。いや、夢だからなのか、本当に転げ落ちていったように記憶している。その際の痛みを感じなかったのは、夢だからか、それとも、ここ数日の疲れによに全身に痛みを感じているからかもしれない。
 
思いを寄せる人に会いたくなることはあるけど、今さら会って何がどうなるものでもない。1%未満の可能性に期待する気持ちがないわけではないけど。
 
そんなふうに歳を重ねる。そんな節目を迎える前だったから、こんな夢を見たのかもしれない。カッコつける訳でもないけど、同じ空の下で幸せに暮らしていてくれたらいい。
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君が夏を走らせる

2021-04-10 09:17:01 | 本を読む

子育ての経験はないけど、街で子どもの姿を見かけると手を振ったりしてしまう。一応「変なおじさん」と思われないように気を付けてはいるけど、相手がどう感じるかはわからない。

瀬尾まいこさんの『君が夏を走らせる』を読んだ。単行本が発刊されたのは4年前、転職後に様々忙しい時期だったので、情報を掴めていなかったのだろう。

高校に進んだもののサボりがちで、やりたいことも見つからない日々を過ごす高校2年生の男子が、バイトという名目である頼みごとをされる。「1か月間、娘の面倒を見てくれ」というその頼みは、確かに男子高校生にお願いすることかな…と思うものの、そこは「瀬尾まいこワールド」、理屈などいらない。

さて、頼みごとをされた大田は…そう、『あと少し、もう少し』で2区を走った、絵に描いたような不良の、いや、孤独の中で悩みもがき続けていた、愛おしい彼だ。そんな彼が子育てを手伝うって面白そうじゃないかと、すぐに物語に引き込まれた。

先輩の奥さんが鈴香について綴ったノートを頼りに、大田の子育ては頼りなく始まった。間もなく2歳の誕生日を迎える鈴香に、はじめは戸惑いながらも少しずつ打ち解けていく。その様子に気を揉んだり、笑顔を誘われたり、まるで自分が鈴香と向き合っているような、不思議な感覚とともに読み進めた。

ノートに綴られた内容を介して鈴香に向き合っていた大田だったけど、そこに綴られていない鈴香に触れ、理解しようとするうちに、自らを変えていく。そして、そのノートを頼っていたはずの彼がバイト期間の終わりにある行動を起こす。

ほんのつかの間ではあっても鈴香の成長を見届けた大田が、その鈴香に「ばんばってー!」と励まされて前に進んでいく。いつか再び鈴香と会うことはあるだろうけど、それは彼らにとっての濃密な1ヵ月に戻ることではない。ふと公園で出会った上原先生の「わざわざ振り返らなくたって、たくさんのフィールドが大田君を待っているよ」という言葉を重ね、『君が夏を走らせる』というタイトルを噛み締める。

最近、自分の頑なさを辛く感じることがある。子育てに携わっていたら…などと考えてみることもある。けれども、今さら時間を巻き戻すこともできない。それでも、何かをきっかけに自分を変えてみたい。他力本願にはなれないけど、誰かに「ばんばってー!」と励ましてもらえたら僕も前に進み続けられるだろうか。

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渡部君に誘われて

2021-04-03 11:47:11 | 本を読む

読み終えた本を再び開くことはあまりない。それでも、大半の本は手元に置いておきたい。いつかリタイアして様々に余裕を持てていたら、人々が集いその本を楽しむスペースを作りたい。今の状況では難しいけど、少しずつ準備できたらいい。

先日、瀬尾まいこさんの『その扉をたたく音』を読み、物語に登場する渡部君が気になった。そして、以前読んだ『あと少し、もう少し』を再び読んだ。9年前に読んで以来だけど、読み進めると物語を思い出してくる。それでも、端折って読み進めようとは思えなかった。そして、9年前と同じように、笑い、そして泣いた。

あの時も、陸上部の顧問になった美術教師の上原に魅力を感じたけど、駅伝を走った時の渡部君の心の扉をたたいたのは彼女だったんだなと、改めてその物語の繋がりに風を感じた。

さて、その上原先生の行動や言動に、ふと「内発的動機付け」という言葉を思い浮かべた。彼女の前任の満田先生は、熱血指導で部員を引っ張り、結果に繋げていた。顧問が代わったことで練習に気持ちが乗らないことを描く場面があったけど、社会人でもそういうことは少なくない。僕も「叱責されるのが嫌」など外発的動機付けによって行動していることは少なくない。けれども、あまり詳しくは描かれていないけど、そのシーンに外発的動機付けの限界と、上原先生が吹き込む風を受けて一人ひとりが自ら変わっていく力強さを感じた。

それでも、自分でない誰かがそっと背中を押してくれたり、自分の存在を肯定してくれる言葉を掛けてくれることで、人は前に進むことができる。そう、閉ざした心の扉をたたいてくれるのも。

昨年以降は特に、多くの人たちが人と触れ合う機会を持てずにいるか、少なくなっている。昔の仲間との繋がりを自ら断っていた僕もまた、改めて淋しさや息苦しさを感じている。そんな時に、瀬尾まいこさんの作品は心にやさしい風を吹き込んでくれる。その風を力に今までとは違う場所を目指したいとは思うけど、今はまだ、立ち上がれるだけでいい。

冒頭書いた、将来の朧げな夢に向かい、力を蓄えよう。

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