あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

翻訳できないわたしの言葉

2024-07-03 20:55:02 | 立ち止まる

先日、東京都現代美術館『翻訳できないわたしの言葉』を観に行った。

昨年の『あ、共感とかじゃなくて。』の記憶がまだ残っている中、この企画を知ってすぐに行きたいと思ったものの、結局会期末近くでの鑑賞となった。

「わたしの言葉」は果たして伝えたい相手に伝わっているだろうか。そんな疑問を常々感じ、迷いや諦めの気持ちと共に日々過ごしている中で、何かを得られればという気持ちもあった。結果として何かを得ることができたかはまだ分からないけど、少し気持ちが楽になったような感じはする。というのは…

「伝わらない」は誰もが持っている悩みだということを、今さらながら考えた。気持ちが楽になったのはそのことにだった。けれども、そこで開き直ってしまっていいのだろうか…と。どんなに丁寧に言葉を重ねても、その先にいる伝えたい相手は僕と全く同じスタンスにいる訳ではないし、言葉が独り歩きしてしまうこともある。もしかしたら、僕の選んだ言葉が間違えているのかもしれない。

いま、展示に触れた時に感じた気持ちを思い出しながら、わたしの言葉はその時に発したり綴ったりした言葉だけではなく、日々の中で発する言葉や取っている行動と共にイメージされるのではないかと思う。

そういえば、最近はあまり言葉を発しなくなっている。相手の中に極端な解釈をする人がいるからというのもあり、臆病になっているのかもしれない。沈黙したらお終いだと思っていた僕が、今ではそんな状況だ。もっと端的に言うと、信頼できる人が非常に限られているということ。淋しいけど、今しばらくは傘の下で雨が止むのを待つしかない。淋しいけど。

でも、今回の展示で今の僕の考え方とは全く違うスタンスで、積極的に言葉を発し、聴こうとする人たちがいるということに、勇気というか力をもらえた気もする。そんな感じもまた、前段で書いた「少し気持ちが楽になった」に、違う流れで繋がったのかもしれない。雨が止んだ後も傘を差し続けないために、そして、雨が止んだことに気付けるように、その気持ちは断ち切らないようにしよう。

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2023年

2023-12-31 21:48:26 | 立ち止まる

今年はもっとブログの記事を書こうと思いながら、結局は数本しか書けなかった。ここ数年、大晦日には同じような言い訳をしていて、今年もまたそれを重ねてしまった。まあ、それが僕の現在地ということ。ただ、大晦日だけは言葉を残しておきたい。

さて、今年は僕にとってどんな年だっただろうか。いいこともあれば悪いことも。そして、そんなと思えるようなこともあった。詳しくは書かないけど、思い返すだけでイライラしてしまうような出来事も。それは僕に隙があったからと言うこともできるけど、隙のない人生・隙のない人ってどうなんだろうか。とはいえ、世の中には自分のために他人の隙を巧みに利用する人もいる。そう、僕が人と深く関わりたくないと思う理由もそこにある。そもそも、人と人が深く関わらなければならないなんていうのは、現代に普遍的に通用する考え方ではないように思う…なんて書いていて、そう思う自分でも少し寂しさを感じるけど。

特に、仕事の関係者とは適度な距離を保っていた方がいい。人間関係が仕事にも影響するというというのは多くの人が思うところだろうし、僕もそう思う。だけど、それを前提として「だから」から先が異なってくる。日頃から良好な関係を築くべきという考え方が主流なのだろうか、でも、僕はそうは思わない。もちろん「対立すべき」という訳ではないけど、対立したとしてもそれが最善を目指すために必要であるなら対立を避けてはいけない。そして、前者にはどこか胡散臭さも感じる…などと職場で言おうものなら反発を受けるのは必至だな。

仲の良し悪しやその人との距離によって評価が左右されるなんてことはないと思いたいけど、実際にはあるんだろうね。そこが人間の弱さであり、人間らしさと言えばそれまでだけど。

と、つらつら書きながら、年末を迎えてもどこかスッキリしないんだけど、それに拘っているのも、自分が負けたというか、自分らしさ(漠然としているけど)を失ってしまっているというか、そんなふうにも思える。年が明けたらスッキリするものでもないだろうけど、これからも職場では個人的な関わりを極力持たないようにしていこう。

そして、大切な人間関係は大事にしていこう。そう、微かにゴールが見えてきた人生を有意義に過ごしていこう。

と、愚痴だらけの締め括りになってしまったけど、ともによい年を迎えましょう。

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2022年って

2022-12-31 21:34:23 | 立ち止まる

2022年も今日で終わりということで、この一年をざっくりと振り返ってみる。

現役の労働者ということで、働く環境について触れないのも不自然だけど、正直あまり触れたくはないので、ここはざっくりし過ぎなくらいで。年を追うごとに忙しくなるのは変わらない。でも、これって働く人すべてに共通して言えることなのだろうかと思う時もある。誰かに物事をお願いする時などは枝葉末節まで気を配っておかないと、受け取られ方によっては思うような結果が得られないこともある。でも、そんな仕事ばかりでは神経が疲れてしまう。まあ、現に疲れているんだけど。「器用貧乏」という言葉を思い浮かべながら、来年は何でもかんでも引き受けないことが大事かな…って。

仕事の話を書くと愚痴ばかりになってしまうのでこれくらいにしたいけど、仕事が忙しい分プライベートの時間が十分に取れないとは思う。その上、年老いた母との暮らしは制約もあり、暮らしの面と仕事の面の双方でのストレスが溜まっていく。出掛けることでその発散をと思っても、母親から文句を言われたり、またそれが自分の行動にブレーキを掛けてしまう。まあ、何もかも制約なく自由に生きている人などほとんどいないというのはわかっているつもりだし、制約があることで自分の行動をコントロールしているとも思う。

好意を寄せる人との空間的な距離があることが、だんだんと心の距離にも感じられるようになっている。人を好きになることに不器用だったのが50を過ぎて器用になるなんて訳はないし、無理をせず、無理強いをせず、あるがままにというところかな。

さて、50を過ぎてというと、2年前から始めた動画編集は細々と続いていて、このブログに記事を書くよりも頻繁にサイトにアップした。僕自身はもっとブログに文章を書きたいと思っているけど、割ける時間は限られているので、今年は諦めよう。

と、つらつらと書いてみたけど、自分のことに立ち返ると、キラリと光る思い出はないものの、日々を噛み締めながら歩き続けられたのかな。ということで、来年のことはまた明日考えよう。

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ジャーナリズムについて

2022-09-23 20:25:35 | 立ち止まる

昨年購入した、TBS『報道特集』のキャスターを務める金平茂紀さんの「筑紫哲也『NEWS23』とその時代」を、この6月に読み終えていた。購入してから読み終えるまでに半年以上かかった上に、最近は動画配信の方に関心が移っていたというのもその理由にある。早く書こうと思っているうちに、金平さんが今月末をもって『報道特集』を降板されると聞き、余計にその気持ちが高まっていた。そして、その最後の最後までジャーナリストとして旧統一教会問題はじめ様々な対象に正面から向き合う姿に頼もしさを感じるとともに、氏が去った後のことを考えると不安を覚える。

筑紫哲也さんが亡くなられてからもう10年以上経つ。この間の日本社会の「劣化(と言っても過言ではないだろう)」を促した理由として、ジャーナリズムの衰退が挙げられる。筑紫さんが活躍されていた頃にも報道バラエティのような番組はあったけど、今はもう「本物(と言うべきだろう)」の報道番組は絶滅危惧種となってしまっている。話せば嘘しか出てこないような権力者の好き勝手を許し、さらにそれを支えるメディアもあった。結果として長期政権を担わせてしまった責任は一義的には有権者にある。ただ、その権力者の虚像を増幅して広め人々の投票行動に繋げたと思うと、その作為は罪深い。

と、6月はじめにこの辺まで書き終えてからしばらく手が動かなくなっている間に、その権力者が凶弾により命を奪われた。この国の知や富、そして何よりも、公正さが求められる様々な組織に修復しがたい毀損・亀裂を生じさせた罪を問われ、それについて彼が自ら語る機会が永遠に奪われたということに、強い憤りと大きな虚しさを感じた。その後、その殺人事件の動機が明らかになっていく過程でまた、報道の役割について疑念を持った。団体の名称変更についてTwitterで流れてくる情報に触れたのを思い出したけど、あの時に報道したメディアはどれくらいあったのだろうか。いや、そもそもあったのだろうか。ただ、次から次に様々な問題が起きている中である特定の問題について定点観測的に伝えること、それも、表向きには以前とは変わったとされる組織を追うことの難しさはわからなくもない。

この問題について、そして「国葬」についての報じ方の濃淡はメディアによって様々だ。生前から彼を奉っていたメディアはジャーナリズムの埒外として、この間のメディアはどのような方針を持ち、どのような立場で取り組んでいるのだろうか。力を入れる理由は、彼の死によりジャーナリズムが息を吹き返したのか、今も続く教団が関係する被害に対する贖罪の意識からなのか。一方で力が入らない理由は、取り戻すべきジャーナリズムが根絶やしにされているのか、団体関係者が意思決定に侵食しているのか…などと。一握りのメディアだけであったとしても、筑紫哲也さんが遺したジャーナリズムの魂のようなものが、か弱くも灯され続けたのだとしたら、その火を共に守りたい。

さて、金平さんの著書には『NEWS23』チームの志と、それを挫く様々な出来事、そして、危機に直面してもなお強い志を持って報道し続けた姿が描かれている。それは、ジャーナリズムのみならず、様々な組織に求められる普遍的なものなのだと、心の中で自分が所属する組織と比較した。スタッフ同士が意見を交わし、高い次元で合意点を見出そうとする。互いの強弱によって物事が決まっていくのは組織の道理と言えるかもしれないけど、組織を構成する一人ひとりが理念とそれを実現するための意志を持っていれば、意見の対立は組織にとってプラスになるのではないか。そんな、いい大人からしたら「青臭い」と言われるような気持ちを持った。

ジャーナリズムはもちろん、僕も含め一人ひとりがインプットした情報を消化し、アウトプットするということを互いに繰り返すことは、一見遠回りに見えるかもしれないけど、きっとそれこそが常道というか、そうありたいという気持ちを、筑紫哲也さんが遺し、金平茂紀さんはじめ筑紫さんとともにジャーナリズムを担った人々、そしてその意思を接いでいった人たちから受け取り、僕の心の中でも灯し続けていきたい。

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徒労感

2022-01-16 21:16:54 | 立ち止まる

年末から、母の体調が悪い。先週末は「いよいよか…」と思うくらいだったけど、やや持ち直した。

母を疎ましく思うことも少なくないけど、いざそうなるとあれこれ考えてしまう。心の準備ができていないということもある。ところで「心の準備」って、どんなものなのだろうか…

料理、洗濯、買い物と、先週も今週も週末は家事に多くの時間を割いた。まあ、買い物はそれ以前から週末にまとめて行くようにしている。平日は食事づくりくらいしかできないし、それでも慌ただしく、作り置きや下ごしらえをしておこうと思うんだけど、作り置きの方は「いつも同じものばかり」と文句を言われるたびに、自分はいったい何のために生きているのだろうかと考えてしまう。もっと困難な状況にいる人もいる一方、そんな苦労とは縁遠い人も少なくないだろう。まあ、その人たちはまた別の苦労がある。

仕事を持ち帰っても来たけど、結局はほとんど手を付けずに週明けを迎え、徒労感に襲われる。あの、何とも言えぬ後味の悪さを毎週感じるくらいなら、いっそのこと仕事を置いてきてしまえばいいんだけど、割り切れない。

さて、今日は食材とともに何枚もタオルを買ってきた。母のために妹がタオルストッカーを買ってくれ、壁に付けてから1ヵ月以上使っていなかった。清潔なものに取り換えなければという気持ちも後押しした。家に帰ったのはお昼過ぎ。それから洗濯して干すまでは済んだけど、冬に昼から洗濯したところで乾くまではいかない。諦めてそのまま干している。

いつその時が来るかはわからないけど、近づいていることは間違いない。本人にとってどんな人生だったのかなどと考えながら、明日は出掛ける前に洗濯をしようかどうか考えている。

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期待と、不安と

2022-01-09 23:40:27 | 立ち止まる

期待を込めて新年を迎えた人は多かっただろう。その中に僕もいた。他国の状況は気になっていたものの、自分の住む国は違うと信じ込んでいた。

正月3日目に出掛けた初詣。あまりの人の多さに驚きと不安を感じた。自分もその一人という自覚は無くはなかったけど、初詣に、そして酒場に集う人たちのこれまでの我慢を考えれば仕方ないなと思っていた。

初詣の際の動画はこちら

それから一週間も経たないうちに、件のウイルス感染者数が急激に増えていった。正月休みが短かく、すでに仕事モードに入っていたけど、新年の目出度さがスッと引いていった。それとともに再び「不安」が雨雲のように広がる。再びトンネルに入るのは間違いないだろうけど、このトンネルは長いのか、短いのか。

ウイルスによる影響が出てからもうすぐ2年。ここまでは自分の身近に感染者が出たという話を聞くこともなく過ごしてきたものの、いつどうなるかという不安もある。

でも、不安に怯えるばかりでは、誰かの思うつぼじゃないか?って、今更ながら思い始めている。感染予防は続けなければならないけど、それよりも、日々の暮らしを、そして、自分自身を大切にしていきたい。

と書きながら、ウイルスに影響された世界で生活に困窮する方々が増える中で、自分のことだけを考えることには、疑問ではなく抵抗を感じる。綺麗ごとではなく、自分に何かできることはあるのだろうかと考え、そして、敢えて期待を持って行動していこう。

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境界線

2021-07-16 08:15:30 | 立ち止まる

父を早くに亡くしたからか、子どもの頃から「死」については敏感な方だと思う。そして、昨年来のコロナ禍で自らの死についても考えることが増えたような気がする。それでも常日頃それを考え続けている訳でもなく、楽しいことがあれば心から笑えている。

昨日の朝、クリスチャン・ボルタンスキー氏の訃報に接した。

彼を知ったのは、2009年に新潟で開催された『大地の芸術祭』で訪ねた『最後の教室』だった。

暗い中で心臓音が鳴り響く、そしてそれと同期して電球が点滅する。「生」の象徴である心臓音を意識することは、問診や健康診断で医師に聴診器を当てられるときくらいだったので、強烈なインパクトを受けた。

その翌年の2010年に訪ねた『瀬戸内国際芸術祭』では、彼が豊島で手掛けた『心臓音のアーカイブ』を訪ね、自分の心臓音をそこに残すことで彼の作品の一部となった。

2016年の瀬戸芸では、彼が新たに手掛けた『ささやきの森』に、母と亡き父の名を残した。母はまだ健在だが、遠くの島で二人が風に揺れながら風鈴の奏でるささやきで会話をしていると思うと、少しは親孝行ができたのではないかと思える…というか、自己満足だけど。そして、口だけは達者な母の声は「ささやき」とは遠過ぎる。

2019年、国立新美術館で開催された彼の個展を観た。彼は作品を通じて生と死の境界線を行き来していたのかもしれない。

 

彼の死を知った次の日、今日僕は新型コロナウイルスの1回目のワクチン接種を受ける。かかりつけ医のところに相談に行ったら、たまたまこの日が開いているからと予約を入れてもらった。

確率は相当に低いものの、接種の後に亡くなられる方もいらっしゃるという。何が原因か不明なケースもあるというので、自ら何かに注意できるものでもない。ただ、先送りすれば感染リスクに囚われ続ける。

自らの生命の境界線が突然引かれたような気がしたことを思い出しながら、そろそろ支度を始めよう。

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福祉とは

2021-05-02 21:24:19 | 立ち止まる

昨夜放送されたNHKのドキュメンタリー『たどりついたバス停で〜ある女性ホームレスの死〜』を、今日になって視た。

昨年11月の深夜、バス停のベンチで体を休めていた女性が殺害された。数年前に家賃を払えなくなった住まいを出て、更にコロナ禍の影響で仕事を失い、路上生活を続けながら命を繋いできた。誰にも頼ることができなかったのか、頼ろうとしなかったのか、彼女は何とか自分自身で生活を立て直そうとしていたものの、ただでさえ弱い立場の人には情け容赦ない社会である上に、コロナ禍が追い打ちをかけた。食べることもままならずに命を奪われる人もいる。それも放置していい訳ではないけど、こんな時代だからこそ助け合う必要があると思うものの、彼女は「邪魔だった」という理由にもならない理由によって命を奪われた。

日本の福祉政策は、有権者の顔色を窺う政治家の都合によって決められている感がある。そしてそもそも、潤沢な資金は「グリーンピア」など役人たちが取った施策の失敗により毀損されたものの、そのツケは国民に回され、それに対し僕も含め大多数の人は異を唱える訳でもなかった。

また一方で、生活保護に関して言えば「不正受給」を理由に厳格さを超えた審査や、そもそも受理しないという考えが強いと聞く。困っている人自身も生活保護を受けることに負い目や引け目を感じ、頼れないという風潮もある。もしかしたら、それは誰かに作られたものなのかもしれない。

福祉の話題が出る度に、あるドキュメンタリー作品を思い出す。是枝裕和さんが作られた『しかし…福祉切り捨ての時代に…』 将来を嘱望された環境庁の官僚と荒川区に住む女性の、全く接点のない二人が自ら死を選んだことから、この国の福祉について、そして行政について問う作品だった。本は亡くなられた官僚の方の生い立ちから最後の選択までを、ご遺族はじめ関係者への取材をもとに丁寧に描かれていた。

担当者として、また責任者として、目の前に困っている人がいて条件反射的に救いの手を差し伸べようと思っても、それができない。それは、その組織の目的に叶うものであっても、実体としての組織からは許されない。本を読んだ頃は、こうしたことは役人の世界だけだと思っていたけど、今、管理職的な立場に立ってみると、そうしたことは民間でも同様にある。そして僕は、そこを上手く立ち回れずにいる。

さて、福祉に関しては「税と社会保障の一体化」が言われるけど、それは一向に進まない。シンプルなシステムにすればコストも抑えられ、その分社会保障に回す原資を厚くすることもできるだろうに。たぶん「お金が動くところ利権あり」と言われるように、利権をめぐる縄張り争いが邪魔をしているのだろう。

とはいえ、目の前には困っている人がいて、様々な愚策によりコロナ禍が続く中でさらに悪化していくだろうし、僕自身もいつ困窮するかわからない。長期的な視野に立ち今の仕組みに対し異議を唱えることも必要だし、一方でそれを言い訳に目の前の事象をただ眺めていればいいというものでもない。それもあり、先日ある取組に対する支援を申し出た。彼女を救うことはできなかったけど、誰かの命が繋ぎ止められ、少しでも笑顔でいてもらえたらと願う。いつまで続けられるかはわからないけど、続けていくことを目的にしたい。

話があちこち飛んでしまったけど、最後に、この番組を作り、放送してくれたことにお礼を言いたい。問題提起もあるけど、一人の女性が懸命に生きた証を残してくれたことに。亡くなられたことは悲しいけど、あの写真の笑顔が、そして、試食販売で楽しそうにお客さんに接客されていたことが、彼女を知る人たちの記憶に残っていってほしい。

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気晴らし

2021-05-02 15:55:48 | 立ち止まる

5連休の2日目。あと3日あると思うのか、もう2日経ったと思うのかで、気分は変わる。やっておきたい、またやらなければならない仕事がそれなりにあるので、少しでも済ませておいた方がいいのはわかっているものの、昨日は疲れからか何もできず、また今日もそれが続いている。

気分を変えてみたらいいのではと、少し出掛けてみた。自転車を走らせると受ける風が心地よく、またいつもとは違う風景に触れると心の新陳代謝が進むようだ。

そして、出掛けるだけではなく、久しぶりに動画を撮ってみた。

映像を繋ぎ、言葉を乗せ、BGMを重ねる。そんな作業をしながら、自分の心と向き合っているのかもしれない。

ここ1ヵ月以上、気持ちに余裕がなかった。今も余裕があるわけではなく、思い出さないことで一時的に平静を保っている。そこが重石になっているけど、たまには「それでもいいじゃないか」と開き直ってしまおう。そして、辛くなったらまた心を休ませよう。

お時間があったらぜひ https://youtu.be/N-rNOgvPxrs

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2020年

2020-12-31 10:12:48 | 立ち止まる

もうすぐ年が明ける。

1年前となる今年の1月には、賛否はあるにせよ「2020東京オリンピック・パラリンピック」を迎えるのだと思っていた。久しぶりに訪ねてきた親類を連れて新国立競技場を見学(外周だけ)した。けれども、その後の「新型コロナウイルス」感染拡大は多くの人たちの生活を一変させ、また命を奪われる人も出た。そして、一時は収まる気配を見せたものの、当初から懸念されていた通りに冬を迎え感染が拡大している。

幸いなことに僕は仕事を続けられている。「第三波」に備え慌ただしく急ごしらえで職場での在宅勤務の環境を整えられたのは良かったけど、その間に後回しにした仕事のツケは自分で何とかしなければならない。そんな思いを抱えながら、年を越すことになった。

そんな中でも、仕事ばかりでは気力が持たない。それを言い訳に、できるだけ自分の時間を持とうとした。足腰が弱まった老親にその時間を奪われることもあるけど。

仕事以外で僕を支えてくれていることの一つが、バレーボール観戦だ。そして、ここ数年応援していた選手が引退してしまった。度重なるケガに苦しみながらも全力でプレーし、コートに立たない時も誰よりも大きな声で仲間を鼓舞する姿に、観ている僕も何度も元気をもらった。結局最後の勇姿も直接お礼を伝えることも叶わなかったけど、それはコロナ禍の影響もあったものの、そんな去り方もまた彼女らしいなと思い、苦笑いした。

ある日、東京都が発行する冊子をふと手にした。職に就けてはいるものの、50歳を過ぎ、将来に対し漠然とした不安を抱えていた。失業をきっかけに、人との繋がりをほとんど失い、視野も狭まっていた。忙しさを理由に先延ばしすることも多いけど、とにかく何かを始めてみようと思い、「タブレットを使った外国語の勉強」、「動画編集」をやってみて、細やかながら今も続けている。そして、しばらく記事を書いていなかったこのブログを再開したのもそのうちの一つだ。

出来の良し悪しはあるけど、僕は何かを作ったり表現したりすることが好きなんだということを改めて感じている。そして、孤独を怖いとは思わないものの、誰かと繋がっていられたらという願いを強く持っていることに気付く。後者は自分だけではどうにもならず、また、過去に自分から疎遠にしてしまったということもあり、今更何ができるだろうかと立ち竦んでしまう。だから、前者に気持ちが傾きがちなのだという自覚もある。

 

この先、いわゆる「通常運転」に戻ることはないだろうし、「新しい生活様式」に自分自身を適応させていかなければならないだろう。それは決して楽ではないけど、これも運命の巡り合わせだし、逃げられないなら、いかに楽しむかを考えて行動したい。そして、間接的にでも誰かの笑顔に繋がれたらいい。

「あしたはきっといい日」というタイトルでこのブログを開設して13年あまり。そう思いつつも時に心が折れそうになる自分を奮い立たせ、今日を、そして明日を歩いていこう。

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