この進士刑部允頼忠に関しては、若狭国大飯郡本郷に関係する人物という事しかわからなかったが、後に同じ太良庄で包枝進士太郎入道が東寺百合文書に登場するため、つながりがあるのではないかと思う。
http://hyakugo.pref.kyoto.lg.jp/contents/detail.php?id=12437
文永十年二月二十日 1273年
平経重から包枝進士太郎入道に出している文書である。
この経重、この頃何歳くらいだったのだろう。晩年とすれば、九里経重かもしれない。
九里経久の息に経重と経季がいる。
===*===
其れとはまた別の情報として「田島氏」がある。
web情報として下記も重要と思われる。
https://349.teacup.com/gokuh/bbs/1581
「田島氏の発祥地は、尾州知多郡但馬保である。尾州知多郡守護一色氏の代官に
熱田大宮司家が任じており、その関係で但馬保に所領を得たのであろう。」
(『尾張群書系図部集』編:加藤國光/刊:続群書類従完成会)
「但馬氏 本群に但馬郷あり、これ尾張氏の同族但馬海直のありし地か。」
(『尾張國誌』著:太田亮/復刻:東海地方史学協会)
『尾張群書系図部集』掲載の家系図では
熱田神宮祝詞師
多々見(忠命、年魚市郡司)― 大隈(熱田大宮司)― 稲公(稲置見、大宮司)― 稲興(大宮司、祝)― *へ
*― 興員 ― 季興 ― 維仲(尾張権介、大宮司)― 季仲(大宮司)― 連仲(大宮司)― 維連(大宮司)― **へ
**― 吉緒(大宮司)― 員信(伊勢守、大宮司)― 員頼(大宮司、東大夫)― 頼基(権宮司、権牧大夫)― ***へ
***― 頼奉(大宮司、大権大夫)― 頼忠(田島太郎、権宮司、祭主愛知郡田島に住し、田島を称す)―奉成 (進士太夫)
===*===
この田島頼忠が、進士刑部允頼忠であるかどうかは全くわからないのだが、田島氏は熱田神宮の関係の人物なので何かしら関係があるかもしれない。
上記のweb情報を基に、田島氏を調べてみると熱田神宮の本に出会ったのである。
【中世熱田社の構造と展開 藤本元啓著】に、実に詳しく田島氏に関する記載がある様だ。
九里氏には直接関係がないかもしれないが、江戸末期か明治初期に私の直系の「九里静」が馬場武義に嫁いでいるので、もしかして…・という事もあろうかと。少し調べてみようと思う。