アップするのは5ヵ月ぶり(!?)になった源氏物語覚書
実は<若紫>を書いた1月時点で、ほとんど
この<末摘花>も書いてはいたのです。
それをアップしなかったのは・・・。
この<末摘花>の巻、みなさんご存知のように、
光源氏が醜女の代表のような女性、末摘花と
なぜか関係してしまったお話です。
初めて読んだときから、なんとなく親しみを感じていた末摘花(笑)
けれど、今回読んでみて、なんでしょうねえ・・・、
あまりに紫式部の筆が容赦ないのに、後味の悪さ?
みたいなものを感じて、もう一度読み直し、
自分なりに末摘花像を考えようと思ったのです。
・・・はい、結局そのまま読み直すこともなく、
今になってしまっていました~
で、↓が1月に書いた文章です。
* * * * *
この巻は帚木、空蝉、夕顔に続くb系にあたり、
本筋からはちょっと離れた光源氏の恋の失敗談です。
美男美女が多く登場する『源氏物語』の中で、めずらしく光源氏が
不美人の女性と関わってしまったお話。
夕顔を忘れられない光源氏は、可愛らしく気兼ねのいらない女性を
見つけたいものだと凝りもせず思い続けています。
そんな評判を聞きつけると文を送るなど、相変わらずのマメ男(笑)
そんなとき、大輔<たゆう>の命婦から故常陸の宮の姫君のことを聞きます。
なんでも父宮の死後、頼る人もなく心細い有様で暮らしているとか。
気立てや器量は知らないけれども(ここがミソですね)琴を弾く、
と聞いただけで光源氏は興味を持ちます。
頭の中将に跡をつけられているのも知らず、
琴の音を聞きたいとせがんでお屋敷へ向かいます。
ここで頭の中将をもってきたのがうまいですねえ。
というのも。
荒れ果てた屋敷に美しい姫が住んでいるのかもしれない、
と、ふたりで妄想をかきたて(笑)文などを
さし上げるのですがいっこうに返事がありません。
半ば興ざめしながらも、もし頭の中将の方に靡かれたら
さぞ悔しいことだろうと、へんなライバル心を抱いて
その気になってしまうのですね(笑)
さて、とうとう強引に末摘花と一夜の契りを結んだ光源氏ですが、
あまりの手応えのなさにがっかり。
そしてある雪の朝、光源氏は末摘花の姿をちらっと見てしまいます。
(この時代、女性の姿を見るのは失礼なこと。
おまけに夜は真っ暗闇だし、肝心の女性の顔かたちを
じっくり見る機会がないらしい)
その末摘花の容姿はというと・・・
青白く長い顔に、鼻が象のように長く(!?)、
しかも鼻先が赤らんでいます。
胴長で、気の毒なほど痩せた身体。
着ているものは古臭く、色あせていて・・・
ほとんどいいところがありません。
唯一申し分ないのは、豊かな黒髪だけ。
またまたがっかりした光源氏は、情けなく思うものの、
自分以外なら誰も相手にしないだろうと気の毒にも思われ、
かえってその後もお世話をされるのでした。
そして、つくづく身分のよしあしで
女性の品が決まるのではないと痛感されたことでしょう。
さて、光源氏を手引きした大輔の命婦という女性、
実はなかなか浮名の多い女性で、
ふたりの会話から推察するとたぶん光源氏とも
それなりの関係だったのではないでしょうか。
その女性が高貴な姫君を紹介する、というのはありえますが、
本当に末積花の器量を知らなかったのでしょうか。
私は、知っていて光源氏をそそのかした、
という気がしてならないのですが(笑)
コメディタッチのこの巻ですが、私はどうも気に入らないのです。
醜女として描かれている末摘花に救いがないのです。
筆者である紫式部の筆に温かみが感じられません。
最後には紫の上相手に笑いものにしています。
末摘花は「蓬生」の巻でも再度登場します。
ここでは須磨へ流された光源氏を待ち続ける生一本な女性として描かれいて、
最後には光源氏が面倒を見ることになり少しほっとしました。
末摘花とは紅花の別名。
古くから染料などに使われていました。
山形県の県花になっています。
※↑の写真はHPからお借りしました
* * * * *
で、どうして今になってこれをアップする気になったかというと、
先日、俵万智さんの『愛する源氏物語』という本を買ったんですね。
これは『源氏物語』に出てくる和歌を万智さん風に解釈してあり、
思いがすんなり伝わってくるのです。
正直な話、これまで和歌ってあまりよくわからないし、
物語の添え物的な感じで読んでいました。
でも、この時代、貴族の日常において
和歌の重要性というのはかなり大きなものです。
恋に和歌はつきもの。
和歌をうまくつくれなければ、お話にもなりません。
もてるための必須条件なんですよ。
現代人の私たちからしたら、何、悠長なことを、
と感じてしまうのですが(笑)
万智さんの本によると、この末摘花、身分は高いのに
和歌に関しては全くダメで、センスもなしという女性。
(末摘花の六首の和歌のうち、三首に「からころも」が
使われているそうで、なるほどなあと思いました)
醜女というのは見た目だけのことではなくて、
どうやらそのあたりも含めてのことのようです。
反対に、空蝉は見た目はそんなにぱっとした女性では
ありませんでしたが、光源氏にとって忘れられない女性となりました。
容姿だけではなく、教養とかセンスといったものが
この時代の美人の条件だったわけですね。
美人になるには、いつの時代も大変なのです。
がんばれ、末摘花!!
実は<若紫>を書いた1月時点で、ほとんど
この<末摘花>も書いてはいたのです。
それをアップしなかったのは・・・。
この<末摘花>の巻、みなさんご存知のように、
光源氏が醜女の代表のような女性、末摘花と
なぜか関係してしまったお話です。
初めて読んだときから、なんとなく親しみを感じていた末摘花(笑)
けれど、今回読んでみて、なんでしょうねえ・・・、
あまりに紫式部の筆が容赦ないのに、後味の悪さ?
みたいなものを感じて、もう一度読み直し、
自分なりに末摘花像を考えようと思ったのです。
・・・はい、結局そのまま読み直すこともなく、
今になってしまっていました~
で、↓が1月に書いた文章です。
* * * * *
この巻は帚木、空蝉、夕顔に続くb系にあたり、
本筋からはちょっと離れた光源氏の恋の失敗談です。
美男美女が多く登場する『源氏物語』の中で、めずらしく光源氏が
不美人の女性と関わってしまったお話。
夕顔を忘れられない光源氏は、可愛らしく気兼ねのいらない女性を
見つけたいものだと凝りもせず思い続けています。
そんな評判を聞きつけると文を送るなど、相変わらずのマメ男(笑)
そんなとき、大輔<たゆう>の命婦から故常陸の宮の姫君のことを聞きます。
なんでも父宮の死後、頼る人もなく心細い有様で暮らしているとか。
気立てや器量は知らないけれども(ここがミソですね)琴を弾く、
と聞いただけで光源氏は興味を持ちます。
頭の中将に跡をつけられているのも知らず、
琴の音を聞きたいとせがんでお屋敷へ向かいます。
ここで頭の中将をもってきたのがうまいですねえ。
というのも。
荒れ果てた屋敷に美しい姫が住んでいるのかもしれない、
と、ふたりで妄想をかきたて(笑)文などを
さし上げるのですがいっこうに返事がありません。
半ば興ざめしながらも、もし頭の中将の方に靡かれたら
さぞ悔しいことだろうと、へんなライバル心を抱いて
その気になってしまうのですね(笑)
さて、とうとう強引に末摘花と一夜の契りを結んだ光源氏ですが、
あまりの手応えのなさにがっかり。
そしてある雪の朝、光源氏は末摘花の姿をちらっと見てしまいます。
(この時代、女性の姿を見るのは失礼なこと。
おまけに夜は真っ暗闇だし、肝心の女性の顔かたちを
じっくり見る機会がないらしい)
その末摘花の容姿はというと・・・
青白く長い顔に、鼻が象のように長く(!?)、
しかも鼻先が赤らんでいます。
胴長で、気の毒なほど痩せた身体。
着ているものは古臭く、色あせていて・・・
ほとんどいいところがありません。
唯一申し分ないのは、豊かな黒髪だけ。
またまたがっかりした光源氏は、情けなく思うものの、
自分以外なら誰も相手にしないだろうと気の毒にも思われ、
かえってその後もお世話をされるのでした。
そして、つくづく身分のよしあしで
女性の品が決まるのではないと痛感されたことでしょう。
さて、光源氏を手引きした大輔の命婦という女性、
実はなかなか浮名の多い女性で、
ふたりの会話から推察するとたぶん光源氏とも
それなりの関係だったのではないでしょうか。
その女性が高貴な姫君を紹介する、というのはありえますが、
本当に末積花の器量を知らなかったのでしょうか。
私は、知っていて光源氏をそそのかした、
という気がしてならないのですが(笑)
コメディタッチのこの巻ですが、私はどうも気に入らないのです。
醜女として描かれている末摘花に救いがないのです。
筆者である紫式部の筆に温かみが感じられません。
最後には紫の上相手に笑いものにしています。
末摘花は「蓬生」の巻でも再度登場します。
ここでは須磨へ流された光源氏を待ち続ける生一本な女性として描かれいて、
最後には光源氏が面倒を見ることになり少しほっとしました。
末摘花とは紅花の別名。
古くから染料などに使われていました。
山形県の県花になっています。
※↑の写真はHPからお借りしました
* * * * *
で、どうして今になってこれをアップする気になったかというと、
先日、俵万智さんの『愛する源氏物語』という本を買ったんですね。
これは『源氏物語』に出てくる和歌を万智さん風に解釈してあり、
思いがすんなり伝わってくるのです。
正直な話、これまで和歌ってあまりよくわからないし、
物語の添え物的な感じで読んでいました。
でも、この時代、貴族の日常において
和歌の重要性というのはかなり大きなものです。
恋に和歌はつきもの。
和歌をうまくつくれなければ、お話にもなりません。
もてるための必須条件なんですよ。
現代人の私たちからしたら、何、悠長なことを、
と感じてしまうのですが(笑)
万智さんの本によると、この末摘花、身分は高いのに
和歌に関しては全くダメで、センスもなしという女性。
(末摘花の六首の和歌のうち、三首に「からころも」が
使われているそうで、なるほどなあと思いました)
醜女というのは見た目だけのことではなくて、
どうやらそのあたりも含めてのことのようです。
反対に、空蝉は見た目はそんなにぱっとした女性では
ありませんでしたが、光源氏にとって忘れられない女性となりました。
容姿だけではなく、教養とかセンスといったものが
この時代の美人の条件だったわけですね。
美人になるには、いつの時代も大変なのです。
がんばれ、末摘花!!