九里 【九里】を探して三千里

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多賀氏の系図の中の「片岡常春」そして 千葉氏と片岡氏・原氏

2019-12-30 | 多賀氏

片岡常春の四代孫が多賀豊後守高忠というのはありえないが、(常春と経春が別人の場合はあり得る?)ひょっとすると片岡氏の系が繋がって多賀氏に至るとすると、それは江州中原につながっていることになる。

千葉氏の中のどこから「片岡氏」が出て、どこから「原氏」が出てきたのかを調べてみよう。

http://chibasi.net/hara.htm#harakeizu

平常長より(常長の妻は、中原氏女と言われている)

海上常衡(実常兼子) 与一 下総国海上郡 海上郡

鴨根常房 三郎 上総国夷隅郡鴨根村 いすみ市岬町鴨根
原 常宗 四郎 下総国香取郡原郷 香取郡多古町染井


海上氏の「実常兼子」という意味は、「常兼」=常長の息である。
千葉氏のHPによれば、http://chibasi.net/unakami1.htm

『常衡は、常兼の長男であったと思われる。しかし、常兼の長男でありながら、祖父・千葉大夫常長の十一男に擬されており(実常兼子)、父・常兼亡き後、いまだ生存していた祖父常長の養子とされ、常兼に次いで下総権介を継承した可能性があろう。また、「与一平」ともあることから、兵衛尉任官の経歴もうかがえる。』とある。

『その海上常衡の孫に「片岡常晴」がおり、その妻は佐竹忠義娘とされ、
これを理由に常晴は源頼朝に佐竹氏への内通を疑われ、常衡流海上氏は所領を没収された。』
・・・となる。

この常晴=片岡常春
さらに弟の片岡弘経=為春
為春の息と思われる「経久」北条泰時の時代である。

1224年以降の事と思われるが、泰時に召されて一万石を賜わっている。
83歳まで生き、1257年に没している経久。(1174-1257年)


そして、ずっと時代は進み、江戸寛政時代に岡田元繁(茂)が先祖の系図を見るために「宗徳寺」を訪れ、「中原氏の一族 岡田元繁」と記載が残っているのである。

https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/bc7e5f204e67ed115779e33fba15f855

さらにだが、柏原藩の九里政直が始めは「岡田」を名乗り、後に改九里とあり、九里を名乗ることとなっているのも、この辺りとリンクしているようにも思えてならない。

始まりは平常長の妻が中原氏の娘であったこと。
つぎに片岡経久が海上氏であったが、領地は没収されたこと。
想像だが、片岡氏は原氏と合流したのではないだろうか?

さて、今度はその原氏だが、尾張国からやってきた「原高成」や「原高春」との関係はなかったのだろうか?

経久=蓮忍入道が地頭となって因幡国に居住していた場所「冨城郷(富木・富来)」のすぐそばにある「岡益の石碑」や「安徳天皇陵」「平家の落人の墓」を守っていたようにも思えてならない。

そうすると「平貞能」とつながり、浪合記の「大橋家伝」とつながり、「原高春」「平忠度」とつながってくるのである。

平貞能は平胤正の時代と重なるようである。
そして、片岡為春の時代ともなると思う。

===*===

中原経久の父が橘次となったのも、原高春の良峯姓と関係があるのではないだろうか?と思ってしまうのだ。(椋橋ー良峯ー橘

さらに千葉氏の中にも橘姓がいたという情報もある。

富木常忍の母は、千葉氏であったというweb情報が、実は千葉氏の一族「原氏」の事であるかもしれない。

しかし、経任が「経春(常春)」だったのだろうか?
早くに亡くなって、片岡家の養子となったのであろうか?

もともと片岡家は私の考えでは「近江国湖北の片岡」なのだが、系図のように大和国から下総国に行ったのだろうか?
わからないことだらけである。(ココで今年は終了してしまうのだが…こんな中途半端で…)


今年も一年、こんなに拙い「九里を探して…」にお付き合いいただき、
また
お読みいただきましてありがとうございます。

感謝いたします!!

皆様、どうぞ良い新年をお迎えください~~**



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2 コメント

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いすみ市周辺の地名 (kunorikunori)
2021-05-25 20:12:41
木方様

見つけました「大原」!
「小倉山」もあり、滝口神社あり、で、面白いデス。

千葉の地形も「ブラタモリ」で出ておりましたが、非常に複雑ですね。
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Unknown (木方)
2021-05-24 19:57:09
夷隅で検索しました。
今家族に乾杯でいすみ市って出て来てまして大原?って地図みました。
伊八の欄間探ししていますよ。
港町大原ってイメージが違うんですけど、恵比須っぽく思うので面白くなりそうです。
返信する

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