2022年も今日で終わりということで、この一年をざっくりと振り返ってみる。
現役の労働者ということで、働く環境について触れないのも不自然だけど、正直あまり触れたくはないので、ここはざっくりし過ぎなくらいで。年を追うごとに忙しくなるのは変わらない。でも、これって働く人すべてに共通して言えることなのだろうかと思う時もある。誰かに物事をお願いする時などは枝葉末節まで気を配っておかないと、受け取られ方によっては思うような結果が得られないこともある。でも、そんな仕事ばかりでは神経が疲れてしまう。まあ、現に疲れているんだけど。「器用貧乏」という言葉を思い浮かべながら、来年は何でもかんでも引き受けないことが大事かな…って。
仕事の話を書くと愚痴ばかりになってしまうのでこれくらいにしたいけど、仕事が忙しい分プライベートの時間が十分に取れないとは思う。その上、年老いた母との暮らしは制約もあり、暮らしの面と仕事の面の双方でのストレスが溜まっていく。出掛けることでその発散をと思っても、母親から文句を言われたり、またそれが自分の行動にブレーキを掛けてしまう。まあ、何もかも制約なく自由に生きている人などほとんどいないというのはわかっているつもりだし、制約があることで自分の行動をコントロールしているとも思う。
好意を寄せる人との空間的な距離があることが、だんだんと心の距離にも感じられるようになっている。人を好きになることに不器用だったのが50を過ぎて器用になるなんて訳はないし、無理をせず、無理強いをせず、あるがままにというところかな。
さて、50を過ぎてというと、2年前から始めた動画編集は細々と続いていて、このブログに記事を書くよりも頻繁にサイトにアップした。僕自身はもっとブログに文章を書きたいと思っているけど、割ける時間は限られているので、今年は諦めよう。
と、つらつらと書いてみたけど、自分のことに立ち返ると、キラリと光る思い出はないものの、日々を噛み締めながら歩き続けられたのかな。ということで、来年のことはまた明日考えよう。