
池袋の書店 リブロ池袋本店が本日閉店した。

僕がこの店を利用し始めたのは、社会人になって数年経った頃だった。その頃は新宿駅で乗り換えていたので、紀伊国屋書店や三省堂書店(小田急百貨店内)などを利用していたけど、セゾンカードを利用するようになってからリブロを利用する頻度が高まった。そういえば…と思い調べたら、新宿小田急の中の三省堂も今年閉店されていたそうだ。
さて、池袋のリブロを利用するうちに、その便利さに惹かれるようになった。好きだから選んだというのではなく、使っているうちに好きになるという、いい道具のような感覚を楽しんでいた。ただ、たまに大掛かりなレイアウト変更があるとしばらくの間戸惑ってしまったけど、その後は再び馴染んでいったので、スタッフの方々が使いやすさを追求されていたのだろう。これまでに購入した書籍の4分の1から3分の1くらいはここで購入したと思う。

規模の大小を問わず、書店のスタッフは本に対する相当な思い入れを持たれていると思うけど、ここのスタッフの方々には特にその思いを強く感じた。まあ、それは単に書店に対する思い入れの強さだったのかもしれない。
先日訪れた時には「あと数回は…」と思っていたけど、あっという間に今日を迎えてしまった。
で、遅くなった墓参りから戻り、夕方に最終日の池袋店へと向かった。
前回買わないでおいた木皿泉さんの本などをカゴに入れ、2階を除く各フロアをゆっくり回った。途中、2階で「無印良品」の本や、旧セゾングループとの繋がりが深い田中一光氏の本を追加した。で、最後の会計はやはり馴染みのある地下1階の「Aゾーン」を選んだ。
閉店のその時までいることはなかったので、特に感慨があった訳ではない。きっとしばらくして、あの場所からリブロが無くなった穴の大きさを感じるのだろう。そして、その穴を埋めることは、ここに入居すると言われる三省堂書店でも、たまに行くジュンク堂でも埋まらないだろう。

今、改めて永江朗さんの本を読み返してみたいけど、手元にないのが非常に残念だ…
これまで様々な書籍との出会いを作ってくれた歴代の店員さんたちに感謝しつつ、いつかまたこの池袋の東口側に戻て来てほしいと願う。
そして、堤清二さんが残したセゾンの香りを、薄れたとしても残してほしい。

僕がこの店を利用し始めたのは、社会人になって数年経った頃だった。その頃は新宿駅で乗り換えていたので、紀伊国屋書店や三省堂書店(小田急百貨店内)などを利用していたけど、セゾンカードを利用するようになってからリブロを利用する頻度が高まった。そういえば…と思い調べたら、新宿小田急の中の三省堂も今年閉店されていたそうだ。
さて、池袋のリブロを利用するうちに、その便利さに惹かれるようになった。好きだから選んだというのではなく、使っているうちに好きになるという、いい道具のような感覚を楽しんでいた。ただ、たまに大掛かりなレイアウト変更があるとしばらくの間戸惑ってしまったけど、その後は再び馴染んでいったので、スタッフの方々が使いやすさを追求されていたのだろう。これまでに購入した書籍の4分の1から3分の1くらいはここで購入したと思う。

規模の大小を問わず、書店のスタッフは本に対する相当な思い入れを持たれていると思うけど、ここのスタッフの方々には特にその思いを強く感じた。まあ、それは単に書店に対する思い入れの強さだったのかもしれない。
先日訪れた時には「あと数回は…」と思っていたけど、あっという間に今日を迎えてしまった。
で、遅くなった墓参りから戻り、夕方に最終日の池袋店へと向かった。
前回買わないでおいた木皿泉さんの本などをカゴに入れ、2階を除く各フロアをゆっくり回った。途中、2階で「無印良品」の本や、旧セゾングループとの繋がりが深い田中一光氏の本を追加した。で、最後の会計はやはり馴染みのある地下1階の「Aゾーン」を選んだ。
閉店のその時までいることはなかったので、特に感慨があった訳ではない。きっとしばらくして、あの場所からリブロが無くなった穴の大きさを感じるのだろう。そして、その穴を埋めることは、ここに入居すると言われる三省堂書店でも、たまに行くジュンク堂でも埋まらないだろう。

今、改めて永江朗さんの本を読み返してみたいけど、手元にないのが非常に残念だ…
これまで様々な書籍との出会いを作ってくれた歴代の店員さんたちに感謝しつつ、いつかまたこの池袋の東口側に戻て来てほしいと願う。
そして、堤清二さんが残したセゾンの香りを、薄れたとしても残してほしい。