あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

身分帳

2021-02-27 18:44:21 | 本を読む

佐木隆三さんの『身分帳』を読んだ。

この小説を原案とした西川美和監督の『すばらしき世界』を観終えてすぐに読み始め、休みの今日、半分ほどを一気に読み終えた。復刊にあたり彼女が寄せた文の中で「こんなに面白い本が絶版状態にあるとは。世の中はなんと損をしているのだろう。」と語っていたけど、人を殺めた男の物語とわかっていても、確かに面白くて、読む前はその厚さに手こずるかと思っていたのが嘘のように思える。

映画を観た後なので、所々で映画のシーンを重ねていた。小説のまま描かれているところもあれば、西川さんが大胆に構成を変えた部分も。「もしかしたらこのあの場面、あのセリフは…」と想像するのもまた楽しかった。

大好きなドラマ『ちりとてちん』の中でおじいちゃんが語った台詞を思い出した。「おかしな人間が一生懸命 生きとる姿はほんまにおもろい。落語とおんなじや」。そう、山川一は一生懸命生きていたんだ。

終盤、「いちいち腹が立つことばかり」と嘆く山川に対し「それは山川さんが、自分を取り巻くあらゆるものに接点を持とうとするからじゃないですか?」とケースワーカーの井口が語る言葉に、小さな組織で様々なことに関わり、また関わらざるを得ない今の自分を重ねた。そこに映画で下稲葉の妻マス子の山川に向けた言葉が浮かぶ。

佐木さんが田村明義氏の「身分帳」と出会い『身分帳』を執筆し、時を経て西川さんがこの小説と出会い、映画『すばらしき日々』が作られた。田村氏と周囲の人々とのそれも含めて、様々な出会いが重なり、それを受け取れたことが嬉しい。

さて、少し落ち着いたらもう一度映画を観に行こう。

 

先日映画を観に行った時の動画をアップしてます。

https://youtu.be/qsL1xZahJ_o

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR上野駅公園口

2021-02-23 14:45:07 | 本を読む

柳美里さんの『JR上野駅公園口』を読んだ。

柳さんの本を読むのは初めてで、きっかけは「全米図書賞受賞!」の帯だった。そういうのを理由に読む本を選ぶことはほとんどないんだけど、昨年末に書店を訪れた際にふと、読んでみたいと思った。彼女が東日本大震災の後に南相馬に転居し書店を営まれていることは、そのことを紹介するテレビ番組などから何となくは知っていたから、「受賞!」の先に何かが見えたのかもしれない。

読み始めたのは先々週、同時に購入した新書の後になった。読み始めてすぐに、彼女が何を書きたかったのかというのが朧げに見えてきた。その点については柳さん自身が「あとがき」に記されている。

福島県浜通りにある村に生まれた男性は、家族兄弟の食い扶持と学費を稼ぐために出稼ぎを続け、妻や子どもとの触れ合いもほとんどないまま、その家族を失ってしまう。失意の彼を支えてくれる人がいたものの、その人たちの負担になりたくないとの思いから、再び東京に出て、そして、ホームレスとして暮らし始める。

そこでの暮らしは孤独を極めるものであったけど、そんな中にも僅かながら同じ場所で暮らす人との接点はあった。ただ、彼自身が誰かと深く付き合うことを避け、やがて、その孤独の中である決断をし、上野駅の改札を抜け、プラットホームに降りていく。

「東北の方は我慢強い」とか、「冬の厳しい寒さが(彼らの)口数を少なくしている」ということを聞いたことがある。あくまでもイメージでしかないけど、最初に勤務した職場には北海道や東北出身の方が多くいらして、その頃のことを思い出してみても、イメージに近い方もいれば、全く違う方もいた。それはそれとして、この小説の主人公は我慢強く寡黙で、思っていたことを全て口に出すことはできなかったのか、それとも、しなかったのか。

この本を読み終えた翌日、映画『すばらしき世界』を観た。世代も境遇も違うけど、主人公はともに、社会からは見えない、見たくない存在とされている。ただ、この小説の主人公が孤独を選んだのに対し、『すばらしき世界』の三上正夫には、周囲の支えもあり、また彼自身の我慢により、何とか社会との繋がりを保とうとしていた。失業をきっかけに僕も仲間との繋がりを自ら断ち切ってしまい、また今も、誰かの手助けを求めることがなかなかできずにいる。一方で、逆の立場だったらどうだろうか。

新型コロナウイルス感染拡大を受け、僕もテレワークをするようになった。それは、誰かの日々の努力によって支えられている。今できることは限られているけど、せめて、想像力は失わないでいよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すばらしき世界

2021-02-21 20:00:00 | 映画を観る

映画『すばらしき世界』を観た。

西川美和監督の作品は、デビュー作『蛇イチゴ』以来毎回新作を楽しみにしている。前作『永い言い訳』から5年、果たして今回はどのように人を描かれるのだろうかと、期待が高まった。

そんな中、ネット上にある記事を見つけた。最新作の原案となる、佐木隆三さんの小説『身分帳』が復刊されるのに際し西川さんが記されたあとがきを掲載したものだった。果たして映画を観る前に読んでしまっていいのかと迷いつつ、読み始めると止まらなかった。そして、彼女がこの作品を映画化する決意表明のようなこの文を、結果として映画を観る前に読めて良かったのかなと、今は思う。

役所広司さん演じる主人公・三上正夫。少年の頃から罪を重ね、13年前に犯した殺人での服役を終え、旭川刑務所から身元引受人が待つ東京に向かう。周囲から偏見を受けつつも、時に温かな支えを受け、シャバでの暮らしが始まる。ただ、彼の優しさが気性の荒さと結びつき、その結果がまた彼を追い詰める。彼が罪を重ねた理由がそこから垣間見える。ただ、その行動に対して僕が抱いた気持ちは、果たして僕自身に正直なものだっただろうか。「三上は間違っている」とはっきりと言える人はいるのだろうか。そして、自分の中にも三上がいるのではないか…と。

僕自身、いつも間違いなく行動していると自信を持って言える訳ではない。時に間違えることもあるというか、間違えることの方が多いかもしれない。また、周囲からの意見や上からの指示に違和感を覚えつつも、それを呑み込むこともあれば、義憤にかられ口に出すこともある。自分にとっての正しさと、相手にとっての正しさは違うし、状況によってはそれにより足元をすくわれることもあるだろう。そして、どちらにしても結果が悪ければ責任を問われる。つかの間の安らぎはあっても、いつ道を外れてしまうかという不安を抱えながら過ごしている。相談できる人はいるものの、責任を負うのは僕だし、そこを丸投げできないのは、三上が生活保護に対し抱く拒絶反応と似ているのかもしれない。

中盤、長澤まさみさん演じる吉澤が、仲野大賀さん演じる津乃田にかける一言が胸に刺さった。そこにも、西川さんの思いが込められていたのだろうか… そう、物語が進むにつれ、津乃田は次第に自分の心で感じ、自分の言葉で話すようになっていく。そこにもまた、西川さんの佐木隆三さんに対する愛を感じた。気のせいでも、僕がそう思ったのは事実だ。

さて、スクリーンの中でもがきながらも自分の居場所を見つけ出そうとするする三上に、いつしか僕も希望を託そうとしていたのかもしれない。それは、彼を支える人たちも同じだったのだろうと、ラストシーンに思った。果たして僕が道を踏み外そうとしていたら、繋ぎ止めてくれる人はいるだろうか。三上にとって、そして、周囲の人たちにとって、それは「すばらしき世界」だったと思いたい。流れてくるカヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲が豊かさを感じさせるような

白竜さんとキムラ緑子さん演じる夫婦の魅力についても綴りたいけど、内容に触れすぎてしまうのは避けたいので、何よりも、観て、感じてほしい。何も感じられなかったり、つまらなく思う人がいたとしても、そこに意味がない訳でもない。感じ方は人それぞれだし、正解も誤りもない。それこそが…

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心の傷を癒すということ

2021-02-13 15:02:28 | 映画を観る

祝日の夜、今年1作目の映画鑑賞に出かけた。

心の傷を癒すということ』、昨年1月にNHKで放映されたドラマが映画作品として再編集された。ドラマもほぼリアルタイムで視て、その時に「4話じゃ短いな」と、もっと長く安和隆医師と、彼を通じてモデルになった安克昌医師の生涯に触れたいと思った。そう、安先生を演じる柄本佑さんは、同じ時期に放映された『知らなくていいコト』で同性でもその色気に圧倒されるようなカメラマンを演じていて、その対比に彼の演技の幅を感じた。

在日韓国人として育った彼が、自らの存在について悩み、その後、医学の道を選ぶ。そこで出会った生涯の師の影響もあり、精神科医となることを決めた。その選択を批判する父親に対し自らの意志を伝える様子は、今思うと自分自身の気持ちを固める意味があったのだろうか。

後に家庭を築くことになる終子との出会いも、いくつかの偶然が重なったとはいえ、別れ際にかけた言葉の強さもまた、その出会いを必然にしようとする彼の強い意志によるものだったのだろう。ところで、終子を演じた尾野真千子さんは、これまでアクの強い役の印象が強かったけど、その包み込むような優しさを演じた彼女に対しても、今までとはまた違った魅力を感じたのを思い出した。

精神科医として患者さんと真摯に向き合う安先生の姿は穏やかで、この人なら心を預けてもいいかなと思えた。後でプログラムを読むと、柄本佑さんの役作りについての記述があり、その直向さによって最後まで彼が安先生を演じきれたのだと知り、

阪神・淡路大震災で被災しながらも、家族を、そして住む場所を奪われた人々に真摯に向き合う姿に、そして、自らの生に期限が切られてしまってからも、彼を頼りにする患者さんや家族に対し温かく接する姿に、彼の強さを感じた。

安克昌さんは、妻と幼い3人の子供を残し、39年の生涯を閉じた。お子さんの成長する姿を見届けたかっただろうし、また仕事もこれからというときだっただろう。僕も、生前に安先生の存在を知っていたらと思うとともに、そして彼の不在を余計に淋しく感じた。

昨年ドラマを視た時には今の状況が想像できなかったけれども、映画を観た今は、多くの人が不安に心を痛め、傷ついている。僕も今、これまで経験したことのない様々な状況に対し試行錯誤しながら向き合う中で、少なからず心に傷を負っているという、微かな自覚がある。こんな時に話を聞いてくれる誰かがいてくれたらと思うけど、ここ数年で仲間との繋がりも自ら断ち切ってしまっていた。

「誰も、ひとりぼっちにさせへん」という台詞を、映画を観終えた後に反芻してみた。母と暮らしているとはいえ、常に孤独を感じている僕だから、だからこそ、誰かの孤独に向き合えるということもあるのかなと。そういえば、ボランティア活動をしていた時に、初めて参加する人が輪に入り難そうな雰囲気を感じ、敢えてくだけて話しかけていた。それは、僕自身がそうされたかったからなのかもしれない。実際にそうされたら嬉しかったかどうかは疑問だけど、そう思ったのは間違いない。

今、誰かと繋がる機会も限られている中で孤独の中にいる人たちが、この作品に触れてほしいと願う。そして、誰もが誰かを頼ってもいい世の中に近づけられたらいいな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アダンの海辺

2021-02-04 20:32:36 | 美と戯れる

先日、千葉市美術館で開催されている「田中一村展」を鑑賞した。

田中一村の名を知ったのは確か、榎木孝明さんが一村を演じた映画「アダン」がきっかけだった。映画は観ていないけれども、なぜか印象に残った。改めて検索してみると、木村文乃さんはオーディションを経てこの映画のヒロインとしてデビューしたそうだ。

話が逸れたが、正直なところ、僕は田中一村については「奄美大島の画家」程度の知識しか持っていなかった。それでも、テレビなどを通じて目にした彼の作品に強い力を感じた。「日本のゴーギャン」と呼ばれることも知らなかったくらいだけど、南国の木々や鳥、そして海を描いた作品は、その言葉を裏付けるものだと思った。

さて、千葉市には伯母が住んでいて、生前は定期的に訪ねていた。自動車に乗るようになってからは自宅と伯母の家を往復するだけで、千葉の街を歩くことはほとんどなかった。その伯母も亡くなって10年以上経ち、すっかり縁遠くなった。

京成線の千葉中央駅から美術館通りをまっすぐ進み、目的地の美術館に向かう。もともと道沿いには店が多くない上に、今の状況を受けてか土曜日だからか、街は閑散としていた。それでも美術館の展示室には、密とまでは言えないものの、この状況にしてはお客さんが訪れていた。そのうちの一人が僕であることは棚に上げて。

展示は、幼少期から晩年までの生涯をフェーズに分け、その作風の変遷を紹介していた。幼い頃から周囲に絵の才能を認められていたものの、画家として評価されたのは亡くなられた後だったそうだ。賞を逃して作品を自ら葬り去ったというエピソードに、彼のプライドの高さを思った。

50歳を過ぎ、どのような思いで奄美大島に渡ったのだろうか。紬工場で働き得たお金で暮らし、また絵を描くという暮らしの中で、彼にとっての労働とは単にお金を得るための手段でしかなかったのだろうか。そして、紬工場を辞めてのちに色紙に綴った「もう永久に工場で働くことはありません 絵だけを楽むことになりました」という言葉を噛み締めながら、展示会のポスターなどに使われた「アダンの海辺」という作品に向かい合う。近づいて目を凝らすと、日差しを受けて淡く光る雲と、きらきらと輝く浜辺の砂に目を奪われる。彼自身もそこを描き切ったという思いがあったようで、その思いを感じられたことが嬉しかった。そして、しばらく絵に向き合っていると、涙が溢れてきた。僕も、母親と暮らしてはいるけど、いつも孤独を感じている。その孤独を、南の島で独り絵を描く田中一村に重ねてのものだったのか。

いつか僕も、ほんとうに独りになる。その身軽さとその寂しさとを天秤にかけても仕方ないけど、その日が訪れた時、僕には描く絵が、綴る言葉があるだろうか。「忙しい」という言い訳を意地とともに封印し、少しずつでも興味の先に手を伸ばしていこうと改めて思いながら、家路についた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする