時々、緑の中に身を置きたくなる時がある。大抵は疲れている時なのかな。
遠出をしたいという気持ちもありつつ、移動の煩わしさや疲労を伴うだろうことを考えると躊躇してしまうのは、きっと「もう若くはない」ということの裏返しなのだろう。
そう、近場にだって、東京都区部にだって、緑を楽しめる場所がある。そのうちの一つが、この日訪ねた石神井公園。池もあり、この時期ならまだ渡り鳥が羽根を休めている姿も見ることができる。
遠出にはならないけど、少し早めに家を出て、7時過ぎには辿り着いた。早朝の空気感が緑と相まって、ここが23区内であることをひととき忘れさせてくれる。まあ、忘れなくてもいいんだろうけど。その景色に鳥の囀りが響く。そんな中をゆっくり、意識的にゆっくりと歩く。時の流れを感じながら。
途中、大きなレンズを付けたカメラを持つ人たちの姿を見かけ、そのレンズが向けられた先に注目すると、そこにはカワセミの姿があった。
その輝きに多くの人が魅了されるのもよくわかる。それは、僕もまたその姿に魅了されたから。次の予定を気にしつつも、こういう出会いは大切にしたい。そんな気持ちとともに、その光景を味わった。
さて、ここを訪ねた理由の中に、園内に根を張るメタセコイアの木々を見たいというものだった。紅葉した姿も美しいけど、新緑の頃もまた見応えがある。そこには、思った通り、いや、思った以上に美しく緑を纏った姿が待っていた。少しずつ、そして確実に、疲弊した心にエネルギーが貯まっていくのを感じながら、風に揺れる姿を見上げた。
売店が開いていなかったので朝酒とはいかなかったものの、寧ろアルコールによって千鳥足にならなくて良かったんだろうな。
その後、少し歩いて隣の駅近くにある牧野記念庭園を訪ねた。
植物学者の牧野富太郎博士が晩年を過ごされた邸宅の跡地に建つ記念館と、博士が植えられたものをはじめ数々の植物が彩る庭園を、ゆっくりと愉しんだ。
ちょうどこの日まで、牧野博士の生誕160年を記念し募集された博士への手紙の入選作を展示する企画が行われていた。普段ならながし見くらいで済ませてしまうところ、それぞれの手紙に込められた思いが僕の心の奥に響いたようで、じっくりと読ませていただいた。展示の中には、恵泉女学園の山口美智子氏に充てた牧野博士の手紙も展示されていた。恵泉女学園と言えばつい先日、大学の閉学を前提とした学生募集停止というニュースに触れ、過去に深く関わった仲間がこの大学の卒業生だったことを思い出した。そして、この学校の取り組みを知り、今後より強く求められるものだと思った。昨今、大学教育が企業などからの「即戦力」の要望に応えるものになる中、こうした本質的な学問へのニーズが低下してしまうのは致し方ないと思う一方、それだけこの国に将来を考える余裕すら無くなっているのかと淋しくなる。中学・高校は残るそうだけど、これまで培われた大学教育の場が何らかの形で継続される可能性を模索してほしいと願う。
開園の9時過ぎに着いたときにもすでに先客がいらしたが、1時間ほど後に庭園を後にする頃には多くの人が集まっていた。先日から始まった朝ドラの主人公が牧野博士だということで、今後さらに多くの人が訪れるようになると思うと、また季節ごとに訪ねるとしても、開園すぐか閉園間際がいいのかな。
この日はもう少しあちこち歩けたらと思いつつ、最寄りの大泉学園駅から帰途についた。言うまでもなく、「銀河鉄道999」ではなく、一般的な電車に乗り込んで。