あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

私たちの世代は

2023-07-31 20:39:59 | 本を読む

瀬尾まいこさんの『私たちの世代は』を読んだ。

瀬尾さんの作品には毎回心を温めてもらい、そして、また少しずつ歩いていける気持ちを持たせてくれる。ここ数ヶ月、ずっともやもやしていた僕の心の雲をやんわりと吹き飛ばし、暖かな陽を差し込んでくれたように思う。

物語の主人公は、冴と心晴という二人の女の子。共に同じ町で育った同じ年の二人は、小学三年の末に新型コロナウイルスの影響に見舞われた。

その時を境に、二人の学校生活はそれぞれ大きく変わっていく。その点で、二人にとって「コロナ禍」は災いそのものだった。多くの命が奪われ、感染した人たちの中には今も後遺症に苦しんでいる人もいて、大半の人たちにとって災いであったと言えるけど、二人のように心に傷を負った人たちも大勢いることは、自分を振り返れば想像に難くない。
 
でも、瀬尾さんが描く物語はそれで終わらない。それを期待して彼女の作品を読んでいるというのもある。
 
別々の環境で育った二人があるきっかけで出会い、互いに距離を縮めていく過程がおもしろい。そして、毎度ながら主人公を取り巻く登場人物が魅力的だ。瀬尾さんの作品には必ずと言っていいくらいに、誰かを強く引っ張ったり後押ししたりする人が登場して、僕はそんな人の活躍に魅了されている。この作品でのその人は、冴の母親だというところまでは言ってもいいだろうか。娘に対する彼女の惜しみない愛情は、まわりまわって冴を支えてくれる。「それでも…」という思いは読者みんなが抱くだろう…と、それくらいにしておこう。そう、母親の惜しみない愛情は、心晴にも注がれていたことは書いておきたい。

あの災禍は自ら望んだわけではないし、それを呼び寄せた原因を作ったわけでもなく、またその影響をコントロールできるほどの知識も経験もなく(それはあのときを迎えた大人にも言えることだけど)、ただただ誰かが打ち出す方針に従うしかなかった。そして、その状況を甘んじて受け入れていた面もある。考えなくていいから…ということもあった。でも、それってあの災禍の下だからだったのだろうか。と、「いつだって人生は厳しいし、学校生活は楽しいことばかりじゃない。」という台詞が心の奥深くに刺さった。

冴や心晴と同世代の人たちの感想をぜひ聴いてみたいと、姪や大切な人の姪っ子さんのことを思い浮かべた。でも、彼女たちは自らの力で今を生きている。

さて、読み進めていく中でここしばらく頭の中の一定部分を覆っている出来事について考えていた。物語に引き込まれていくとともにそれは小さくなっていったけど、一方でコロナ禍によって可視化されたことも多々あるなって思った。その一つとして、在宅勤務に対するスタンスが挙げられる。仕事の効率化に活用していると思われる人もいれば、そんな風に見せかけているだろう人も。後者に対しては苛立ちを禁じ得ないけど、もう少しすれば「可哀そうな人だな」って思えるようになるかな… そして、そんな人たちのことを考える時間があったら、立ち上がろうとする人や前へと踏み出そうとする人たちに寄り添おう。

結びが本の話から逸れてしまったけど、コロナに勝つとか負けるとかではなく、僕は僕の道を歩いていけたらいい。


そこにいる

2021-11-23 10:43:25 | 本を読む

あの時テレビを付けなければきっと、彼女に出会うことはなかっただろう。番組は終盤に差し掛かっていたけど、派手な帽子を被りあかるく振舞う彼女、中島ナオさんの姿がとても強く印象に残った。

その後、日々の慌ただしさを言い訳に彼女のことを忘れていた。思い出したのは今年の4月、それは彼女の訃報によってだった。その時改めて、彼女が何を目指していたのかなどについて知った。そして同時に、彼女が準備していた本の出版を応援するクラウドファンディングを知り、細やかながらそこに加わらせていただいた。

10月に入り、その本が手元に届いた。少しずつ読み進め、ようやく読み終えた。

気持ちが落ち込んでいたからなのか、読み進めるうちにどこか、彼女に励まされているような感じがした。彼女自身と彼女の周囲にいる人たちへのインタビューを通じ、その時々に思い、考え、行動していく彼女の姿が浮かんできた。そしてそこには、あの一回だけテレビで視た輝く笑顔も。

夢や希望を抱いて社会に出るも、やがてその先にある壁を感じ、違う道を模索する。誰もが…とは言わないけど、多くの人が経験する道程を彼女もまた経験する。でも、そこからの行動力に、そしてその行動力が周りを動かし、多くの人を惹きつけていくところに、ありきたりな言葉になってしまうけど「スゴイ」って思った。

やり残したことはたくさんあって、悔しかっただろう。でも、彼女の思いは多くの人の心に種を蒔き、それはやがて様々な場所で花開いていく。すでに彼女が咲かせた花とともに、世の中をカラフルにしてくれるだろう。そしてその時また、あの素敵な笑顔と出会える気がする。

「悩んだことも、落ち込んだことも、きれいな模様になって出てくる」とは、僕の大好きなドラマ「ちりとてちん」の中のセリフだけど、中島ナオさんが生み出した、そしてこれから先も生み出されるものやことは、きれいな模様になって人々の心を豊かにしてくれるだろう。

この本が一般販売されるのは12月1日から。書店で見かけられたらぜひ手に取ってみてほしい。そして、何か感じるものがあったら手に入れて読んでほしい。何より、明日を今より少しいい日にしてほしい。


ルフィの仲間力

2021-05-24 22:19:00 | 本を読む

今の職場に来て4年あまり。数年かけて引き継ぐ予定が1年余りで辞められてしまい、仕事に慣れないうちに次から次に予定外の出来事が発生する。職場の先輩(という言葉を使うことはないけど)も経験したことがないことを、自分なりに考えながら対応している。そんな日々を過ごすうち、どこか天狗になってしまっていたかもしれないと時々思う。それでも、自分一人ではすべての業務をこなせないことはわかっていて、その都度助けられている。頼りになる人とそうでない人を、いつしか自分の中で分けてしまっている。

数年前、あるきっかけで安田雪さんの『「つながり」を突き止めろ』を読んだ。「ネットワーク分析」という言葉も、また著書で取り上げられていた「つながり」それぞれの捉え方も、どこか新鮮に感じた。そして、他の著作も読んでみたいと思いながら、忙しさなどを理由にその思いを頭の片隅に追いやっていた。ところが、昨年来の新型感染症拡大を受け、改めて「人と人との繋がり」に対する関心が高まった。

さて、冒頭で職場のことを書いたけど、「協力して成果を上げる職場づくり」をしないとと思っている。それは、自分も含め個人プレーに走りがちな人が少なくなく、成果主義に偏りすぎ(と思う)な仕組みが問題なのだろうと、その見直しについて考えていた。そこでこの『ルフィの仲間力』を読んでみたいと思った。果たして、『ONE PIECE』を読んだことのない僕は付いていけるだろうかと思うものの、読みたいという思いが勝った。

読み始めるとその不安は杞憂に終わった。登場人物についてわからなくても、安田さんの筆はその輪郭を鮮やかに目の前に示してくれるように感じた。それと、船長として仲間を率いるルフィが取っている行動の、全てではないもののその一部を、僕も職場で心掛けている。そして、自分の思いからできなかったり避けていたこと、また、全く意識の外にあったことも。そんなことを考えながら、いつの間にかとは言いすぎだろうけど、そんな感じで読み終えた。

『ONE PIECE』を読んでいたらまた感じ方も違っていただろうか。そういえば、以前好きになった人が全巻持っていると言っていたのを思い出した。いつか借りて読ませてもらおうという約束とも言えないような約束はついに果たせなかったけど、あの時の僕は彼女のことをちゃんと考えていただろうか。取り返すことのできないあの日のことを思い出しながら、それを振り払う訳ではないものの、「協力して成果を上げる職場づくり」を進めていく自分の意志を再確認した。


生きるとか死ぬとか父親とか

2021-04-29 09:23:22 | 本を読む

兄も妹も所帯を持ち早々に家を出て、僕は今も母親と二人で暮らしている。望んだ生活ではないし、時々などと控えめにも言えないくらい頻繁にぶつかる。理不尽さに引き下がりたくないと思いつつも、最後は折れざるを得ない。

さて、國村隼さんが出ているからと視始めたドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』。初回冒頭のシーンに心を掴まれた。辛い気持ちを手紙やメールに乗せてラジオ局に送るということはなかったけど、学生時代は深夜ラジオを聴いては時に救われることもあったと思う。そう、明瞭な記憶は残っていないけど。

ドラマで描かれた父娘の関係を自分と母親のそれに重ねて視ながら、ジェーン・スーさんが書かれた原作本を読んでみようと思った。

國村さんが演じられると、それだけで魅力的に見えてしまうけど、実際のお父上も周囲の女性を惹きつける魅力を持った方だということが、スーさんの綴られた文章から浮かび上がってくる。そしてそのことは、父の父親以外の部分を見せつける。僕も、大人になって思うと「あれは、母の母親以外の部分だったのかな…」ということもある。ただ、それを訊ねようと思ったこともないし、これからもないだろう。父と母の順序が逆になっていたら、同性の僕でも戸惑うこともあったかもしれない。長い長い仮定のトンネルの中、もう一つ言えば、そんな状況であったらきっと僕も、家を出ていただろう。

家族だけでなく、人間関係というのは難しい。母との1対1の関係でもそうなので、関係者が更に増えれば余計だろう。しかし一方で、関係者が増えることが更なる混乱を招くと決めつけているのは僕自身であって、もしかしたら母と僕の関係に風を吹き込んでくれるような人がいたのかも…と、そんな人とめぐり逢う確率を考えたら、僕の考えは現実的だろう。そろそろ長いトンネルも出口かな。

文庫版とはいえ、購入額のうちのいくらかがスーさんのお父様の生活費に回っていくんだなと、読後の余韻を感じる。そして、明日以降ドラマの続きを視るときに「ああ、この場面は!」などと思ったり、吉田羊さんと國村隼さんの掛け合いを楽しみたい。

そう、母の口撃も少しは避けられるようになるかな…

 


君が夏を走らせる

2021-04-10 09:17:01 | 本を読む

子育ての経験はないけど、街で子どもの姿を見かけると手を振ったりしてしまう。一応「変なおじさん」と思われないように気を付けてはいるけど、相手がどう感じるかはわからない。

瀬尾まいこさんの『君が夏を走らせる』を読んだ。単行本が発刊されたのは4年前、転職後に様々忙しい時期だったので、情報を掴めていなかったのだろう。

高校に進んだもののサボりがちで、やりたいことも見つからない日々を過ごす高校2年生の男子が、バイトという名目である頼みごとをされる。「1か月間、娘の面倒を見てくれ」というその頼みは、確かに男子高校生にお願いすることかな…と思うものの、そこは「瀬尾まいこワールド」、理屈などいらない。

さて、頼みごとをされた大田は…そう、『あと少し、もう少し』で2区を走った、絵に描いたような不良の、いや、孤独の中で悩みもがき続けていた、愛おしい彼だ。そんな彼が子育てを手伝うって面白そうじゃないかと、すぐに物語に引き込まれた。

先輩の奥さんが鈴香について綴ったノートを頼りに、大田の子育ては頼りなく始まった。間もなく2歳の誕生日を迎える鈴香に、はじめは戸惑いながらも少しずつ打ち解けていく。その様子に気を揉んだり、笑顔を誘われたり、まるで自分が鈴香と向き合っているような、不思議な感覚とともに読み進めた。

ノートに綴られた内容を介して鈴香に向き合っていた大田だったけど、そこに綴られていない鈴香に触れ、理解しようとするうちに、自らを変えていく。そして、そのノートを頼っていたはずの彼がバイト期間の終わりにある行動を起こす。

ほんのつかの間ではあっても鈴香の成長を見届けた大田が、その鈴香に「ばんばってー!」と励まされて前に進んでいく。いつか再び鈴香と会うことはあるだろうけど、それは彼らにとっての濃密な1ヵ月に戻ることではない。ふと公園で出会った上原先生の「わざわざ振り返らなくたって、たくさんのフィールドが大田君を待っているよ」という言葉を重ね、『君が夏を走らせる』というタイトルを噛み締める。

最近、自分の頑なさを辛く感じることがある。子育てに携わっていたら…などと考えてみることもある。けれども、今さら時間を巻き戻すこともできない。それでも、何かをきっかけに自分を変えてみたい。他力本願にはなれないけど、誰かに「ばんばってー!」と励ましてもらえたら僕も前に進み続けられるだろうか。


渡部君に誘われて

2021-04-03 11:47:11 | 本を読む

読み終えた本を再び開くことはあまりない。それでも、大半の本は手元に置いておきたい。いつかリタイアして様々に余裕を持てていたら、人々が集いその本を楽しむスペースを作りたい。今の状況では難しいけど、少しずつ準備できたらいい。

先日、瀬尾まいこさんの『その扉をたたく音』を読み、物語に登場する渡部君が気になった。そして、以前読んだ『あと少し、もう少し』を再び読んだ。9年前に読んで以来だけど、読み進めると物語を思い出してくる。それでも、端折って読み進めようとは思えなかった。そして、9年前と同じように、笑い、そして泣いた。

あの時も、陸上部の顧問になった美術教師の上原に魅力を感じたけど、駅伝を走った時の渡部君の心の扉をたたいたのは彼女だったんだなと、改めてその物語の繋がりに風を感じた。

さて、その上原先生の行動や言動に、ふと「内発的動機付け」という言葉を思い浮かべた。彼女の前任の満田先生は、熱血指導で部員を引っ張り、結果に繋げていた。顧問が代わったことで練習に気持ちが乗らないことを描く場面があったけど、社会人でもそういうことは少なくない。僕も「叱責されるのが嫌」など外発的動機付けによって行動していることは少なくない。けれども、あまり詳しくは描かれていないけど、そのシーンに外発的動機付けの限界と、上原先生が吹き込む風を受けて一人ひとりが自ら変わっていく力強さを感じた。

それでも、自分でない誰かがそっと背中を押してくれたり、自分の存在を肯定してくれる言葉を掛けてくれることで、人は前に進むことができる。そう、閉ざした心の扉をたたいてくれるのも。

昨年以降は特に、多くの人たちが人と触れ合う機会を持てずにいるか、少なくなっている。昔の仲間との繋がりを自ら断っていた僕もまた、改めて淋しさや息苦しさを感じている。そんな時に、瀬尾まいこさんの作品は心にやさしい風を吹き込んでくれる。その風を力に今までとは違う場所を目指したいとは思うけど、今はまだ、立ち上がれるだけでいい。

冒頭書いた、将来の朧げな夢に向かい、力を蓄えよう。


その扉をたたく音

2021-03-21 09:49:58 | 本を読む

年度末は忙しい。それが分かっているので仕事が集中しないようにしようと思ってはいるのだけれど、周りはそんなことを考えてくれる訳もなく、また考えているという前提を置きつつも仕事を回してくる。とはいえ、プライベートの時間を削りすぎてしまうと自分が自分でいられなくなるような、そんな気持ちに日々追い立てられているように感じるし、それは年々より大きくなっている。

そんな中、瀬尾まいこさんの『その扉をたたく音』を読んだ。

瀬尾さんの本は昨年秋に読んだ夜明けのすべて』以来で、こんなに早く次の作品が読めるのか?!と思ったものの、最近使い始めた読書記録用のアプリでこの本のことを知り数日後、仕事の切りがいいタイミングをみて書店に向かい手に入れた。まだ読みかけの本があったけど、手に入れることで安心したかった。

さて、ようやく読み始めると、瀬尾さんの本で感じるものがこの本には無いかな…というか、少し違和感を覚えた。主人公の宮路は29歳で無職。僕の頭が固いのか、その設定が違和感の原因だったのかもしれない。そして、主人公が誰かの強引な行動によってきっかけを掴むというのが瀬尾さんの作品に惹かれる理由だったなと思いながら、読み始めはもたもたしてしまった。

それでも、宮路が出会った渡部君の魅力に引っ張られ、そして、その出会いによって宮路が変化していく様子に、ページを捲る手も軽やかになっていくのを感じた。と同時に、僕の心の中でも何かが変わっていくような気がした。

舞台は老人ホーム。そこにどんな出来事が起きるのかは微かにでも想像はできる。瀬尾さんもそれを通じて主人公の変化を描こうとされたのだろう。避けては通れないことだけど、正面から受け止めるのは辛い。それでも、逃げるだけでは先へは進めない。

物語は、ある別れとそれをきっかけに宮路が変わろうとするところで幕を下ろす。ただ、宮路の変化は周りに影響されてのものだったのか。当然そういう要素はあっただろうけど、それだけではない。

10数年前、仕事の合間を縫い、僕は一回りも二回りも年下の人たちとイベントの手伝いをしていた。その時、仲間からの誘いを受け断るのではなく、できるだけ応じようと思った。気が引けることもあったけど、今思うとあの頃のそんな時間がかけがえのないものに思える。失業をきっかけに仲間とは疎遠になってしまったけど。

自分を変えようと思うとき、誰かにそっと背中を押してもらうと足取りが軽やかになる気がする。今、僕の周りにはそんな人はいないけど、僕が誰かの力になることはできるかな…と思うし、そういう人でありたいなとも思う。

瀬尾さんの作品を読み終えた後にしては、心を揺さぶられる感じは少なかった。だからといって、それだけが感想に繋がる訳でもなく、読んだ後に僕の心の中に、そして行動に染み込んでいくのかなと思うと、楽しみでもある。

そう、9年前に読んだ『あと少し、もう少し』を改めて読んでみようと思った。先ほど少し流し読みしたんだけど、それだけで涙が溢れてきた。そして、見逃していた瀬尾さんの『君が夏を走らせる』を読もう。

それと、追い立てられることに少しずつでも抵抗していこう。自分を変えていくことも含めて。


再び、田中一村に

2021-03-10 21:14:20 | 本を読む

1月末に訪れた「田中一村展」の会場で購入した『日本のゴーギャン 田中一村伝』を読み終えた。

展覧会で田中一村の作品に触れ、そして、周囲の人たちへの手紙などから、彼の絵に対する執念と言えるような感情に触れた。晩年、その執念を作品に結実したものの、広く評価を受けることなく、生まれた地から遠く離れた南の島で、一人生涯を終えた。その彼の歩みをもっと知りたいと思い、この本を手にした。

幼い頃から絵の才能を認められ、その期待を受け、またその才能を発揮し選ばれし者のみに開かれる絵画の道を歩み始める。けれども、その後に次々と訪れる不運に抗いきれず、その道から外れることを選ぶ。思うに、そのきっかけは不運だったけれども、それがなかったら彼は同期の東山魁夷らのように広く認められる巨匠となりえたのだろうか。不運に見舞われずとも、遅かれ早かれその強い意志により周囲とぶつかり、遅かれ早かれ同じ選択をしたのではないかと。

自分の作品を売ることが「売るための絵を描く」、つまり、買い手に合わせた作品作りに繋がると、彼はその道を歩むことに強く嫌悪した。その彼が、自らの命の終わりが近づいていることを感じ、その作品を周囲の人たちに買い取ってもらう。それは、自分の命を削って描き上げた作品を残すためでもあったろうけど、果たして彼の心はそのことに耐えられたのだろうか。それとも、その時ようやく周囲の期待という呪縛から解かれたのか。

弟の才能が花開くことを願い、弟とともに生涯独り身を通した姉の期待もまた、彼を縛っていたのではないか。きっと彼自身はそんなことを思っていなかったのだろうけど。そして、その姉も彼に縛られていたのだろうと思う。ただ、その言葉を使うと不幸と結びついてしまいかねないけど、彼ら自身は不幸と思うことは決してなかったのかもしれない。いや、幸せか不幸かは本人にしか判断できないし、もっと言えば、幸せであればいいという訳でもない。

50を過ぎ、長く彼を支えてくれた姉から離れ、南の島に向かうことを選んだ。安定を壊したという言葉が彼の気持ちを表すのに適切なものかはわからないけど、その選択が晩年の作品に繋がり、その後、これらの作品が多くの人たちの心に響いている。そのことだけは喜んでいいのだろうと、微笑む死神を想像してみる。

その描かれた地で、その空気を感じてみたい。今すぐは無理だろうけど、いつかきっと。

 

作品展に行ったときの動画はこちら


身分帳

2021-02-27 18:44:21 | 本を読む

佐木隆三さんの『身分帳』を読んだ。

この小説を原案とした西川美和監督の『すばらしき世界』を観終えてすぐに読み始め、休みの今日、半分ほどを一気に読み終えた。復刊にあたり彼女が寄せた文の中で「こんなに面白い本が絶版状態にあるとは。世の中はなんと損をしているのだろう。」と語っていたけど、人を殺めた男の物語とわかっていても、確かに面白くて、読む前はその厚さに手こずるかと思っていたのが嘘のように思える。

映画を観た後なので、所々で映画のシーンを重ねていた。小説のまま描かれているところもあれば、西川さんが大胆に構成を変えた部分も。「もしかしたらこのあの場面、あのセリフは…」と想像するのもまた楽しかった。

大好きなドラマ『ちりとてちん』の中でおじいちゃんが語った台詞を思い出した。「おかしな人間が一生懸命 生きとる姿はほんまにおもろい。落語とおんなじや」。そう、山川一は一生懸命生きていたんだ。

終盤、「いちいち腹が立つことばかり」と嘆く山川に対し「それは山川さんが、自分を取り巻くあらゆるものに接点を持とうとするからじゃないですか?」とケースワーカーの井口が語る言葉に、小さな組織で様々なことに関わり、また関わらざるを得ない今の自分を重ねた。そこに映画で下稲葉の妻マス子の山川に向けた言葉が浮かぶ。

佐木さんが田村明義氏の「身分帳」と出会い『身分帳』を執筆し、時を経て西川さんがこの小説と出会い、映画『すばらしき日々』が作られた。田村氏と周囲の人々とのそれも含めて、様々な出会いが重なり、それを受け取れたことが嬉しい。

さて、少し落ち着いたらもう一度映画を観に行こう。

 

先日映画を観に行った時の動画をアップしてます。

https://youtu.be/qsL1xZahJ_o


JR上野駅公園口

2021-02-23 14:45:07 | 本を読む

柳美里さんの『JR上野駅公園口』を読んだ。

柳さんの本を読むのは初めてで、きっかけは「全米図書賞受賞!」の帯だった。そういうのを理由に読む本を選ぶことはほとんどないんだけど、昨年末に書店を訪れた際にふと、読んでみたいと思った。彼女が東日本大震災の後に南相馬に転居し書店を営まれていることは、そのことを紹介するテレビ番組などから何となくは知っていたから、「受賞!」の先に何かが見えたのかもしれない。

読み始めたのは先々週、同時に購入した新書の後になった。読み始めてすぐに、彼女が何を書きたかったのかというのが朧げに見えてきた。その点については柳さん自身が「あとがき」に記されている。

福島県浜通りにある村に生まれた男性は、家族兄弟の食い扶持と学費を稼ぐために出稼ぎを続け、妻や子どもとの触れ合いもほとんどないまま、その家族を失ってしまう。失意の彼を支えてくれる人がいたものの、その人たちの負担になりたくないとの思いから、再び東京に出て、そして、ホームレスとして暮らし始める。

そこでの暮らしは孤独を極めるものであったけど、そんな中にも僅かながら同じ場所で暮らす人との接点はあった。ただ、彼自身が誰かと深く付き合うことを避け、やがて、その孤独の中である決断をし、上野駅の改札を抜け、プラットホームに降りていく。

「東北の方は我慢強い」とか、「冬の厳しい寒さが(彼らの)口数を少なくしている」ということを聞いたことがある。あくまでもイメージでしかないけど、最初に勤務した職場には北海道や東北出身の方が多くいらして、その頃のことを思い出してみても、イメージに近い方もいれば、全く違う方もいた。それはそれとして、この小説の主人公は我慢強く寡黙で、思っていたことを全て口に出すことはできなかったのか、それとも、しなかったのか。

この本を読み終えた翌日、映画『すばらしき世界』を観た。世代も境遇も違うけど、主人公はともに、社会からは見えない、見たくない存在とされている。ただ、この小説の主人公が孤独を選んだのに対し、『すばらしき世界』の三上正夫には、周囲の支えもあり、また彼自身の我慢により、何とか社会との繋がりを保とうとしていた。失業をきっかけに僕も仲間との繋がりを自ら断ち切ってしまい、また今も、誰かの手助けを求めることがなかなかできずにいる。一方で、逆の立場だったらどうだろうか。

新型コロナウイルス感染拡大を受け、僕もテレワークをするようになった。それは、誰かの日々の努力によって支えられている。今できることは限られているけど、せめて、想像力は失わないでいよう。