富木常忍が藻原に居たことがあるのは、事実のようである。
さて、その藻原の古となるが、【藤原黒麻呂】がいる。
どこかで記事にしたような気もするが、今日の関心事なので書いてしまおう。
藤原 黒麻呂(ふじわら の くろまろ)は、奈良時代末期から平安時代初期にかけての貴族。
藤原南家、参議・藤原巨勢麻呂の次男。官位は従四位下・因幡守。
近江国に生まれる。宝亀5年(774年)正月に正六位下から二階昇叙され従五位下に叙爵し、上総介に任ぜられ現地に赴任。
近辺の原野を開墾して牧野とし藻原荘として成立させた[1]。
この藻原荘が現在の千葉県茂原市の起源とされる。
宝亀8年(777年)上総守に昇進する。
宝亀9年(778年)従五位上に叙せられると、宝亀11年(780年)治部大輔に任ぜられる。
桓武朝に入ると、延暦元年(782年)右中弁に任ぜられるが、延暦3年(784年)には遠江守として地方官に転ずる。
延暦8年(789年)刑部大輔次いで治部大輔と再び京官に復すが、翌延暦9年(790年)駿河守に転じた。
またこの頃、皇太后・高野新笠および皇后・藤原乙牟漏が崩御した際に御葬司を務めている。
のち、桓武朝末に正五位下、平城朝末には従四位下にまで昇進するとともに、周防守・因幡守と地方官を歴任している。大同5年(810年)6月20日卒去。
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なにか、この藻原と因幡国・近江国がつながる事にご縁を感じる。
さらにその後を…
【黒麻呂】
父:藤原巨勢麻呂
母:山背王の娘
妻:田辺清足の娘
男子:藤原虎王(または虎主)
妻:縣犬養氏
男子:藤原春継(?-?)
生母不詳
男子:藤原虎取
男子:藤原諸勝
【春継】常陸介
父:藤原黒麻呂
母:縣犬養氏
妻:坂上盛の娘(?-860)
男子:藤原良尚(818-877)
生母不詳の子女
男子:藤原広基
男子:藤原真宗
【良尚】大和権大掾、上総権介、近江権介、備前権守、相模守
父:藤原春継
母:坂上盛の娘
妻:菅野高年の娘
四男:藤原菅根(856-908)
九男:藤原当幹(864-941)
妻:藤原秋緒の娘
男子:藤原真興
妻:滋野氏
男子:藤原顕相(?-923)
男子:藤原真能守(?-923)
【菅根】任因幡掾
父:藤原良尚
母:菅野高年の娘
妻:藤原氏江の娘(藤原氏江は藤原式家宇合流出身)
次男:藤原元方(888-953)
女子:藤原淑姫(?-948) - 醍醐天皇更衣、兼明親王らの母
生母不詳
長男:藤原季方
女子:藤原元姫 - 平時望室
【元方】大納言
父:藤原菅根
母:藤原氏江の娘(藤原式家宇合流の出身)
妻:藤原賀備能の娘
男子:藤原致忠(?-?)
妻:橘良殖の娘
男子:藤原陳忠(?-?)
男子:藤原由忠(?-?)
妻:藤原道明の娘
男子:藤原克忠(?-?)
男子:藤原懐忠(935-1020)
妻:不詳(生母不明)
男子:藤原尚忠(?-?)
男子:藤原全忠(?-?)
男子:藤原則忠(?-?)
男子:元方[5](?-?)
女子:藤原祐姫(?-?) - 村上天皇更衣
【致忠】蔵人・備後守・右馬頭・右京大夫などを歴任後 息の保輔の為佐渡国へ配流
父:藤原元方
母:藤原賀備能の娘
妻:元明親王(または源允明)の娘
男子:藤原保昌(958-1036)
生母不明:
男子:藤原斉光
男子:藤原維光
男子:藤原保輔(?-988)
女子:源満仲の妻。頼信母
【保昌】摂津守
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E4%BF%9D%E6%98%8C
父:藤原致忠
母:元明親王の娘
妻:和泉式部
生母不詳の子女
男子:快範
女子:
wikipediaの系図はここで終っている。
菅野氏・坂上氏・橘氏・源満仲・和泉式部(大江氏)・等とつながりがある。
なんと言っても、富木中太蓮忍・常忍は因幡国で国衙の在庁官人であったのではないかと言われている人である。
どこかで因幡国とつながる縁があって、その因幡国に派遣されたのではないだろうか。
そして、「藻原」にもつながっているとすれば、もしかすると黒麻呂からなる系のどこかに接点があるかもしれない!!
頼信というのがまた超いいですね。
茂原調べてみたいと思います。
因幡とダイレクトは考えていませんでしたけど、超関係ありそうに思いますね。繋いでみますね。