あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

空の冒険

2021-03-27 10:48:51 | 旅する

その知らせは突然目の前に現れた。

https://twitter.com/yoshidashuichi/status/1366726324253954051

ANAの機内誌『翼の王国』に掲載されている、吉田修一さんの『空の冒険』が今月で連載終了とのこと。急いで旅支度をしようにも、行きたい場所はあるものの、年度末にその時間は取れない。引用したツイートに添付の画像から読むことができ、旅の高揚感を思い出し、また結びの一文に涙を誘われた。

飛行機を利用するのは年に1~2回。生まれも育ちも東京ということもあり帰省に利用することもなく、またビジネスで利用することもない。ましてやこのような状況の中で、一昨年の夏に旅行で利用して以降、空の旅とは疎遠になっている。だからなのか、冬の空気に微かに響くエンジン音に空を見上げてはその機影を追い、機首の向きから目的地を想像してみたりする。いや、それはこの状況以前から変わらないか…

さて、この機内誌の連載を楽しみの一つとして、空の旅ではほぼ毎回青い飛行機を選んでいる。3年ほど前だったか、『国宝』発刊時のサイン会でそのことを直接吉田修一さんにお伝えする機会があった。それくらい、このエッセイを読むのが楽しみだった。

旅情をそそるイラストが添えられた4ページの文章に、時に笑わされ、また、涙を溢れさせた。最近文庫化されたものを読み、その感覚が蘇ったけど、手元に置いてあった機内誌のバックナンバーに文庫本に収載されたものが掲載されていて、何となく覚えているような、覚えていないようなという感じだった。もしかしたら、それも機内で読むには適していたのかもしれない。

葉加瀬太郎さんの『Another Sky』に誘われ機内へと足を進める。出迎えてくれたCAさんに会釈する。爪先立ちながら荷物棚に荷物を収めたりする人たちの間をすり抜け、自分の座席を見つける。忘れないうちにシートベルトを緩みのないよう締める。窓の外に視線を向け、前の座席ポケットから機内誌を取り出してパラパラとページを捲る。乗客が揃いドアクローズの知らせとともに機内安全ビデオが流れる。機体がゆっくりと動き出すとモニターに向けた視線を窓の外に逸らす。手を振る地上スタッフの方に、少し照れながら手を振り返す(見えないだろうけど…)。誘導路をゆっくりと進みながら「今日もD滑走路か」と思い、機内誌の路線図ページを開く。離陸の順番待ちにどれくらいかかるか考えてみる。機首を進路に向け、出力を上げるエンジンの音に気分が高揚する。フワリの機体が地面を離れるのを感じる。制空権の関係でエンジン全開で上昇を続ける中、時に真下に見える東京の街をぼんやりと眺める。

離陸までの流れを思い出すだけでも、空の旅に出かけたくなる。

何度考えてみても、日帰りですら空の旅に出かけることは無理そうだし、日帰りなんて僕の気持ちが無理だ。ということで、機内で読みたい気持ちを抑えつつ、通信販売でこの号を取り寄せた。そう、この機内誌は4月以降はスマートフォンやタブレットで読むことを前提に、希望者には一回り小さくなる冊子をお渡しするとのことだ。様々な状況を考えると致し方ない。

届いてすぐに、『空の冒険』のページを開き、読む。吉田さんが綴る言葉の温かさに触れ、そして、締めくくりの言葉を何度も読み返しては涙する。でもそれは、悲しみによるものではない。

次にこの青い飛行機に乗り旅する時には、機内誌のページを捲り、吉田さんの『空の冒険』を楽しんだことを懐かしく思うだろう。でも、それもまた旅の始まりなのだろうし、そうであっても、僕はその旅を心待ちにしている。


その扉をたたく音

2021-03-21 09:49:58 | 本を読む

年度末は忙しい。それが分かっているので仕事が集中しないようにしようと思ってはいるのだけれど、周りはそんなことを考えてくれる訳もなく、また考えているという前提を置きつつも仕事を回してくる。とはいえ、プライベートの時間を削りすぎてしまうと自分が自分でいられなくなるような、そんな気持ちに日々追い立てられているように感じるし、それは年々より大きくなっている。

そんな中、瀬尾まいこさんの『その扉をたたく音』を読んだ。

瀬尾さんの本は昨年秋に読んだ夜明けのすべて』以来で、こんなに早く次の作品が読めるのか?!と思ったものの、最近使い始めた読書記録用のアプリでこの本のことを知り数日後、仕事の切りがいいタイミングをみて書店に向かい手に入れた。まだ読みかけの本があったけど、手に入れることで安心したかった。

さて、ようやく読み始めると、瀬尾さんの本で感じるものがこの本には無いかな…というか、少し違和感を覚えた。主人公の宮路は29歳で無職。僕の頭が固いのか、その設定が違和感の原因だったのかもしれない。そして、主人公が誰かの強引な行動によってきっかけを掴むというのが瀬尾さんの作品に惹かれる理由だったなと思いながら、読み始めはもたもたしてしまった。

それでも、宮路が出会った渡部君の魅力に引っ張られ、そして、その出会いによって宮路が変化していく様子に、ページを捲る手も軽やかになっていくのを感じた。と同時に、僕の心の中でも何かが変わっていくような気がした。

舞台は老人ホーム。そこにどんな出来事が起きるのかは微かにでも想像はできる。瀬尾さんもそれを通じて主人公の変化を描こうとされたのだろう。避けては通れないことだけど、正面から受け止めるのは辛い。それでも、逃げるだけでは先へは進めない。

物語は、ある別れとそれをきっかけに宮路が変わろうとするところで幕を下ろす。ただ、宮路の変化は周りに影響されてのものだったのか。当然そういう要素はあっただろうけど、それだけではない。

10数年前、仕事の合間を縫い、僕は一回りも二回りも年下の人たちとイベントの手伝いをしていた。その時、仲間からの誘いを受け断るのではなく、できるだけ応じようと思った。気が引けることもあったけど、今思うとあの頃のそんな時間がかけがえのないものに思える。失業をきっかけに仲間とは疎遠になってしまったけど。

自分を変えようと思うとき、誰かにそっと背中を押してもらうと足取りが軽やかになる気がする。今、僕の周りにはそんな人はいないけど、僕が誰かの力になることはできるかな…と思うし、そういう人でありたいなとも思う。

瀬尾さんの作品を読み終えた後にしては、心を揺さぶられる感じは少なかった。だからといって、それだけが感想に繋がる訳でもなく、読んだ後に僕の心の中に、そして行動に染み込んでいくのかなと思うと、楽しみでもある。

そう、9年前に読んだ『あと少し、もう少し』を改めて読んでみようと思った。先ほど少し流し読みしたんだけど、それだけで涙が溢れてきた。そして、見逃していた瀬尾さんの『君が夏を走らせる』を読もう。

それと、追い立てられることに少しずつでも抵抗していこう。自分を変えていくことも含めて。


再び、田中一村に

2021-03-10 21:14:20 | 本を読む

1月末に訪れた「田中一村展」の会場で購入した『日本のゴーギャン 田中一村伝』を読み終えた。

展覧会で田中一村の作品に触れ、そして、周囲の人たちへの手紙などから、彼の絵に対する執念と言えるような感情に触れた。晩年、その執念を作品に結実したものの、広く評価を受けることなく、生まれた地から遠く離れた南の島で、一人生涯を終えた。その彼の歩みをもっと知りたいと思い、この本を手にした。

幼い頃から絵の才能を認められ、その期待を受け、またその才能を発揮し選ばれし者のみに開かれる絵画の道を歩み始める。けれども、その後に次々と訪れる不運に抗いきれず、その道から外れることを選ぶ。思うに、そのきっかけは不運だったけれども、それがなかったら彼は同期の東山魁夷らのように広く認められる巨匠となりえたのだろうか。不運に見舞われずとも、遅かれ早かれその強い意志により周囲とぶつかり、遅かれ早かれ同じ選択をしたのではないかと。

自分の作品を売ることが「売るための絵を描く」、つまり、買い手に合わせた作品作りに繋がると、彼はその道を歩むことに強く嫌悪した。その彼が、自らの命の終わりが近づいていることを感じ、その作品を周囲の人たちに買い取ってもらう。それは、自分の命を削って描き上げた作品を残すためでもあったろうけど、果たして彼の心はそのことに耐えられたのだろうか。それとも、その時ようやく周囲の期待という呪縛から解かれたのか。

弟の才能が花開くことを願い、弟とともに生涯独り身を通した姉の期待もまた、彼を縛っていたのではないか。きっと彼自身はそんなことを思っていなかったのだろうけど。そして、その姉も彼に縛られていたのだろうと思う。ただ、その言葉を使うと不幸と結びついてしまいかねないけど、彼ら自身は不幸と思うことは決してなかったのかもしれない。いや、幸せか不幸かは本人にしか判断できないし、もっと言えば、幸せであればいいという訳でもない。

50を過ぎ、長く彼を支えてくれた姉から離れ、南の島に向かうことを選んだ。安定を壊したという言葉が彼の気持ちを表すのに適切なものかはわからないけど、その選択が晩年の作品に繋がり、その後、これらの作品が多くの人たちの心に響いている。そのことだけは喜んでいいのだろうと、微笑む死神を想像してみる。

その描かれた地で、その空気を感じてみたい。今すぐは無理だろうけど、いつかきっと。

 

作品展に行ったときの動画はこちら