久利の近くには石見国一宮物部神社があり、近くに布留神社も、海の方には五十猛神社もある。
また江津の石見国二宮の多鳩神社は中原氏の住んでいた都野郷である。
八咫烏のための「神饌台」があるそう。
https://www.shimane19.net/report/gotsu/464
八咫烏をお招きするために備え付けられたものなのだそうだ。
この八咫烏、といえば、熊野である。ここに出雲から熊野のラインを感じる。
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有福氏=岩国藩士に石見の吉見氏の庶流。
源範頼(蒲冠者)の四男吉見三郎為頼八代の孫太郎範春が能登から石見に移って都野庄に住み、都野と称し、石見国二宮-多鳩神社
都野氏に関しては、中原であったという情報もある。
都野(中原)氏は久利(清原)氏と同様、十世紀以後国司による任国支配が強化される中で、その国司権力を支える実務派官人として国司にともなわれて石見国に赴き、やがてそこに独自の権力基盤を築いて土着し、後の都野(有福)氏へと発展してい った。
吉見氏に関しては、下記を読んでみようと思う。
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/yosimi1.htm
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上記の吉見氏の庶流となる人々と中原氏が同じかどうかは、私にはわからないが、同じ都野郷に中原がいた事も気にかかっている。
石見国国衙の在庁官人であった、中原氏と清原氏。
とすれば、因幡国で在庁官人としていた中原経久(九里太郎蓮忍入道)も不思議ではない。
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さらに、この中原・清原氏は宇都宮氏とつながっていくのではないだろうか?(今朝の夢)
藤原宗円(1033年生まれ)
息:宇都宮(八田)(中原)宗綱・弟 中原宗房
宗房の息は信房で、wikipediaによると「鎌倉時代に豊前守護職に任じられた宇都宮信房の頃に城井谷城を築城し最盛期を迎え、一時期は築城郡(福岡県築上郡築上町)の本城城を拠点として、宇佐、筑城、下毛、仲津、田川など各郡に庶流を配し、その子の宇都宮景房は九州平定の功により、景房の子の宇都宮信景は源頼朝から、幕府評定衆、九州四奉行に任じられ、九州の武士を統括したこともあった。 」とある。
宇都宮二荒山神社
「宇都宮氏の初代当主であり、宇都宮城を築いたとされる摂関家藤原北家道兼流藤原宗円が、当社の宮司を務めたという説もある[1]。宇都宮氏は、藤原宗円が、この地の豪族で当時の当社の座主であった下毛野氏ないし中原氏と姻戚関係となり土着したのが始まりであり、当時の毛野川(当時の鬼怒川)流域一帯を支配し、平安時代末期から約500年間に亘り関東地方の治安維持に寄与した名家である。庶流に常陸国守護小田氏や武茂氏がおり、また毛野川東岸および小貝川流域一帯を支配した紀清両党とも姻戚関係にあった。 」
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朝見た夢は違っているようだが、何かしたヒントとなるのではないだろうか?
何かのきっかけで、東国に赴いたはずである。
宇都宮氏と関係があったとするならば、平貞能の母?(祖母?)が宇都宮氏であったはずで、そこに預かりの身になるのであるから、追随していった者もいたであろうと思う。
そこに、貞能とその家族を匿っていた「原高成・高春」も関係してくる。
そうなると、大橋氏とも繋がってくる。
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石見国一宮【物部神社】
宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)
物部神社の社伝によれば、美濃国・越国を平定した後に石見国で没し、現在の社殿の裏に埋葬されたという。
大事な場所であることがわかった。その社家に「長田氏」がいる。
赤い枠内が久利
清原近俊・正宗・則房
応徳元年(1084)には【入道学源】が清原近俊・清原正宗と連署で先祖相伝の領地である久利郷を【清原則房】に譲っている。(清原則房解 応徳元年九月十五日)
私も、一度忘れて、少したってまた出会った時に「ご縁」を感じます。
ウマシマヂ も「遅刻の遅」ですから、たくさん出てきました。「ヂ」の方が正しいように思いました。
遅の字については、大国さんも表記の仕方によっては出てくる文字でヂなんですよね。私は面倒でうましマジってジにしちゃっているんですけど表記としてはヂの方が興味あります。鼻血と一緒でチに点々が好み。別件で大国とか大黒とかもなんか最近出てくるので調べてますので連動してくるんだろうなあと予想しています。チは乳に関わる遅なのかと思うので母が知りたいんですよね。稲田姫とか八幡比売やかがみ作りのおばあちゃんあたりで妄想しています。
津野の文字もツノという音ならばさらに毎回聞きなるワードです。
夢の中で情報を再構成って本当にあるようですよ。
私も最近夢を覚えていたまま意識が戻る事があるのんですがメモもしないのですぐ忘れちゃうし、辿れない事も多いです。教えて貰いすぎてもつなまらないので安全に関わる事だけは早めに察知して利用したいですね。
希望や思い込みでも誘導されるのも怖いんで掘りすぎないようにしています。お坊さんの名前も文字で覚えていたんですけど一文字記憶が消えていつか見つかると嬉しいです。
他にも記事中の文字で気になった事がいっぱいありましたけど忘れるってのも大事に思います。
これからお盆にも旧暦の七夕など気になる行事もいっぱいですので先祖なら古の方々が喜ぶような世界が出来るといいですね。父の影響で懐メロとか今でも歌詞が出てくるくらい好きですが、音楽関係の歌手のイメージに合わせた歌詞作曲プロデュースなどをされて来た方々も天に行ってしまってますので今後は良い歌を天から流してくれるとみんなが楽しく生きれるんでしょうね、時に踊りもリズムも大事です。神事や芸術文化分野にも影響が出てくるといいですよね。スポーツ分野には確実に日本独特の物が評価されてるようですので、勝った負けたじゃなくても美しい物、見習いたい所いっぱい溢れてくるといいですね。