今日で46歳になった。
今の自分は若い頃に想像していた姿とは違っていて当たり前なのかもしれないけど、結婚はしていないだろうというのは当たっていた。まあ、それは「当たり」とはほど遠く、何もしてこなかった結果でしかない。
仕事にしても私生活にしても、いつも場当たり的で、目の前のものに対しては真面目ではあったと思うが、その先を考えることはなかった。だから、今ここにいる自分は「こうありたい」と願った自分ではない。いや、そんなことを願ったことすらなかった。強いて挙げれば「他人に迷惑をかけない」ということだけど、それは人間として生きていく以上は無理だということに気づいたのは何年前だっただろうか。
できないことはできないと断れたら、また、それは自分ではなく他の誰かがやるべきことだと言えたら…いや、言っていたけど、なかなか聞き入れられなかった。そのうち、何を言っても仕方ないと思うようになり、気持ちが入らなくなっていった。
最近になり、自分はどのような終末を迎えるのだろうかと考えるようになった。順番を間違えなければいずれ、同居する母を看取った後は一人の暮らしが待っている。職場以外の居場所も自ら捨ててしまった今、やがて来る真の孤立に向け、何ができるだろうか。。
そんな中、昨年買ってそのままになっていたこの本を読んだ。書かれている内容の一部が、一人でいることを良しとする今の自分に合っていると思うと共に、どうにかしなければという気持ちも生じた。このタイミングでこの本に出会わなければこんな風に思うこともなかっただろう。
46歳では、多くのことが時間切れを迎えてしまっている。それでも、消えてしまう前に爪を立ててもがくぐらいしてもいいんじゃないかな? ということで、これからの1年間はいろいろもがいてみよう。
Kozyさん、お誕生日おめでとうございます。
せっかくのおめでたい日にご自身の終末について考えるなんて…
Kozyさんらしいと言えばらしいんですが…
将来については…
まだまだ、いいんじゃないですか?
むしろ、もっともっと欲張っても良いと思いますよ。
家族思いのKozyさんですもの。家庭を持てばきっと幸せになれますよ。
大丈夫です。
これからもずっとKozyさんに
今までよりもっと沢山の幸せが訪れます様に…
では。