あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

ルックバック

2024-09-11 18:20:04 | 前に進む

ここ数年、観る映画の本数はだんだんと減っている。ほかの事に興味を向けているというのはあるけど、それだけではないような。淋しいけど、映画に対する関心が薄れているというのが正直なところだろうか。

さて、今年2月にもらった映画観賞券の期限が8月ということで、その映画館で上映されている作品を検索する中で知ったのが『ルックバック』だった。封切したと思ったらもう上映終了というのが当たり前に思える中、6月末の封切以降1ヵ月以上上映が続いていて、また上映時間が1時間弱という短い作品であることなどが気になり作品サイトの予告編を見たら、心を掴まれた。そして、8月半ばに観にいった。通常とは異なる料金体系とともに、鑑賞券が使えないということだった。それでも「観たい」と思えた。そう、アニメーション作品を観るのも久しぶりだった。

オープニングで流れた「作品」のオチに心がザワザワした。でも、そんな作風は子どもたち同士では受けるのかな…と。そして、その作品を描いた藤野と、引きこもりの京本の作品が学級新聞で並ぶ。京本の絵に衝撃を受けた藤野が「上手くなりたい」という気持ちを抱き、日々絵を描き続ける。映像に描かれた彼女の姿に、彼女の気持ちの強さを感じた。だからだろうか、その後藤本が絵を諦めるくだりに納得できたというか、安堵したような気持ちにもなった。

1回目に観たあと、ほんの少しだけど感想を書いた。「なんで描いたんだろ…」という藤野の気持ちが自分に強く響くとともに、たぶん、自分に対して言いたかった。

と、映画について語りたいと思うものの、残念ながらその相手が見つからないので、ここで、物語の内容に踏み込み、僕が勝手に思ったことを書かせてもらいます。原作コミックを読み、そして2回目の鑑賞でさらに気持ちが高まったのもあるかな…

 

その後、二人が初めて向かい合う場面は、引きこもっていた京本が部屋を出て、そして家を出て、藤野に声を掛けるところで胸が詰まる。二人の表情は異なるものの、実は同じ気持ちだったのかな… そう、それは二人が別々の道を歩もうとするところでも。「私と一緒にいれば全部うまくいく」という藤野。「もっと絵が上手くなりたい」という京本。二人の目指すところは同じだったのだろうけど、選んだ道程が違っていたんだ、と、改めて思う。京本の「絵が上手くなりたい」という気持ちの発端は、藤野が描く四コママンガにあったのかな。学校に行けない日々の中、時々届けられる学級新聞に掲載された彼女の作品に刺激され、京本は「絵を描きたい」と思い、部屋に籠る日々の中、絵を描き続けていた。廊下に積まれたスケッチブックは、その証。

そして、二人を永遠に分かつ事件が起きる。「なんで描いたんだろ…」と自分を責めるような藤野の言葉に、僕もよくそんなふうに思う時があると、心を抉られた。でも、初めて出会ったときに「またね」と笑顔で彼女を見送った笑顔も、「部屋から出してくれてありがとう」という言葉も、京本の心からのものだった。そう、「もっと絵が上手くなりたい」という気持ちも。藤野の行動は彼女の選択にきっかけを与えたけど、選んだのは京本自身。彼女はその瞬間までいまを楽しみ、いずれまた藤野と歩んでいく自分を思っていたのだろうと。

あの痛ましい事件を想起させるようなエピソードに、その事件や、各地で起きる自然災害などで犠牲となられた方々のことを思った。突然に生を断たれる理不尽さや、事件では加害者に対する強い憎しみを抱く。それは当然なのだろうけど、犠牲となられた方々が「犠牲者」としてのみ語られるのもまた理不尽なように感じる。一人ひとりが最後の一瞬まで、精いっぱい、楽しみとともに或いはその先の楽しみを思いながら生きていた。そのことの方がその方々にとって価値あることなのだと思う。

京本が藤野の背中を見て歩いていたのと同じく、藤野もまた京本の背中を見て、二人で前に向かって歩いていた。悲しみに包まれながらも、まっすぐに前を向いて一人歩いていく藤野の背中を見つめ、歩こうとする人たちがきっといる。そして、その藤野が見つめる先にはきっと京本がいるんだろうとも。あの事件は、二人を永遠に分かつ一方、二人の心を永遠に繋ぎ止めるものにもなったと思う。だから、藤野はこれからも「藤野キョウ」として、京本と共に描き続ける。

藤本タツキさんの気持ちが込められた作品に共鳴された押山清高監督がその力を注ぎこみ、多くのスタッフが作り上げた作品。そして、藤野と京本の存在をスクリーンに浮かび上がらせる上で重要な「声」を演じられた河合優実さん吉田美月喜さんの熱演も伝わってきた。さらに、二人に寄り添うように流れる haruka nakamura さんの音楽にまた魅了された。昨年観た『ガウディとサグラダファミリア展』会場で流れていた、NHKの番組に使われた曲で初めて知って以来、uraraさんの歌声と優しいメロディが時おり心の中に流れる。

さて、この先も上映が続くようなので、もう一度、いや一度とは言わずまた観に行きたい。その都度彼女たちについて想い、そして、自分のことを想いながら。

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山道の先に

2023-04-20 22:58:35 | 前に進む

なかなか会うことができない遠くに住む友だちがこちらに来られるというので、空港からの送り迎えを買って出た。車の中ならずっと話していられるんじゃないかって思いながら、その日を楽しみにしていた。

迎えた当日、まずは到着に間に合うようにと羽田まで車を走らせた。ほぼほぼ予定通りに空港の駐車場に車を停め到着場所に向かおうと思ったところ、駐車券を持たずにいたことに気付いた。しばらく車内やカバンの中を探してもなかなか見つからなかったけど、何とか見つけてターミナルビルへと向かった。

この日の動画はこちらから

空の旅はもっぱらANAを利用するので第1ターミナルを訪ねるのは10年以上振りだった。チェックイン端末が並ぶ様子も第2ターミナルとは全く違い、それがまた興味深かった。

空港からの行き帰りの車中はほぼほぼ聞き役に徹した。友だちは普段誰かの話を聞く側なので、こういう時ぐらいはいいんじゃないかって思う。まあ、聞いてほしいことが無くもないんだけど、それはまた次の機会でもいいかなって。

友だちを目的地に送り届けたのち、独り車を走らせた。カメラを持ってきたので景色の良さそうな場所を探しながら…って、探しながら車を走らせた訳ではないけど。スマートフォンの地図で「展望台」を検索したら、割と近くにその場所を見つけた。ただ、そういう場所は平地からだとそれなりに上がって行かなければならず、また道もそれなりに狭い。とはいえ、まだまだ運転は楽しいと思えるので、10年以上乗り続けるコンパクトワゴンでもそれなりに走りを堪能した。

ちょうど天気も良く、展望デッキではハイカーの方々が記念写真を撮ろうとしていた。そういう様子を見るとつい「シャッターを押しましょうか?」と声を掛けたくなるけど、この日もやはりそういう感じで、喜んでシャッターを押した。その時の、そして撮った写真を確認してもらう時の表情を見るのも楽しみだったりする。

再び友だちと待ち合わせ、羽田まで向かった。途中関越道で事故渋滞に巻き込まれ互いに言葉も出ない時が流れたものの、渋滞を抜ければあとは順調に空港までたどり着いた。空港に近づけば別れの時ももうすぐだと淋しさを感じるものの、遠方からの日帰りによる疲れをなるべく軽くできたらという気持ちもあった。

次に会えるのはいつになるだろう。会いに行くには思い切りが必要だったりする。いや、そんなふうに自分にブレーキを掛けているのかも…と。それを否定するためにも、次の予定を立てよう。

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進もう

2023-04-02 21:00:07 | 前に進む

1月末に今年初めての記事をアップして以降、ここに新しい記事をアップすることをサボっていた。そもそも1月末まで書けなかったことをどうかと思うものの、振り返ってみるとその直後に厄介ごとに巻き込まれ、仕事にも影響が出てしまっていた。

ただ、そんな中でも動画はアップし続けて、今年に入ってから16本の動画をアップした。

Kozy is Walking

初期はBGMを入れていたけど、その後は録画した現場の音をそのまま使っている。著作権のことを気にしてというのが理由だけど、これはこれでいいんじゃないかなって思っている。そして、当初から拘っているのは字幕だ。動画だけで表現すべきなのだろうけど、文字にして伝えたいという思いが強いのかな。だったらここでも書いたらと言われるかも…だけど、動画の字幕に拘っているからこちらが疎かになってしまっていると言ったら言い訳だね。

老後の趣味の予習にと始めたけれど、視聴数はだいたい一桁。それでも視ていただけることがありがたいし、何よりも表現手段の一つとしてとても面白い。

このブログを始めたときにも、文章を書く力を身に着けたいといった理由があった。その成果があったかどうかは別として、言葉を紡いでいくことが楽しいと思えた。動画は続けるとして、このブログもまた書き続けたい。時に動画の紹介でもいいかもしれないし、動画では表現できないことをこちらでというのが理想的なのかな。

さて、次の記事はいつアップすることができるかと、自分自身に問うてみる。

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2021-2022

2021-12-31 14:19:27 | 前に進む

大晦日。毎年同じように切羽詰まりながらこの日を迎える。学習能力がないと言ってしまえばそれまでだけど、新年の準備以外にもやりたいこと、やらなければならないことはあれこれある。それを言い訳に、今年も普段着のまま年を越そうと思っている。

昨年から世界中に蔓延した疫病の勢いが衰えぬまま今年を迎え、1年遅れで開催された東京オリンピック・パラリンピックに時を合わせるように国内では感染が広まった。因果関係についてはわからないし、今後精査されることはないと思う。その間、十分な医療を受けられずに命を落とされた方も多くいらした。「自分はマスクをしているから大丈夫」という思いの奥で「いつか自分の身にも…」という不安も同居していた。世界に目を転じれば、新型コロナウイルスの猛威は日本の比ではない。もちろん、人の命に係わることなので、単純に亡くなられた方の人数で比べるものではないのはわかっている。そして、だから日本は安心というつもりもない。

そして、こうした状況下でも世界のあちこちで紛争が起き、また起きようとしている…いや、起こそうとする人たちがいると言った方がいいだろうか。僕自身もすべてに寛容でいられない時があるけど、それが最も如実に表れるのは寛容性を持たない人と対峙する時で、少し自己矛盾を感じつつも、そこは大事にしているし、していこうとも思っている。

そんなことを思うのも、最近起きた痛ましい事件を受けてだ。走行中の電車内やクリニックなどで、多くの人を殺傷することを目的とした事件に強い憤りを覚える。その一方で、いつ自分が加害者の側にならないかという不安も感じる。正直、僕の心の中にも誰かの幸せを妬む気持ちがある。そして時々、その気持ちが表に出ることもある。誰かを傷付けたいという衝動に駆られることはないものの、その気持ちを抑えようとしても抑え切れないことに不安になる。そして、時に強い拘りを捨て切れないことも。

身近で最も寛容性のないのが、実の母親。その縁を切るという訳にもいかない。母が亡くなったら自由になれるのだろうかと思うけど、その日を待ち続けるのもまた自分の心を蝕んでいく。来年は上手く自分の時間を作れたらと思いつつ、一方で職場で日々起きる問題にも対処しなければならないし… で、心と部屋と机には様々なものが溜まっていく。

どうにも八方塞がりな中、昨日から年賀状を書くために旧いパソコンを動かしているんだけど、いざ「印刷を」というところで先に進まない。Windowsアップデートを適用していないことが原因らしく、それを幾度か試しているものの進まない。10数枚ほどしか書かないけど、年内に年賀状を発送するというのを諦めるしかないかな。今から手書きは難しいし。そして、この年賀状という束縛とも、もうそろそろお別れしたいと思いながらも、なかなか気持ちを変えられずにいる。まあ、来年のことは一晩明けたら考えよう。

「来年こそは!」という気持ちとともに、みなさんよいお年を。

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新しい年に

2021-01-01 20:09:19 | 前に進む

2021年を迎えた。

年末年始は報道も縮小されているからか、大きなニュースが流れても大きく感じられない。詳しくは触れないけど、気が滅入るようなその内容に、敢えて年末を狙って発表したのかと勘繰りたくもなる。そして、そうした現実を覆い隠すかのようなテレビのバラエティ番組を視て僕もいっときそのことを忘れてしまうけど、現実は進行形で続いている。嘘と金で招致したスポーツの祭典を開催することも、ワクチンが劇的に状況を改善することも、難しいだろうと皆うすうす感じてはいるものの、声高に叫ぶ人は少数派のままだ。

こんなことを書いていると余計に気が滅入り、思考が停止してしまう。これまでの僕ならば、そこで立ち止まり愚痴を言うだけだったろう。いや、そこは今も変わらないかな。

今の流れを肯定はしないし、批判をしていくことも必要だ。だけど、それだけでは世の中はおろか、見える景色も変わらない。こういう時に「自分を変えろ」という人もいるけれど、そもそもそれってどうなの?と思う。

ただ、「変わる」ということをもう少し柔軟に考えて、例えば部分的にパーツを交換したり、追加したりということがそれに当たるのならば、むしろ肯定的に捉えてもいいんじゃないかな。

だから、昨年は敢えていろいろ(と自慢するほどでもないけど)始めてみた。今年はそれに加えて、健康づくり・体力づくりに時間を充てたい。どんな時代にあっても、心と体の健康が最も大切なのは言うまでもない。心の方については、知らない世界や自分とは違う考え方に敢えて触れていくことで、インプットとしての視野を、そしてアウトプットとしての考えの幅を広げていけたらいい。

見え方が変われば見える世界もまた違ってくる。過去にもそんな経験はあったけど、自ら飛び込んでみよう。それでも、心の芯にある大切なものとの違いをまだ感じられたら、批判し続けよう。

人との出会いについても同じようなことが言えるのだろうけど、ひとまずそこは置いておくとして…

どんな状況であっても、今年を「いい年」にできるのは自分しかいない。

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また一年

2017-12-31 23:32:40 | 前に進む
今年もまたあっという間に終わろうとしている。自分がそういう風に過ごしてしまっているからそのように感じられるのだというのは、自分ではわかっているつもりではある。

1月に新しい職場に入り、心機一転という思いと共に歩き続けてきた。そんな中、ほんの僅かではあるけど昨年より経済的にも時間的にも余裕が出来たので、あちこち出掛けた。

4月には日光へ向かった。最近は車で行くようになっていたけど、朝早く、浅草から快速電車で向かった。



都内からのアクセスは良いけど、頻繁に行くところではない。それでも、たまには訪れたい場所だ。


6月には美術館での企画を目当てに松本を訪れた。





松本は好きな街、住みたい街だ。縄手通りあたりに行くとワクワクする。
今回、比較的ゆっくりと街を散策した。日帰り温泉や銭湯でゆっくりと入浴したりという楽しみもあった。日光よりも遠いけど、もっと頻繁に、ふらっと訪れたい街だ。

その後、新しい職場で思いもよらないことが起きたりして、慌ただしい日々が続いた。そんな中でもバレーボール観戦には足を運んだ。

10月、鳥取と島根に出掛けた。50を迎える前に国内で未踏の3県を訪れたいと思っていて、その一つである鳥取県に早朝の飛行機で飛んだ。空港からバスに乗りまず訪れたのは鳥取砂丘。テレビで観るイメージとは違っていたけど、雄大な景色を楽しんだ。



宿泊したのは米子。以前から泊まりたいと思っていた東光園に連休中に一人で泊まるのは難しく、日帰り温泉だけを楽しんだ。



翌日は出雲大社に向かった。この歳になって今さら良縁を願うことはないけど、とりあえず手を合わせた。



松江に行き、宍道湖で夕陽を眺めた。美しい景色にしばし見惚れた。

翌日は1日中、松江市内を散策した。いや、水路を巡る遊覧船を楽しんだという感じだっただろうか。



訪れた時期、ちょうど「松江水燈路」というイベントが開催されていて、夜まで松江の街を楽しんだ。
それほど広い街ではないけど、だからこそ、歩いて回るにはちょうどいい。好きな人と共に散策することが出来たらと思ったけど、それは叶わぬ願いだと諦めた。それでも、いつかまた訪れたい。

11月、バレーボール観戦を絡めて浜松を訪れた。浜松ではバレーボール観戦した訳ではなく、大河ドラマ『おんな城主直虎』の舞台を訪れた。大河ドラマを視たのは『平清盛』以来で、それほどではなかったけど、かなり楽しめた。まあ、柴咲コウさんが魅力的だったというのが大きい。





浜松と言えば鰻とかうなぎパイとかしか印象がなかったけど、ドラマをきっかけにこうした場所を訪れることが出来てよかった。


さて、あちこち行った中でも、今年もプライベートではバレーボール観戦の割合が大きかった。



来年も彼女の活躍を精一杯応援し続けたい。


久しぶりにブログの記事を書いてみて、文章を綴る力の衰えを強く感じる。年の初めにはもっと記事を書きたいと思っていたものの、結局数件しか、それもこの記事の前はずいぶんと間が開いてしまった。

来年は無理のない範囲で、もう少し記事を書いていこう。

ということで、皆様、良いお年をお迎え下さい。
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明日からは

2016-12-31 23:21:45 | 前に進む
あと少しで今年が終わり、来年を迎える。

息切れしそうになっていた一昨年、ようやく安心できると思ったのもつかの間、挫折しそうになった。それでも「もう後がない」という危機感によってかろうじて続けることができた。けれども、このままでは状況を変えることはできないと諦め、新天地を求め足掻いたところ、ギリギリ滑り込むことができたため、短かったけど今年いっぱいでその場を離れた。

次に進む場所がこれまでよりいい場所なのかどうかはわからない。それでも、これまでの失敗を活かすという意味でも新しい場所での自分に賭けてみようという気持ちが強かった。

来年は今年より自分の時間を取りやすくなるだろうと思っている。サボりっぱなしだったこちらやもう一つのブログも、以前のような頻度に戻していきたい。そしてそれよりも、ブログに書きたくなるようなアクティブな自分を取り戻したい。


毎年大晦日に決意表明みたいなことを書いているけど、今回は強く、強く決意する。
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2015

2015-12-31 21:41:30 | 前に進む
あっという間とまでは言わないけど、もうすぐ年が変わる。

昨年末からの長いトンネルを抜けたのは先月だった。絶望はしていなかったけど、そこに近づいていた。トンネルを抜けたとはいえ、それまでと同じスピードにはまだまだ及ばないし、この先、そのスピードまで到達することはないかもしれない。

トンネルを通過している間は、それまで付き合いのあった人たちとの接点はほとんど失ってしまった。それは、僕自身が望んだからというのもある。辛い時ほど誰かの存在を大きく感じるというけど、僕にはそれがなかった。まあ、今さらそれを欲しいと願っても仕方がない。

それでも、見知らぬ誰かとの一期一会を楽しめた。電車の中で出会った子どもとにらめっこを楽しむこともできる。

そんな2015年だったけど、今までで最悪の年だったという思いはない。残りの人生はそれほど長くはないけど、その残りの人生にとってプラスになると思う。失ったものの量は多かったけど、得られたものの質は高い…と。

その、得られたものを明日以降活かしていきたい。残りの人生はそれほど長くはないということは、やり直しもそう何度も出来ないということだ。若い時には失敗を恐れていたけど、今更ながら、失敗を恐れず、失敗したらやり直せばいいと思っている。


そして、そろそろ自分の命のゴールについても真剣に考えておかなければと思う。独り身としての人生の幕引きを、小奇麗にして迎えたい。よっぽどのことがなければまだ先だろうけど、ここまでくると自分が家族を持つということはないだろうから…


さて、最後は暗い話題になってしまったけど、それでも、前向きに生きてみよう。何たって、来年は年男だ。


ということで、皆様、よい年をお迎え下さい。
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次の段階へ

2015-04-09 21:14:42 | 前に進む
先日の沖縄県翁長知事と日本政府のスカ…菅官房長官との話し合いの成果は「粛々と」という言葉を使うことを控えるというくらいだったようだけど、それでも安倍ちゃんの頭の容量が足りなかったのか、「粛々と」という言葉がつい出てしまったようだ。

先日も書いたけど、翁長知事は「粛々と」という言葉を批判することで、その言葉に見え隠れする日本政府の傲慢さを批判しているのだろうけど、彼らはその傲慢さで「唯一の解決策」という言葉を繰り返し、沖縄の抗議の声に手を止めることなく作業を進めさせている。そして、宗主国アメリカからやって来たチーボスたる国防長官に対しても、「万事抜かりはありやせんぜ!」と、子分としての貞順さを見せ、沖縄の声を伝えることもなかったのだろう。

一方、沖縄県側もそうした動きを黙って見ている訳ではなく、次の手を打った。「辺野古基金」を創設し、その基金を用いてアメリカとの交渉などを行うことで、辺野古新基地建設を阻止しよういう取り組みだ。

取り組み自体もこの国においては斬新だと思う。そして、市民だけではなく県内有力企業のトップが共同代表として名を連ねているというところが心強い。また、元外務官僚で沖縄人の佐藤優氏や、昨年亡くなられた俳優の菅原文太さんの奥様も、共同代表を務められるそうだ。

近く県内外からの寄付金を募り始めるその時、少しでもお役に立ちたいと思う。先日は「ふるさと納税」で協力できないかと思っていたけど、この基金の方が直接応援することができる。余裕ができたら双方に協力したい。
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反知性主義

2015-04-05 20:25:11 | 前に進む
先月読み始めた『日本の反知性主義』を読み終えた。

呼びかけ人である内田樹氏による章を軽やかに読み終え、「3日くらいで読み終えるかな?」と思っていたものの、「反知性主義」の定義を考える人たちの章に入り、ちょうど用事が重なったこともあり、読み進めるスピードが落ちた。読んでいるときには少しもたもたした感じを受けたその部分が、読み終えると活きてくる感じがした。

さて、この「反知性主義」とは何なのだろうか。読み終えた後も僕の中では漠然としている。

もしかしたら、この本を読んだ人が、それぞれの中で「反知性主義とは?」と考えることが、この本が出版された目的なのかもしれない。


以前、話し合いの流儀について学んだことがある。その時に言われた内容の中で特に印象的だったのは、他者の意見を頭ごなしに否定するのではなく、そうした意見を認めつつ自分の意見を披露することが重要だというものだった。

実は、会議の際に自分と異なる意見に対して反論してしまう場面がよくあった。そして、そうした会議では時間だけが過ぎていき、実りは少なかったと
今振り返ると感じる。ただ、自分の感情を抑えるのってなかなか難しく、逆にそうした反論を受けると自分を抑え込んでしまうことが多い。

こうした会議の手法は、少なくとも社会人になるにあたって必要なものではないかと思う。そうした共通のプラットフォームに立ち、その上で互いの差異を認めつつ合意を目指していくということは、私たちの社会にとって最も必要なことだろうから。

現代は、相手の立場に配慮せず自分の考えを声高に主張することが良しとされているように思う。自称イスラム国による日本人殺害事件の際によく使われた「忖度する」という言葉があったけど、謙りすぎるのはよくないだろうけど、相手のことを慮ることは悪いことではないと僕は思う。

人と人とが互いの考えを触れ合わせることで生まれるものを探求することこそ、知性なのだと思う。だとしたら、人と人とがどのように互いの考えを触れ合わせることが求められるのかを考えたときに、暴力を使うなど一方的に自分の意見に相手を従わせるようなやり方は「反知性主義」と言える。そして逆に、そうしたやり方を受け入れることも、同じく「反知性主義」ではないか。

僕はそれがいいとは思わない。

「僕は知性派」などと言う気はさらさらないけど、僕なりに定義した「反知性主義」に対しては抗っていこうと思う。
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