ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

父のこと <年賀状>

2011-11-16 | 介護<親たちのこと>
今年、実家の父が亡くなり、ひとり暮らしの母は認知症の症状が出ています。
近くに住む主人の母親もそうです。

記録のつもりで、少しずつ親たちのことを書き残しておこうと思います。



   ・・・     ・・・    ・・・



先日、喪中ハガキの枚数を確認するため、母から今年届いた年賀状を預かった。
どこからきたのか、1枚1枚チェックする。
これは親戚、これは父の知人・友人、これは母の友人・・・
ふと、我が家からの年賀状がないことに気がついた。

あっ、そうか。
去年はそれどころじゃなかったんだ。


父が検診にひっかかり、私の家の近くにある総合病院の紹介状をもらったから
一緒に来てほしい、と母から電話があったのは去年の今ごろ。
煙草が大好きで、長年ハイライトを吸い続けた父。
病名は素人の私でも予想できた。

肺がん。

しかし、実際はそう簡単に診断できるものではないらしい。
レントゲン、CT、血液検査、痰の検査、PET・・・
11月は父との病院通いが続いた。
私が結婚して二十数年、いや子どもの頃でさえ
こんなに父と一緒に出かけたことはなかったんじゃないか、
と思えるくらい父と出かけた。

一緒にいる時間がふえると、たまに実家で会う父とは違って
ひどく年老いたことに気づき、戸惑いを感じずにはいられなかった。
昔、鶴田浩二に似ているとも言われたことのある父は、
80歳を過ぎても若く見られ、頭もしっかりしていたのに。


11月後半から12月にかけては、病院へ、あるいは実家へと
走り回る日々が続いた。
父の検査で半日つぶし、昼食もとらずに家へ戻ると
今度は義母が点滴を受けに病院へ行っていた、
ということもあった。

父の症状が急激に悪化し、どうしたらいいのかわからなくて
頭を抱えたことは何度もあったけれど、私にはめずらしくパニックに
なることはなかったような気がする。
たぶん、目の前の壁しか見えず、それを乗り越えることに精一杯で、
その向こうの大きな壁のことを考える余裕がなかったからかな。

それに、大掃除も年賀状もすっぱりあきらめた。
その分主人ががんばってくれた、と思う。
風呂場をピカピカにし、年賀状は結婚して初めて
担当してくれたのだから(笑)

私は、お正月になってから届いた年賀状の返事だけを書いた。
なので、実家への年賀状を出せなかったのかもしれない。



去年の今ごろを思い出すと不思議に頭に思い浮かぶのは、
青空を背景に歩く父の後ろ姿。
時雨の多いこの時期にしてはめずらしく、
父と病院へ行く日は晴れていることが多かったからだろう。
ただ、父がどんな表情をしていたのかは思い出せない。


今年は早々に喪中ハガキをプリントアウトした。
毎年自作の絵を年賀状にしていた父が、去年はせめて文章だけでもと
震える手で書いたのに、かわりに出してあげることができなかった。
それが今になって悔やまれてならない。


コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする