昨日、「逃げろ!」と書いてから、ずっと考えていた。僕にはこの場所が逃げ場所なのかな…
苦しいときは幾度もあった。けれどもそれを乗り越えられたときには、その脇で誰かが自分の存在を認めてくれていたと思う。そういう度量の大きな人は少なくなってきている
子どもも大人も、漂流し疲れきっているのだろうか…
やはりここは僕の逃げ場所ではない。逃げ場所にしたくはない。僕は“サラリーマン”と言う一言では言い表せない、別の面を持っている。そしてその一つが、ここを自分の居場所として書き続ける僕なのだ
さて、あすから11月。もっともっと、わき見をて歩こう
苦しいときは幾度もあった。けれどもそれを乗り越えられたときには、その脇で誰かが自分の存在を認めてくれていたと思う。そういう度量の大きな人は少なくなってきている
子どもも大人も、漂流し疲れきっているのだろうか…
やはりここは僕の逃げ場所ではない。逃げ場所にしたくはない。僕は“サラリーマン”と言う一言では言い表せない、別の面を持っている。そしてその一つが、ここを自分の居場所として書き続ける僕なのだ
さて、あすから11月。もっともっと、わき見をて歩こう