https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E5%B8%82%E7%A7%A6%E7%94%B0%E6%9D%A5%E6%B4%A5
河勝の先祖にあたる秦氏は4世紀頃に秦国から百済(もしくは新羅)を経由して日本列島の倭国へ帰化した有力氏族、とあり、その息が朴市秦田来津だそうだ。
白村江戦で将となり、戦死している。
コトバンクによると
「7世紀後半の武将。近江愛智郡出身の豪族。大化1(645)年9月古人皇子の謀反に加わったが,事変後罰せられることはなく,中大兄皇子(のちの天智天皇)に登用されて,百済再興のために5000の兵を率いて,そのとき日本にきていた百済王子豊璋(余豊璋)の帰国に従って百済に渡った。まもなく王位に就いた豊璋は,都を州柔(錦江下流域)から避城(全羅北道金堤か)に遷すことを議した。田来津は要害の地州柔からの遷都に反対したが,いれられず遷都は実現した。はたして遷都後まもなく新羅に攻めこまれ,再び州柔が都となった。天智2(663)年8月,白村江における唐水軍との戦闘に参加したが奮戦むなしく大敗し,戦死をとげた。 」
と、あるが、どこにも秦河勝の息とは書かれていない。
しかし、系図が残っているそうだ。探してみよう。
森岡先生の系図がwebに載っていた!
https://office-morioka.com/myoji/genealogy/kodai/hata.html
前賢故實: 考證 - 第 1~11 巻
面白い本も見つけた。この中にも秦河勝が載っている。
江州蒲生郡 中村 呉神社ともある!