能兼の妹は源頼政の母。 = 藤原友実の娘(下野守 源仲政室)
という事は、能兼の甥が 源頼政であったことになる。
範兼と範季と源頼政は従兄弟であったのだ!
源氏びいきの素は、この辺りにある様である。
藤原友実は何度か目にしている。藤原実範の息であった。
この範季の兄範兼の系も貞嗣系で、範季はそこから分れて高倉家となっているようだ。
貞嗣の系(南家巨勢麻呂)と源頼政とも近い関係であることがココではっきりとした。
藤原南家巨勢麻呂の系は、黒麻呂が藻原の開拓領主でもあり、東国とは縁が深い。
ましてや、季兼(熱田神宮大宮司家へ)1044-1101年 とあり、
貞嗣系をもっと遡ると藤原保昌の妻が 和泉式部(父:越前守 大江雅致)であり大江氏とつながり、また藤原致忠の娘は源満仲の妻ともなっている。
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さて、大江能範。
この藤原能範とは同時代を生きているのだろうと思うのだが、一人は熱田神宮大宮司であり、後藤基政の祖父の大江能範は江兵衛尉とあり、別人である、と自分なりに結論が出たのである。
この周辺を再び調べる良い機会となった!!と思う。